09:赤の異端者 - 1
世界の今日という日は、ここから始まる。
だとすれば、世界が終わる日もここから始まり、ここから終わるのだろう。
私はどちらかと言えば無神論者だ。だから、魂が仮想世界に送られるなんてことは、信じられるわけがなかった。
得体の知れない装置に命を預けてまで新しい人生を始めようだなんて、そんな旨い話があるだろうか。
何もかも、狂っている。
私は信じないし、赦せない。
友人や家族を誑かし、死に追いやった、あの御霊喰い計画を。
──CASE:ERICA・HAMILTON
二二〇三年四月。イギリス、ロンドン市内。
私は、このアニマポートで僅かな仲間と共に学生運動を行っていた。
「プルステラへの移住に反対!」「反対!」
「命を粗末にするな!」「粗末にするな!」
ロンドンの灰色の空は既に無機質な塊に覆われている。
ゆえに、マイクが無くとも声はよく届く。
私はあらん限りの声を張り上げた。
「みなさん、よく考えて下さい! プルステラは現実じゃありません! 移住とは言っていますが、嘘で塗り固めた世界です! あるかどうかという証拠が明らかにされていないんです!
その管理体制は百パーセント信じられますか!? 一年後にここに戻って来れるかも判りません。それで本当に死ぬことになっても、いいんですか!?」
学生側からの「そうだそうだ」という同意を示す声と、長蛇の椅子からの「ふざけるな」、「うるさい」という罵倒が交錯する。
特に、椅子に座った中年の男は徹底的に反対してきた。
「何言ってんだ! 毒ガスの中で生きるより、賭けに乗って死ぬ方がずっとマシに決まってンだろ!」
椅子から同意を求める声が上がる。私はそれでも反対した。
「それは明らかに心中という行為です! 生きるということを既に放棄しているではありませんか!」
「心中? どっちにしろ、『みんな』心中しちまうんだよ! 大気汚染か、アニマリーヴか、その違いでしかねぇだろ!
そもそも、人類全てが移住しちまえば、地球だって自己再生が行えるんだ。実に合理的な心中じゃねぇか!
絶対に死ぬことのない楽園。争いも無ければマスクも要らない。俺たちがこの日をどんだけ待ち侘びたことか! 貴様みたいなひよっ子なんぞに理解出来るはずがねぇ!」
それでも、生きるべきだ。人間はこの世界で汚染と戦うべきだ――と、私は言いたかった。
でも、言えなかった。今感じている本心は別だったからだ。
計り知れない時間をかけて罪を償う、などと出来ない約束をするぐらいなら、このまま最後の時を過ごし、滅んでしまえばいい。――それが私の出した結論だった。
世界各地には、プルステラを形成する「バベル」と呼ばれるサーバータワー群が、一大陸に一箇所ずつ……つまり合計五箇所に存在する。
バベルはあらゆる建築技術を結集させており、地上と地下の二段構えで形成している、巨大な漆黒の塔を複数密集させたものだ。小型の隕石が降ろうが氷河期が訪れようが、バベルが丸ごと消えるか地球そのものが危機にさらされない限りは欠損箇所を自動的に補えるらしく、プルステラ全土が完全に脅かされることはほとんど考えられないらしい。
それは、世界人口約百三十五億人が眠ることになる、巨大な石棺とも言える。
人類はこの中――プルステラへと魂を移し、何億年後かに訪れる新しい時代に備えて眠る。残されたヒトの器は肥料として廃棄処分され、荒んだ大地に活力を与える。
つまり、人類が母なる大地に冒した罪を償うべく考えられた、謂わば苦肉の策である。
――私達は、後ろ手に手錠をかけられた。アニマリーヴ・プロジェクトに仇なすというわけではなく、あくまで妨害行為ということで。
仲間達はそれぞれ連行され、アニマポート内にある管理局の個室で尋問を受けている。私は首謀者ということで、何だか偉そうな人の部屋に連れて行かれた。
「エリカ・ハミルトン君。二十歳。大学生だそうだね」
ガタイのいい、ちょび髭の中年男性は私の詳細が書かれた書類を見ながら言った。軍人、それも結構上の階級の人らしい。
「キミはこのアニマリーヴ・プロジェクトの妨げになると判断された。以後、このプロジェクトに賛同する気がないのなら、ここに立ち入ることを禁ずる」
もはやしゃがれた声で、はい、と応える。
軍人は、引き出しからA4サイズの白い封筒を取り出し、机に置いた。その上に、蓋をするように組んだ両手が置かれる。
「キミは、どうしてこの運動を始めたのかね。地球と人類、お互いにタメになるというプロジェクトなんだよ?」
軍人は先程よりもずっと柔らかい口調で話しかけるが、私はそれを信じなかった。
「考えてみなさい。元を辿れば、全ては愚かな人間のせいになる。地球を救うには、人類がここからいなくなるしかないんだよ。宇宙開発にかけていた資金でさえ、全てアニマリーヴ・プロジェクトへ移っている。その理由は言わなくても分かると思うがね。
どの道、地上にある電気、ガス、水道……全てのエネルギー施設は停止する。これは決定事項だ。そうなった時、キミは一人で生きていけると思うのか?」
いいえ、と私は応えた。
昔のパニック映画のように、人類で唯一自分だけが地上で生き残るだなんて、そんな無茶なこと、出来るわけがない。
軍人は、さっきの封筒を私に突きつけた。
「今まで何も手続きをしていなかったんだろう? キミのような人間は、無駄にしたくない。これは餞別だ」
私は封筒を受け取らずに、軍人をきっと見据えた。
「……それは、私に対する憐れみですか?」
「違うな。未来への投資だよ、ハミルトン君。いつかキミが、プルステラでそのカリスマ性を発揮することを願いたいものだ」
封筒がもう一度突き出される。
私の右手が、意思とは無関係に吸い込まれるようにして封筒に触れた。
「それでよろしい。その身分証は、プルステラに行きたくても行けなかった者の分だ。既に登録の抹消は済ませてある。あとはアニマポートの申請所で必要な書類に記入して書き換えれば、三カ月後には当初の予定通りの日程でプルステラへ旅立てる」
私は眉を潜めた。
「……パスの持ち主は亡くなったんですか?」
「そんな顔をするな。今だって待ちきれずに死んでいる人が大勢いるのだ。そんな彼らの無念を、たった一人でいい、キミのような若者が引き受けてくれれば、浮かばれると思うんだがね」
「……私は、死後の世界なんて信じません」
「だったら、このパスは呪われていないだろう? 安心して受け取りたまえ」
悪質なジョークと共に、そいつは大声で笑いだした。
「おっと、名乗るのが遅れてしまったな。私の名はオーランド・ビセット。これから退役する軍人だよ」
そう言って握手を求めてきたが、私はそれに応じず、代わりにもう一度睨み付けてやった。
「また、どこかで会うとでも?」
オーランドは差し出したはずの手をひらひらと振ってみせた。
「さあね。そんな気がしただけだ」
食えない男だ。本当にどこかで再会しそうな気がしてならない。
「では、もう帰っていいぞ。良い旅を、ハミルトン君」
「ええ、どうも。ビセットさん」
最後まで気の抜けない挨拶をし、彼の部下に連れられて管理局を出た。
一緒に学生運動をしていた仲間は……どういうわけか、その後一人として連絡が付かず、再び会うことも無かった。
2018/04/05 改訂




