⑨
習志野さんの家はアパートだった。
「ちょと、散らかっているから少し待ってて」
といって、待たされたが部屋の物を動かしている音か聞こえてこなかった。中に入ってもあまり散らかっていない。家具が少ない殺風景な部屋だった。特徴といえば大量の本が詰め込まれた本棚くらい。
「一人暮らししてるんですか?」
「親と不仲でね。これ以上はあまり詮索しないでくれ」
そういって、座布団を渡してくれた。座布団に座るのは初めてだった。
「風呂は貸す。悪いけど、そのあとは知らない。自分で何とかしてくれ」
「あなたは、この後何をするんですか?」
「天城を追う。あの人は今回の事件にかかわっている。あの人は犯罪でもゲームのように楽しむからね」
「探偵みたいですね」
僕は素直にそう思った。
「ここまで、地味な探偵もいないだろうけど」と苦笑しながら習志野さんが言った。
「手伝いましょうか?」
「いい。あの人を止めるのが私の役目みたいなものだから」
「そうですか」
はじめは怖かったものの、この人にも慣れてきた。
私は留学生のために地図を描いた。行先は近くの警察署まで。
留学生は日本語が読めないらしいので、英語の説明も書いておく。
「ありがとうございました」
留学生は私の中学生の時の制服を着て出て行った。サイズはちょうどよかった。
その際「そういえば、なぜ私を避けてたんだ?」と聞いた。
わかってましたか、と彼はいい、こう続けた。
「昔会った、ある人物に怖いくらい似ていたんですよ。あなたの目が」
「へえ。どういう人だった? いい印象じゃないのは分かるが」
留学生は秘密にしておいてほしいと前置きして
「人殺しでした」
「……詳しく聞きたいけどやめておこう。じゃあね。フリードリヒ君」
「はい。さようなら。習志野さん」
彼が歩いていくのを見送った。
人殺しの目……か。
俺が連れてこられた場所は四階理科室だった。ここにはだいたい二十人くらいの人がいる。ここに五、六人の銃を持った男たちがいる。リーダーは筋肉質な体つきをした間宮という男だった。ほかには三村とかいうメガネをかけたいかにも切れ者というかんじの男が教壇あたりに立っている。
この平和な日本で、立てこもり事件の人質になるとは、思いもよらなかった。
現在、間宮が警察官と対話中だが、他のメンバーにも聞かせるためなのか電話の相手の話す内容も聞こえる。
「籠城を行っている犯人グループの代表、間宮だ」淡々とした声。
「今事件の警察の責任者、豊旗市警察本部長、室伏だ」
やや遅れて、声が応じた。
「こちら側の要求を伝える。こちらの要求は、日番谷事件の真相を公開すること。即時、日番谷を東京拘置所から釈放すること。この二点が受け入れられれば人質の生命を保証する」
「釈放には時間がかかるが……」
「引き延ばし戦術は無駄だ。こちらには数日以上籠城する用意がある」
「わかった。こちらも、なるべくそちらの要求に沿う形で話を進めよう警察庁に掛け合ってみる」
「どうも。では、本日午後十二時までに、そちらの回答を言ってもらいたい。言っておくが我々は強力な武装をしている。こちらはなるべく流血を避けるべく行動するが、攻撃があればその限りではない」
「わかった」
習志野さんの家を出た後、僕は地図を頼りに歩いてみたが、迷った。僕の方向音痴は筋金入りらしい。
やっぱり、くっついていくべきだったかも。
籠城事件があったのに、町は普段と変わらない。少し人が少なくなっているくらいである。大方テレビにでも張り付いているのだろう。
僕はしばらくぶらぶらしていた。と言っても相当長い間さまよっていた。習志野さんの家にもう一度行ってみたが、彼はすでにいなくなっていた。
異国の地で一人迷子か。声に出さずにつぶやいた。
その時聞こえてきたのは懐かしい鼻歌だった。そしてもっとも聞きたく無い鼻歌でもある。誘拐犯が歌っていた鼻歌……。
私は天城の行方を追った。情報局に連絡したがそっちらの方にも情報はないらしい。
彼の自宅にも言ったが新聞紙が何誌か突っ込まれていた。自宅に帰っていないのだろうか。
とはいえ、手がかりがないわけではない。私は天城の行動パターンをだいたい把握している。あとは地道な捜索である。
「やあ、留学生君」
鼻歌の主は天城だった。ドイツ語を話すその男は公園のベンチに座っていた僕の横に座る。習志野さんと会ったのだろうか。損なことより気になることがあった。
「その歌……」
前に誘拐された時に誘拐犯が歌っていた歌。
「君が脱出したということは僕の後輩にもあったわけだね」
「習志野さん?」
と言っておいて彼の本名を確認し忘れていたことに気が付く
「……? ところで、なんで君はここにいるのかな? 僕の家にくる?」
この男はいまだ正体がわからない。先ほど習志野さんが言っていた言葉も気にかかる。が、ついていくことにした。知りたいことがあったから。
私はずいぶんと歩き回った。候補に行きその場所を訪ねて一つ一つ消していくというやり方だ。が、運が良かったようでその日の暮れまでには見つけられた。
天城さんのアパートもずいぶん簡素な造りだった。入口から入ってすぐにトイレと風呂らしき場所があり、奥に部屋がある。僕はその部屋に通された。彼も一人暮らししているのだろうか。だけど、習志野さんの部屋と違いそこからは生活感が感じられなかった。
「何を聞きたい?」
地べたに座って缶コーヒーをあけた天城は僕にそう聞いた。
「はい?」
「顔に書いてあるよ。何が聞きたいんだい?」
と優しげな声
「あなたの歌。どこで聞いたものですか?」
天城は少し驚いた顔になった。
「どういう意味?」
「あの歌、どういう歌です?」
天城は黙ってコーヒーを飲むと微笑を浮かべながら言った。
「やれやれ、まさかね。はなしていたら長丁場になる。コーヒー飲めないなら何か買ってきな。下に自動販売機あるから」
そういって彼は僕にコインを渡した。




