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春は無慈悲な時の女王  作者: メイア
第二章 傷は優しい君の噛み痕
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3-11 哀しいことに、

哀しいことに、世界は愛があふれて窒息してしまった。


[11]


「大佐、今日のフタアイ君の検診の結果が届きました。身体面は異常なし。筋肉がだいぶついてきたようですね。精神面は……これも、異常なしです。乃至中尉とも仲良くやれているようですし、例の“亡霊”も現れていないようです」


 先程届けられたばかりの診断書の文字を隻眼で追いながら、フロルはルストゥルトゥに報告する。普通の能力者ならば、何か異常がない限りはわざわざ取り上げられはしないが、残念ながら鎌木二藍は普通ではなかった。彼には正体不明の“亡霊”が憑いているのだ。それも厄介なことに、養成学園の理事長、ブルレイン・ライナック――一線を退いたとはいえ、凶暴な“黒熊(オルソ・ネーロ)”と呼ばれ恐れられていた元S級の能力者である――に『化け物』とまで言わしめした強力な思念体だった。


「何もなくてよい、とも思えないですね。“亡霊”が早く学園から出たがっていたのなら、何かやりたいことがあったはずですから」


 困ったように眉を下げるフロルティアを、呆れながらルストゥルトゥは横目で見た。長い付き合いだから分かる。この大佐秘書、楽しんでいやがる。


「何をそんなに楽しみにしているのか分からんが、せめてフタアイ君の前でだけはその顔を隠しておくんだな。勘が良ければ気付くと思うぞ」


 恐らく抜け目のない彼女のことだからそんなヘマをやらかしはないだろうが、念のため釘を刺しておく。


「そんな、楽しみになんてしていませんよ。フタアイ君も大変だろうと心配しているんですよ、わたしは」


 淡く底の知れない微笑みを浮かべて美しい秘書は目を伏せた。匠の技による金細工のような睫毛が、残された片目に重なる。思いがけずじっと見つめてしまい、数秒後に顔を上げたフロルと目が合い、動揺のまま視線を逸らす。


「ねぇ、大佐」


 呼ばれるままに、従うことしかできずに、ルストゥルトゥはもう一度金色の瞳を真正面から見つめる。

 何度見ても、吸い込まれそうな強い瞳だ。愛染乃至の美しさも名高いが、ルストゥルトゥはフロルティアの気高さに敵うものを未だに見つけられずにいる。そう、初めて彼女を見た時の、胸を打たれたような衝撃から、ずっと立ち直れずにいるのだ。


「恐れは後悔を呼び、後悔は恐れを呼ぶんです。遺した強い後悔は、本人にとっては同時にとてつもなく恐いものです。過ちは、人を臆病にしてしまう」


「……誰のことを言っている」


何を伝えたいのか、惚けていた頭をフル回転させながらルストゥルトゥは慎重に言葉を発する。酷いことに、フロルティアの言葉は難解であればあるほど重要なことが多いのだ。嫌がらせというよりも、ルストゥルトゥを試し、鍛えているように思えるのは自惚れだろうか。


「哀しいことに、誰のことでもないの。誰もがそう。貴方も、そして私も」


 金髪に覆われた、もう開くことのない左目を、そっと撫でて笑う。

 慈しみに満ちた表情で。


「忘れないで。貴方のその両目で、見極めてください」



***********


 広い訓練場の一角で、少年二人が向き合っている。どちらも白と黒の動きやすい訓練用の服装で、体にぴたりとフィットしたスタイルが、どちらも華奢な体を強調していた。ふらり、白い髪を束ねた乃至が揺れたかと思うと、次の瞬間にズィルがマットレスの上に、勢いよく叩き付けられる。


「ありゃー、一本取られたなぁ」


「乃至お兄様ーかっこいいですー!」


 柔らかいマットの上でひっくり返ったままズィルはぶつぶつと文句を言う。


「なんやいつもより力つよぉない?まだ夜のことおこっとるん?それとも義妹(いもうと)にいいところ見せたいん?」


「ふん、お前が鈍ったんじゃないのか」


 口をとがらせる幼馴染に冷たい視線を向けながら、乃至はタオルを差し出す義妹に礼を言う。

 烏有がタオルだけでなく軽食も持ってきてくれて助かった。深夜に会議に行ったズィルが朝に帰ってきて、少し寝たあとこうして体術の訓練をしてから一時間ほどが経っていたので、ちょうど休憩を取りたかったのだ。


「そうですよ、ズィル。乃至お兄様は今成長期なんですから、どんどん力も強くなって、そのうちムキムキになるんです!今は後から来た二藍さんにすら筋肉量負けちゃってますけど、怠けてるズィルには負けるわけありません!」


「……烏有、なんでこの前からそんなに筋肉に拘るんだ。………そしてズィル、筋肉のことでお前に笑われる筋合いはない。お前俺より身長も筋肉量も負けてるくせに」


 烏有のわざとなのかわざとではないのか分からない乃至への棘は、見事に乃至の心に突き刺さり、ズィルの笑いのツボを刺激したらしい。マットレスからまだ起き上がらずに丸まって震えている茶髪の少年を、乃至は氷のように冷たい瞳で見下ろした。


「おーい、終わったよー」


 入口の方から二藍が顔を出した。どうやら検診が終わったようだ。


「おぉ、噂をすればなんとやら。どうやったフタアイ、身長伸びてたか?」


「身長?うん、三か月前より一センチ伸びてたよ」


 突然どうしたのかと二藍は首を傾げながら、三人を見る。ズィルはニヤニヤしているし、烏有は口元を袖で隠した。そして乃至の顔色は悪い。


「三か月で……一センチ?」


 まるで信じられないかのように繰り返す乃至に、ますます心配になる。


「うん、そうだけど…成長期だしね。ふつうそのぐらい伸びるもんじゃない?」


 とうとう耐え切れずにズィルが噴き出した。


「ナイシぃ、残念やったなぁ。フタアイは身長もっと伸びるでぇ。諦めぇな」


「そろそろ黙らないとほんとに殴るぞ……」


「あぁ、乃至の身長の話だったのか。うーん、日本人からしたら別にそこまで背が低いと思わないけどなぁ。……それに、親戚の人たち見る限り、僕も平均より背が高くはなるだろうし」


 二藍は親戚の男たちを思い浮かべる。日本人にしてはどの人も高めに思える。


「それぐらいにして、お昼食べましょう。乃至お兄様は縦も横も足りないんですから、ちゃんと食べないと」


 烏有が流れを切って、二藍が追加で持ってきた食事を広げ始める。義兄にまたもや棘を突き刺しているのを分かっているのかいないのか、乃至はがっくりと肩を落とした。


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