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春は無慈悲な時の女王  作者: メイア
第二章 傷は優しい君の噛み痕
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3-4 流れるということ

どこまでが運命で、どこまでが決断か?



[4]


 こうして“H.A”で生きている今は、二藍自身がそう望んだというよりはやむを得ない流れに身を任せた結果に過ぎないと、自分でも分かっている。


 本家に言われるがままに職人見習いを諦め、しばらくして結局見習いになり、“H.A”に言われるがままに今までの生活を捨てた。


 姉が次期当主の朽葉と婚約した後に指示された見習いとしての暮らしは針の筵で、全く辛くなかったといえば嘘になる。けれど、自分が幼い頃に憧れた職人になれるという純粋な喜びと、やっと姉の役に立つことができるかもしれないという期待が二藍をその場に留まらせた。

 鎌木家本家のある家族が跡取り不在で絶えようとした時、分家から迎えた養子が二藍の父だ。分家出身で職人でもなかった父が本家の人々にどのような扱いを受けたのかは知らないが、適齢期を過ぎても本家の血筋では結婚相手が見つからず、分家から母があからさまな政略結婚で嫁いだというのは、見習いの頃に嫌がらせの一環で懇切丁寧に教えられた話しだ。


 恐らく、その話は殆ど真実だろうと二藍は思っている。


 二藍の両親は子供の目から見て明らかに不仲だったし、父が出張の多い仕事をしているとはいえ一緒にいる姿はここ数年見ていなかった。幼い体を邪魔そうに抱き上げられることはあっても、愛おしげに抱き締められることはなかった。

 手をあげられたことこそなかったが、放置に近い扱いを受けていた二藍がグレずに育ったのは偏に姉である枯野の存在があったからだ。誰から見ても優秀な姉は年の離れた弟を可愛がり、いつもは優しく時には厳しく育て上げた。二藍自身やや内向的なところもあり、いつもそばにいてくれる姉に甘えつつも、姉の迷惑にはならないようにいい子になろうと頑張ったものだ。

 職人見習いに選ばれなかった十歳の時には、自分の憧れる職人になれないという落胆だけでなく、選ばれれば姉も鼻高々だったのにという思いもあった。


 それから、思いがけず十三歳で選ばれてしまい、周りのやっかみを受けつつ奮闘していたのを思い出す。 今では遠い出来事に思える今までの日常。

 十五年間の二藍の“世界”を失ってから、半年。


 たった半年と言えばよいのか、まだ半年だと言えばよいのかは分からない。


 寂しくないと言えばうそになるし、不安などないと言えばただの虚勢だ。

 幼い頃からの夢をかなえることはもうできない。

 世話をかけた姉には恩返しができないどころか、もう会うことすらできないかもしれない。

 自分が明日生きているという保証すらない。



 ―――でも、これでよいと思うのだ。

 “H.A”で事務仕事をして暮らすより、自分にしかできない方法で活躍した方が心が楽だ。――たとえそれが、命を危険にさらす行為であっても。


 流されるままに辿り着いたこの場所で、色々な人の反対を押し切り、心配を掛けながらも、僅かな反抗として戦闘員として生きる。

 そうでもしなければ二藍を取り巻く大きな流れに完全に押しつぶされてしまうように思えた。



「鎌木、」


 乃至の呼びかけに顔を上げる。とりとめのないことを考えていたせいで、先程までべらべらと枯野のことを喋っていたのにも関わらず黙り込んでしまっていたようだ。きっと不審に思ったに違いない。


「ないし、急に黙っちゃって―――」


「“H.A”の暮らしは快適か?」


「え?」


「何か不自由していることはないか」


 突然何を言い出すのかと横で湯船につかる少年を見る。端正な造作の面は当然横顔も整っていて、湯で体が温まっているためいつもより血の気のある肌が幾分作り物じみた印象を消している。洗い終わった白く長い髪は後ろでまとめられ、湯船につからないようにしているところが真面目な乃至らしい。


「俺は鎌木の……パートナーだ。パートナーの生活管理も任されている。君の精神衛生にも気を配るのが当たり前だ。だから何かあったら言ってほしい。どんなに小さなことでも報告してくれて構わない。鎌木がここで遠慮する必要はどこにもないんだ。鎌木は本来なら戦う必要すらないんだから……いや、そうじゃなくて、」


 少しだけ言い淀む乃至は、少しだけ宙に視線をさまよわせた。


「俺のできることは、したいと思ってるんだ。君をこちらの世界に引きずり込んだのは、俺なんだから」


 思いがけない言葉に、二藍は薄茶の瞳を見開いた。


「俺達があの時君にもっと配慮していれば、君は共鳴しなかった」


「…そんなふうに考えてたの」


 闇に襲われた二藍の記憶を改ざんするために近づいた乃至の部下であるディフェリル・ザリアントから逃れるためにぶつかった古箪笥。恐慌をきたした二藍が手を伸ばしたのは二藍色の糸の束。眩い閃光が目を刺して、二つの鼓動が重なる。

 ――今もまだ鮮明に焼き付けられた、共鳴の記憶。


「あれは…共鳴は、誰のせいでもない。勝手に勘違いして怖がったのは俺だし、糸の入った引き出しを自分であけたんだから」


「どうせ記憶を消してしまうから、君の恐怖も混乱も蔑ろにした。巻き込まれた一般人を丁重に扱うなんて当たり前のことを、俺は怠った」


「乃至のせいじゃない」


「俺のせいだ」


「違う」


「俺が君を巻き込んだ。君が十五年間生きてきた世界を奪った」


「違うって言ってるだろ!」


「だから、」


 青空を思い出させる瞳が、二藍の薄茶の瞳を射抜く。

 驚くほど凪いでいる双眸に、否定の叫びも喉の奥に引っ込んだ。一瞬、息を止めた。


「君は俺に八つ当たりぐらいしたって、全然かまわないんだ」


「……は、」


 乃至が柔らかく微笑む。聖者のような表情が、どことなく枯野に似ていて毒気を抜かれる。


「遠慮しないで、何を言ったっていい。俺は君がここにいる原因なんだから」


「……乃至は、結構恰好つけるよね」


 溜息がこぼれる。乃至は結局『悩み事は相談してくれ』と言いたいのだとようやく分かった。


「回りくどいし、大げさだ。俺の共鳴のことまで持ち出して、全部自分のせいにして……」


「回りくどかったのは謝るが、共鳴はどっちにしろ俺のせいだろう」


「違うよ」


「平行線だな」


「頑固者。その自己犠牲精神どうにかした方がいいんじゃないの」


「姉さんや烏有にもよく言われる。自分を雑に扱いすぎるって」


「分かってるんなら直しなよ」


「これくらいしかないからな」


「何が」


「俺が他人にあげられるものが」


「は?」


「のぼせそうだし、そろそろ上がろう」


 それ以上何も言うことはないというように、乃至は湯船から出ていく。その背中に、呼びかける。


「乃至も、なんかあったら俺に言ってよ」


 虚を突かれたように振り返る。きょとんとした顔に、少しだけ溜飲が下がる。


「パートナーの精神衛生は、俺が守らないといけないんだから」


 にやりと笑えば、乃至の相好が崩れる。



「――ああ。ありがとう、鎌木」



 名字呼びが相変わらず気にくわないが、ひとまずは良しとすることにした。



「ああ、それと一応言っておくが、俺の姉に鎌木ははもうとっくに会ってるよ」


「は?」


「ミス・フロルのフルネームは、フロルティア・アイゼンだ」


「ええぇぇっ?!」


“H.A”の家族事情は、予想がつかない。

その日、二藍は改めて思い知った。

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