2-9 暴走
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「何の用ですか」
無表情を装いながら私は目の前の男子生徒を見つめた。手のひらに薄く汗をかいていた。喉も乾いている。
ブロンドの髪に、こげ茶の瞳。冷たそうな作り笑いは、以前会った時の恐怖を呼び起こす。
「そんなに連れなくしなくてもいいだろう?これから長い付き合いになるんだし」
「貴方と長い付き合いをする気はないわ」
「君になくとも、こちらにはあるさ」
「“こちら”とはどちらのことかしら?トレフスキー家?それとも私の伯父上……いえ、伯母上かしら?」
僅かにその瞳が揺れるのを見逃さない。
やはり、と確信した。どうやら伯母上――父の兄の妻であり、病弱な父の兄の代わりに父が家督を継承したことを未だに根に持っている――はまた面倒なことをしているらしい。
馬鹿なことを、と思う。
「私はトレフスキーの家に戻るつもりはないわ。私が勘当されてティレフス家の養子になってから、何年たっていると思っているの?私はもうトレフスキー家の人間じゃない。そして何より、あの家にはもう正式な後継ぎがいる。代々のトレフスキー家の家督のように攻撃系の能力者でないにせよ、彼は家柄も能力も申し分ない」
こんなに続けて話すのは久しぶりだ。緊張と恐怖で鼓動は早くなっているし、背筋には嫌な汗が流れたけれど、ここで私は明確な意思を示さなければならない。そうしなければ、私の大切なおとうとに、迷惑がかかってしまう。―――それだけは嫌だから。
「貴方が伯母上に何を吹き込まれたのかは知らない。けれど、トレフスキー家に戻ることを許すほど父も母も甘くはないし、私も戻りたいとも思わない」
私のあまりにもきっぱりとした物言いに、目の前の男は目を瞬かせた。無口で有名な“氷姫”がこれほど饒舌になるとは予想外だったのかもしれない。
「あーあ……断られちゃったなぁ」
溜息をついて目元を覆い、彼は大げさに天井を仰ぎ見る。言っている内容とは裏腹に、全く悔しそうな様子は感じられない。もしかして、この男子生徒は伯母に無理を言われていやいや私を相手にしていたのかもしれない。それならここまで拒絶されれば無駄だという報告を彼女にしてくれるだろう――と、私の中に一瞬よぎった淡い期待は打ち砕かれた。
「乱暴なことは、ァ、したく、ナかったんだけェど、なぁ……?」
ざわり、と全身総毛立った。
ほぼ本能で後ろに跳躍すれば、直前まで私が立っていた周辺の机や椅子が騒がしい音を立てて薙ぎ払われた。……男子生徒のジェメッラであろう長剣によって。
「……避けんなよォ」
片手で目元を覆っているせいで唇の両端がいびつに吊り上った口元でしか表情が判別できないが、間違いなく彼は狂気に支配されていた。正気ではない様子の彼に、後ろで傍観していただけだった腰巾着の二人組が焦ったように声を上げる。
「な、何やってんだよロベルト!」
「突然どうしたんだよ、お前!」
そんな二人を緩慢な動作で振り返ると、彼は何も言わず長剣を横に凪いだ。
「ぐぇっ……!?」
潰された蛙のような声を上げて二人は教室の壁に叩き付けられた。剣の間合いには、入っていなかったはず。どうして、そんな疑問を抱く暇すら与えず、こちらに再び向けられた殺気に応えるように床を蹴る。木のタイルでできた床が文字通り木端微塵に破壊された。
「あー、おしぃ、な」
壊れたスピーカーのように耳障りの悪い声が鼓膜を突く。
「……!」
男子生徒の魄動と彼の長剣の魂動は、見たことも無いほど荒れ狂っていた。陽炎のように長剣を包む白い光は、共鳴の時以外は本来なら目視できるわけもない二つの波動そのものだ。
「う、そ……」
思わず私の口からこぼれた言葉を押しつぶすように、空気を震わせ魄動と魂動が心臓の音のように脈打ち始める。びりびりと腹の底に響く音に私は動けない。二つの波動が段々とズレ始めていることへの恐怖しか覚えられない。
共鳴によって重なっていたはずの魄動と魂動がその響きを異にしたその先に待つものは、能力者が最も恐れる能力の暴走だ。本来は共鳴した時から一致している二つの波動がずれ、完全に失調してしまうと、力の暴走が起こり、その能力者は命を失うことになる。本人だけでなく周りの人間にも暴走は牙をむき、二次的効果として能力者を非能力者に変えてしまうことさえある。
能力者が最も忌避する事態が今、私に迫っていた。




