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春は無慈悲な時の女王  作者: メイア
第二章 傷は優しい君の噛み痕
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2-6 相応しさ

――――目隠しをした子どもに、それを指摘してはならない。



[6]



「ねえナタリア、一人で二つ以上のジェメッラと共鳴することって、あるのかな?」


 いつもの昼休み、空き教室で二人とも昼食を摂っていた。今日のメニューはさっぱりとした塩だれのおいしいバーガーである。


「共鳴やジェメッラについてはまだわからないことが多いから、絶対とは言えないけど、二つ以上と共鳴することはまずないと思うわ。……少なくとも、前例は聞いたことがない」


 “魂の伴侶(アニマ・ジェメッラ)”が複数いるなど、とんだ浮気性である。


「ただ、共鳴をしないけど能力を持つ人たちも存在する――真家のルヒトリト家には、共鳴をせずに能力の行使ができる者がいると聞いたことがある」


 誰が言い出したのかも分からない噂に過ぎないが、何しろあの家は創設者の双子の子孫なのだ。何が起こってもおかしくはないのだからあり得ないなどとは言えない。


「ルヒトリト家か、……それはないな、俺は姉さんとも親ともそっくりだし、親戚とも結構似てるし」


 フタアイの独り言のような呟きに、ようやく彼が自分のジェメッラについて話していたのだと思い当たった。あのナイフが何なのか、未だにわかっていないらしい。


「あのナイフ、今はどうなってるの?」


「あの後、ナイフの柄の部分に巻かれていた糸をほどこうとしたんだけど駄目だった。いくら糸を柄から巻き取っても、一向に減らないんだ。さすがにジェメッラを切るわけにはいかないからそのままにしておくことになったけど、一晩経ったら何事もなかったようにナイフが消えてた」


 フタアイはそっと腰に付けたジェメッラが巻かれた器具に触れる。ナイフが収納されるスペースは、そこにはなかった。


「その後しばらくは、ナイフが出てくることはなかったから、もしかして他の生徒のいたずらだったのかもしれないなんて思ってたんだけど……理事長の前でやった模擬戦闘で、気付いたらあのナイフが出てきた。しかも、俺はそのナイフを使って戦ってた」


「ナイフ、使えるの?」


 ナイフを戦いのために使うことなど、今までのフタアイの人生ではそうそうあるとは思えない。無意識に使っていたということなのか。


「ううん。キャンプで魚をさばいたり、果物ナイフでリンゴ剥いたりしたことはあるけど、人に向けることも、それで戦ったことも一度もない。でも、糸に繋がれた二本のナイフを、俺はこの手で動かして、投げて、先輩たちを攻撃した。夢中で動いてたからあまり覚えてないけど、戦闘が終了した時、血の付いたナイフを握りしめてた」


 その光景を思い出したのか、フタアイの拳が握られる。模擬戦闘では切り傷や擦り傷は絶えないが、痛い思いはしても余程ひどいものでない限りはすぐに医務室に行けば常駐している治癒能力者に治してもらえる。上級生たちの傷も、致命傷には到底至らない程度のものだろう。

 ただ、初めて人を刃物で傷つけたことは彼にとっては良い思い出ではないのだ。幼い頃から慣れている私も、正直に言えば誰かに怪我をさせてしまうのがとても心苦しい。“H.A”に生まれた者は、能力者として、兵士として、何かを傷つけることを恐れないように育てられるが、それでもクラスメイトをジェメッラで貫く感触には鳥肌が立つ。訓練ではお互い様なのだが、それでもだ。



「なんというか、改めて今までとは違う世界で生きてるんだって思った。別に誰を殺したわけでもないのに、血の色が網膜に焼き付いて離れないような気がした。……すごく、怖いと思った。能力を持つことも、使うことも」


「フタアイ、」


「でも、俺は能力者で在りたいんだ。早く一人前になって帰ってくるって、約束したから。だから、絶対に止まらない」


 誰との約束かはフタアイは言わなかったけれど、その薄茶の瞳はとても穏やかに凪いでいた。初めてフタアイが同い年だと実感できた瞬間だった。元からの童顔や小柄な体格もあるけれど、いつも無邪気な笑顔ばかりなので、いつの間にか同級生というより後輩のように思っていた。

 けれど、何故だろうか。そんなフタアイの落ち着いた瞳より、私はいつもの稚気のある方が好きだと感じた。だって、そんな何もかも悟った大人のような眼は、彼には似合わないのだ。


「貴方は、とても戦いたがっているように見える。どうしてそこまで急ぐのか、私にはわからない。この学園を急いで卒業したって、自分の寿命を縮めるだけじゃない。どうして戦いたいと思うの」


 フタアイに、戦場は似合わない。

 その幼く見える見た目の問題ではない。彼の本質的なものだ。

 へらりと笑うその表情を、感情を表すことのない私と時を共有し続けても苛立つことのないその優しさを、些細な好意も掬い取ってくれるその素直さをどうすれば戦いの中で生かせるというのだろう。


 やめてほしいと思った。


 一人前の戦闘員になんて、ならないでほしい。戦いなどのないところに、逃げてしまえばいい。

 私が戦うから、貴方達()の分まで戦うから、だからお願い。



「前にも、同じようなことを聞かれたことがあるよ。その人は、とても俺のことを心配してた。それに、俺が共鳴したことに、とても責任を感じていた。……そんな必要、何処にもないのにさ」


 そう言ったフタアイの微笑みは切なげで、どこか遠くに思いを馳せているようだった。


「これは俺がアドバイスされたことで、自分で考えたわけじゃないんだけど。………大切なものを守るために戦いたいと思ってる。今度こそ、俺の居場所も、夢も、誰にも奪われたくないんだ。もう、あんな思いをするのはこりごりなんだよね」


「だから、戦うの?」


「うん。今は分からなくても、俺にはきっと大切に思うものができると思う。その時、それを守れなかったら、きっと今みたいに後悔する」


「………」



 フタアイはそう確信しているようで、その瞳には一点の曇りもない。それは私より何倍も“H.A”の戦闘員にふさわしいものだ。ただここに生まれたから、戦う私とは違う。生きた瞳。そこには意志がある。

 でも、貴方はとても大事なものを見落としているわ、フタアイ。



「貴方自身は、貴方にとって大切なものではないの?」



 フタアイは、大切なものを守るためだというけれど、その中にはフタアイ自身は含まれていないのか。居場所だとか、夢だとか、そんなものはフタアイの付属品で、フタアイ本人には代えられないのだ。


 驚いたように、いや、初めて気付いたようにと言ったほうがいいだろう、フタアイが薄茶の瞳を大きく見開いて固まった。窓から一陣の風が私たちの間を吹き抜けていく。


「貴方自身よりも優先すべきだと思っているのかもしれないけれど、だとしたらどうして優先できるの?」


 たとえ今大切にしているものでも、人は自分の命を危険にさらしてまで守ることをそうできるものではないのだ。まして、いつかできる、なんて不確かなもののために自ら危険に飛び込むなんて、余程のことがなければできない。突然今までの生活を壊され、こちらの世界で生きることを余儀なくされて冷静ではいられなかったのだろうが、今は落ち着いてきたはずだ。それでも、彼はまだ自分の“付属品”を自分より大切なものと考えている。……殉教者のような眼をして。



「フタアイ。貴方は、貴方を見ようとしていないの?」


 真っ直ぐに見つめ返せば、フタアイは何かを言おうとするかのように口を僅かに開いて、けれど何も言わずにまた閉じた。そしてゆっくりと瞬きをして、―――



「それ以上は言わないでやってくれるかい?ナタリア嬢」



 もう一度開かれた瞳はあの淡い茶色などではなく、苦い紅茶を思わせる濃い色をしていた。




************




「おい、何やってんだお前」


 今日は教官たちに会議があるだとかで授業が午前中だけで終わったため、昼寝でもしようと自分の寮室に帰ってきてみれば、最近よく言葉を交わしている編入生がドアの前に立ち尽くしている。

 二か月前に編入してきたこの少年に一度助けられて以来、俺は時々相手の寮室に行ってだらだらと何をするでもなく駄弁っている。フタアイもフタアイで特に気にする様子もなく座学の勉強をしたり小説を読んだりしていて、勉強で分からないところや知らない“H.A”での常識と呼ばれる知識を俺に聞いてくるのでそれなりの仲と言えるのかもしれない。


 フタアイと初めて会ったあの日、俺の前に現れた『フタアイであってフタアイからかけ離れた者』は一体なんだったのか、未だに俺には分からない。それとなく尋ねてみても、あいつは全く覚えていないみたいだったし、過去に二重人格になったことも無いようだった。フタアイが多重人格なのだという可能性は高いはずだが、俺はどうしてもそうとは思えなかった。……俺の出生がトレフスキー家ではないことを知っていることや、適当に血とメモ用紙で札を作ってしまうことなど、多重人格というだけでは説明がつかないことがあるのだ。貰った札には一応力を溜めておいたが、やはり恐ろしいのと使う機会がないのとでまだ使ってはいない。……使う機会が来ないことを祈るばかりだ。



「あぁ、やっと帰ってきたか」



 いつもと変わらないフタアイの声のはずなのに、何故か感じた違和感に俺は眉を寄せた。

 くるりとこちらに振り返ったフタアイの瞳は、濃い茶色。よく見れば、髪の毛もより黒に近い暗い灰色だ。


「お前、この前の……」


 俺の呟きにそいつは緩く笑いながら頷いた。じわりと背中に嫌な汗をかいている俺とは対照的に余裕の表情だ。それはどこか老成しているようにも見える。……いつものフタアイがとても少年らしいせいかもしれないが。



「さっきまで、昼食を摂っていたんだ。とてもかわいい女の子と一緒にね」


「は?」


「だけど、彼女はそのあと用事があったらしい。僕たちの居た教室に三人ほど少年が入ってきて、彼女を連れて行ってしまった」


「お前、何を言って――」


「確かその女の子の名前は、ナタリア、といったかな。うん。ナタリア・ティレフスだったはずだ」



 その名前を聞いた瞬間、一気に血の気が引いた。

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