2-13 卒業
――それはまるで、明日に噛みつくように。
[13]
「卒業考査合格者を発表する!今回は一名のみ、戦闘クラス所属のフタアイ・カマギだ!」
熱血漢として知られる教師の喧しくも簡潔な発表に講堂に集められた生徒たちは大きくどよめいた。私も驚いた一人だ。
『ちょっと暴れちゃったみたい』とのフタアイの言葉にもしかしたらとは思っていたけれど、本当にたった三ヶ月で卒業してしまうなんて。ちょっとどころでは済まないことをやらかしたに違いない。
フタアイは好奇と畏怖の視線に晒されながら気まずそうに壇上に上がった。騒がしい中で制服のシャツの上から真新しい黒の軍服を羽織らされ、合格証書代わりの勲章を左胸の双頭の狼の紋章の下につけられる。―――そして、学園長のお言葉も合格者が述べる一言も何もかも放り出して、フタアイは突然壇上を飛び降り、意表を突かれて思わず道をあけた生徒たちの間を駆け抜ける。どこぞの宗教の神話のエピソードで海が割れるのがあったと思うが、まるでそれを見ているようだった。
隣でリリアがぽかんと口をあけている。
「何よあれ……」
「あいつ、逃げやがった!」
「どこ行ったんだよ!?」
我に帰った生徒たちがあちこちで声を上げる。講堂は興奮した生徒たちとそれをなだめようとする教師たちでひどい騒ぎだ。
「リリア、私ちょっと抜けるね」
「え?ナタリア!?」
リリアに声をかけて講堂を後にする。お祭り状態の講堂では一人生徒が減っていたってたいして気にかけられることはないだろう。
フタアイが出ていく瞬間、私と目を合わせこっそりと微笑んだのは見間違いではないだろう。
きっと彼は、あの空き教室にいる。
******
「合格おめでとう、フタアイ」
案の定いつもの空き教室にいたフタアイは、私が声をかけると振り返りはにかみがちに笑った。
「ありがと」と返す彼の横の席に私も腰かける。彼は椅子の背もたれに左側を預け、窓の方を向いて座っている。
今日はよく晴れていた。新たな旅立ちにはふさわしい日だ。彼が羽織ったままの軍服に柔らかな光がはね返って、私は目を細めた。
「どうして講堂を飛び出していったの?みんなあの後大騒ぎだったわ」
責めるというよりも面白がって私は尋ねた。空き教室に響く自分の声に克明に感情が乗り移っているのに驚いた。いつの間にこんな声が出せるようになっていたのだろうと胸のあたりがぎゅっと締めつけられるように感じ、そしてきっと最初の最初から出せていたのだろうと思い至る。
総て封じ込めたのは私自身だ。臆病に負けて停滞を選んだ私が、私の表情を、声を凍りつかせたのだ。
「明日にもすぐにここを出ていくことになるって聞いていたから。もうこうして二人っきりでのんびり話しできなくなるなって思ってさ。すっごいどきどきしたけど、案外やってみると簡単だった」
ちらりとこちらに目を向けたフタアイの薄茶の瞳はどこまでも優しくて――私は彼が私の決心を悟っていることに気がついた。それでも改めて言葉に出していく彼は、きっと言葉として伝えることの大切さを知っているんだろう。
「俺、自分が軍人になったなんて、全然実感わかないよ。自分が能力者になったことすら、未だに夢なんじゃないかって思うことすらある」
「フタアイ、」
「やっぱり、まだ怖いんだ。こんなこと言ってごめん。ナタリアも、他の生徒のみんなも、一人前の能力者になって、ここを卒業することを心の底から望んでいて、卒業できる俺がこんなこと言うべきじゃないってわかってるんだけど」
「……フタアイ。私は、貴方とここで出会えたことが、私にとってとても幸運なことだったと思う」
「……」
「たとえフタアイ自身が“H.A”に来ることを望んでいなかったとしても、悔やんでいたとしても、私はフタアイに出会えてとても喜んでいる。貴方が能力者になってくれて、良かった」
「俺は…何もしてないよ」
「そんなことない。フタアイが話しかけてくれなかったら、私はずっと“氷姫”で在り続けたと思う」
「ナタリアは、“氷姫”なんかじゃないよ。俺に会う前から、そんなものじゃなかった」
真剣な瞳で私の言葉を否定するフタアイに、私は小さく首を振る。そう言ってくれるフタアイだからこそ、私は出会えたことを僥倖だと思うのだろう。
「私、とても久しぶりに、逃げずにいろいろと考えたの」
――私は、フタアイから目を移し、窓の方に、光の方へと向き直る。
「私、前に進むわ。もう、留まるのは嫌だから」
「そっか、応援するよ、ナタリア」
「貴方は、どうするの?フタアイ」
目線を向ければ、フタアイも窓の方を向いていた。私の方を見てはいない。それでいいのだと、私は理解した。目線を交わすことなく、フタアイは口を開く。
「俺はこれから能力者として、大切なものを守るために戦うよ。それが今度こそ奪われちゃいけない俺の夢だ」
少し吊り上がり気味の眦は猫を思わせる。けれど彼の言葉は気儘な猫というよりは主人に忠実な犬のようだ。一度裏切られたぐらいではその身を捧げるのをやめはしない。
柔らかな光は正面から浴びれば思いの外眩しくて。目に沁みるようなその刺激に耐え、私は前を見続けた。
―――行かなくちゃ。
その先に何が待つのかは分からないけれど。甘い期待なんてできなくて、苦しめて苦しめられるだけなのかも知れなくて怖いけれど。でも、それでも――――
フタアイが三か月前から変わらない人の良さそうな声で、穏やかに告げる。
「ナタリア、あいつの所へ行っておいで。今は、屋上にいるはずだから」
*******
扉を開ければ、そこには彼が立っていた。
何の障害物もない屋上の青空と彼の柔らかな髪の色は美しい調和をなしていて、ずっと前から好きだったその瞳は静かに凪いでいる。
突然現れた私に驚くことのないその様子。私を待っていてくれたのだろう。
―――待っていてくれたのだろう。何年も。私が彼を切望していたように、彼もまた私を待っていたのだ。
ずっと、私は自分の心を凍り付かせて、欲するものを手に入れるその難しさに怯え、向き合うことから逃げていた。
でももう、それも限界なのだ。私たちは、再び出会ってしまった。互いの想いが変わらないことも、知ってしまった。
「お待たせ」
「…俺こそ、お待たせ」
ほら、僅かに緩められたその口元。その表情を、私はずっと見たかった。
たとえ見えなくとも少し手を伸ばせばいつだって、その笑顔を手に入れられる道は私の前にあったのに。
「私ね、ずっとずっと願っていたことがあったの」
「それは奇遇だな。俺もだ」
まるで秘め事を囁くように言葉を発すれば、彼は泣きそうな顔で笑いそれに応えた。
私たちはもう、次の言葉を知っている。
交わしてしまえば引き返すことができないと理解わかっていたから、再会してしまえば歯止めがきかないと悟っていたから、私たちはお互いを避け続けていたのだ。
彼の唇が、私の唇が、言葉を紡ぐ。
「ずっと、一緒に居たい」
どちらともなく歩み寄り、そのまま固く抱き合った。
記憶よりも何回りも大きくなった彼に包まれ、瞳を閉じる。
彼の体温に、芯まで凍り付いていたはずの心が融解を始める。もう止まらない。止める気もない。私は、彼に解かされて、このまま一つになってしまいたいと願う。
温かくなったら、これからのことを二人で話そう。貴方と私が、一緒に歩けるのなら、私はどこへだっていこう。おとうとの背中を見守るのではなく、貴方と一緒に、この世界を見回そう。この広い世界のきっとどこかに、私たちの居場所があるはずだもの。
そしてこの先、どこかでまたフタアイに出会うときは、きっと――――……
次回は第二章最終話。エピローグ的話です。




