3-10 恐怖
冷たい石畳の上を二藍は歩いていた。建物の外からは子どもたちの笑い声が響いていて、時折年長の少年が窘めているようだった。困ったように「こらっ!」と叱る少年の顔が簡単に思い浮かんで思わず吹き出せば、隣を歩いていた男も一緒に笑う。
「相変わらず楽しそうだね」
顔の見えない男に頷いて応えながら、窓から差し込む日の光に目を細める。
ここは、楽園のようだと思った。
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「ーーあい、ふたあい!」
揺さぶられて目を覚ます。夢の余韻か、子どもたちの笑い声がまだ聞こえるように思える。
「……ない、し?」
人間離れした美貌が、困ったように二藍を見下ろしている。朝から見るには少し眩しすぎる顔だった。
「今日は鎌木が定期診断だろう。そろそろ起きて仕度しないと、遅れるぞ」
二藍は慌てて枕元の時計を覗く。大急ぎというほどではないが、テキパキ動いたほうが良さそうだ。
「起こしてくれてありがと。乃至は今日はどうするの?」
「多分、ズィルのお守りだな。あいつ、自分の身分笠に着て悪ふざけすることあるから、見張っておかないと。……一応お付の人たちがいるんだが、自分達の当主を第一にし過ぎて宛にならないんだよ」
乃至は遠い目をして乾いた笑顔を貼り付けている。ズィルは果たしてどんな悪ふざけをするのか気になったが、二藍は賢明にも口をつぐんだ。
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一ヶ月に一度であったり、三ヶ月に一度であったりと、人によって程度は様々ではあるが、能力の有無に関わらず、戦闘員は定期検診を受けるのが決まりだ。身体だけでなく精神の健康も保つためにカウンセラーと一対一で話すことにもなっていて、その診断によって任務の内容や量も変わってくるらしい。
二藍は定期検診は月に一度、まだ能力者としての経験が浅いこともあり、特別検診を任務後に毎回受けることになっている。
「やあ、こんにちは。フタアイくん」
いつもと同じ様に医療スタッフによる検査を受けたあとに、もうすっかり顔馴染みになったかカウンセラーのケイディの元へ赴く。
「昨日からどうも騒がしいと思っていたら、ラジレオンのご当主様がいらしているようだねぇ。僕らにとっては雲の上の人だけど、皆一目でも見たいとそわそわしてるよ」
ケイディはまだ若い医療スタッフ兼カウンセラーで、彼に似合う擬音を挙げるなら真っ先に二藍は「ふにゃり」だと答えるだろう。垂れた目尻と緩んだ口元が特徴的だ。
おっとりした雰囲気はカウンセラーとして優秀な証なのかもしれない。
「僕も、雲の上の人だと思ってたんですけど、乃至と幼馴染らしくて…昨日の晩は一緒の部屋で過ごしてたんです」
ケイディは驚いてちょっと仰け反り、でも納得して、
「もう慣れてたけど乃至くんだって似たようなものだものねぇ」
と呟いた。
「ズィルから…少し乃至の話を聞きました…。小さな頃から戦闘に参加していて、皆の希望だったと」
「そうだねぇ、懐かしいなぁ!僕がまだ研修中の頃だよ、彼が戦場デビューしたのは。当時は賛否両論みたいだったけど、兎にも角にも能力者が足りなくてねぇ。その時は愛染家の当主様すら殉職なさったぐらいだから、酷いものだったよ」
穏やかな口調に切なさが混じり、目線は二藍の知らない過去へ注がれている。
「乃至くんは、確かに希望であり、今も英雄さ。特に養成学園の生徒たちには大人気らしいよ」
確かに養成学園にいた時、時折生徒同士の話で乃至の名を聞いた覚えがある。……あまり 以外と話さなかったよで詳しくは聞けなかったが。
「…僕は、自分が乃至のパートナーでいいのか、少し不安なんだと思います」
二藍は自分が乃至の横に立つことに、焦りに似た何かをじわじわと感じるようになっていた。自分でもよく分かっていないその正体。けれどもそれは、乃至の前のパートナーへの興味という形で現れ始めていた。
その理由は、乃至が特別だからなのだろうか。
「フタアイくん、君はまだ新人なんだよ。乃至くんは歴戦の戦士だ。2人を比較しようなんて馬鹿げたこと、だれもしやしないさ」
乃至が特別だから?それで自分を卑下して焦っている?
そうなのだろうか。
混乱した頭の中で、鐘の音と歓声が聞こえる。どこからだろう。誰の声だ?
なぜ自分は乃至の側にいることに苦しさを覚え始めたのだろう。最初は嬉しかったのだ。また会えて、共に生きることができて。
なのにどうして?
乃至と自分を比べている?
「違う」
そうだ、違う。
「僕は、恐れている」
鐘の音。響く歓声。両手を握られ、握り返す。あの温もりを恐れているのだ。
「恨まれることも、憎まれることも、当然のことだから、」
「フタアイ、くん?」
遠慮がちにかけられた声に、いつの間にか俯いていた顔を上げる。
「僕は、恐れているんだよ」
自分の喉から出た声が、まるで別人のように聞こえて、瞳を閉じた。
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「はい、これで今回はおしまい。次回のカウンセリングの前に、もし気になることがあったら、遠慮せずにいつでも声かけてくださいね」
穏やかな声に二藍は瞬いた。
「……え、」
呆けた二藍に、ケイディは首を傾げて覗き込む。
「どうしたの?ぼうっとして。もしかして、何か聞きたいこととかある?」
聞きたいことも何も、今の状況がよくわかっていなかった。頭が靄がかって、混乱したまま辺りを見回す。
鐘の音もしなければ歓声も聞こえない。当たり前だ。医療ブースには入院中の患者もいるのだから、周辺からは大きな音の出るような施設は遠ざけられている。いつも通りの診療室と、きょとんとした表情で不思議そうに二藍を見つめるケイディの姿。
「ーーーー!?」
二藍はようやく自分が診療を終えたところだと理解した。
『もしかして、俺寝てた?!』
一対一のカウンセリングでとんでもないことをしていたと青くなり、慌てて「なんでもないです!」と叫ぶと、「それならよかった」と微笑まれた。二藍の居眠りを全く気付いていないのもどうかと思ったが、彼を困らせないでよかったと安心した。戦闘で殺伐とした人々の中には彼の穏やかな笑顔に救われる者も多いはずだ。彼の表情を曇らせたくない。
お礼を言って部屋を出る。そのまま住居ブースに続く回廊を歩いていると、子どもたちがはしゃぎながら二藍の横を通り過ぎて行った。楽しそうな様子に思わず頬を緩める。
「楽しそうだな」
そう言いながら横を向く。見えるのは、石の壁だ。
「あ、れ……?」
今自分は誰に話しかけたのだろう。
首を傾げて、けれどさして気に悩むことなく、二藍は再び歩き出した。




