1-4 こっちくんな
[ 4 ]
「ディフェリル…まだ、闇が消えてないぞ…」
とがめるような少年の言葉に、女性は緑の目を吊り上げ、子供の様に頬を膨らませた。
「もう、どーせすぐに消えちゃいますって。さっさとその子処理して帰りましょうよぉ」
そう言いながら女性が足元の男に目をやった時だった。
倒れ伏し、ピクリとも動かない男の身体が、突然光を纏う。
体の内側から光が発せられているように見える。
そして、足の先から溶けていくように、男の身体が光の粒子となって瓦解していく。
ほんの数秒で、今まだそこにあったはずの男の姿は消え失せていった。
その光景はまるで、蛍の群れが飛び立っていくようで幻想的で美しくて、それでいて畳の上に滲みこんだ赤黒い血だまりと残った血の付いた水色のスーツが嫌になるほどグロテスクだった。
先ほどの少年の言葉からすると、男は人の形をした化け物であるようだし、偶然か、もしくは何かが目的であの男は自分を襲い、自分は殺されかけたのは確かだ。
しかしそれでもなお、目の前で人の形をしたものがあんなふうに消えていったことに、恐怖と、吐き気がこみ上げてくる。
二藍の恐怖をよそに、女性は手をたたいて喜んだ。白い髪の少年も動じていないようだ。
「ほら!消えたでしょ?さあさあ愛染中尉、その子お願いします」
「……俺がやるのか?」
少し面倒そうな顔を、少年は自分より年上の女性に向ける。
女性は、大人の外見とは裏腹にぷうっと頬をさらに膨らませて言った。
「わかりましたよぉ。そんなに嫌そうな顔するなら、私がやりますぅ」
「いや、別に、そういうわけじゃ…」
「いいんですぅ~。どうせあたしは中尉には及ばない格下ですからぁ」
女性は少年が何か言う前に、上着のポケットから札のようなものを取り出した。
神社や仏閣などで配られる札と同じ形だが、びっしりと書かれた文字は英字のようだ。
彼女は二藍に向かって、そろりそろりと近づく。
人差し指を唇に当てて、「大人しくしてて下さいね」と囁く。
可愛らしい微笑みであったが、二藍はそれどころではない。
先程見た、光の粒子を放出しながら消えていった男の姿が脳裏をよぎる。
『彼らの言う、“処理”とはなんだ』
明らかに異常な一連の出来事。
それを経験してしまった、一般人の自分。
見てはいけないことを見て、知ってはならないことを知ってしまった、自分。
『彼らの言う、“処理”とは、なんだ』
『“処分”、って、こと?』
ぞくりと肌が粟立った。殺されるということ?
彼らは自分を助けたわけではなかったのかもしれない。ただ闇を退治しようとしただけで、たまたま二藍を危機一髪で助けるような、そんな形になってしまったのかもしれない。
『そんなの、嫌だ。死にたく、ない!』
二藍はありったけの勇気を振り絞って立ち上がった。
絶叫を振り絞るだけじゃ、今度こそ助からない。
相変わらず混乱した思考で、二藍は家の奥へと逃げ込もうと足を動かした。
その瞬間――ぐらりと、視界が揺れた。
身体が、思うように動かない。足から力が抜け、ぐにゃりと踏みつけた畳が沈み込むように感じる。いや、ぐにゃぐにゃと気持ち悪いのは自分の身体だ。
「え…?」
あまりにも間抜けな呟きが自分の口から洩れる。
身体が大きく後ろへ傾ぐ。支えようと後ろへ動かした片足が畳につくが力なく畳の目に沿って
滑る。
『あ、だめだこれ』
冷静な自分が的確な答えを打ち出した。誰だよお前、なんでそんな落ち着いてるの。
のけぞる体制になって視界が天井へと勝手に変わり、一瞬の出来事にもかかわらず天井の滲みの様子が目に焼き付いた。昔あれが人の形に見えて怖かったんだよな。本当にどうでもいいことを思い出すのはなぜだろうか。
『というか、もしかして、これ倒れるだけじゃないんじゃ、』
―――ゴンッ
大きな衝撃と音が頭の中を駆け巡る。とても痛い。
眩暈を起こした二藍は、足を滑らせてひっくり返り後ろに倒れこんだ。
そして、頭を例の箪笥にぶつけたのだ。
『やっぱり、箪笥近かったか…』
嫌な予感は当たるものだ。畳に背中を打ちつけるよりも、金具の取っ手が突き出た固い箪笥に頭をぶつけるほうが数倍痛い。重い腕を持ち上げて後頭部を確認する。幸い尖った部分は避けたようで血は出ていない。
―――だけど、動けない。
栗色の髪の女性が驚いて高い声を上げた。だけど声が頭の中で反響して何を言っているのかわからない。
白髪の少年が青い目を見開いて、箪笥に背を預ける形で倒れ込んだままの二藍に駆け寄ろうとする。
「…く、るな…」
―――死にたくない、
少年は懐から先ほどと同じような札を取り出した。
あくまで“処理”を続ける気らしい。
―――死にたく、ない、
「こっち、くん、な…っ」
―――死にたくない――!!
「くるなぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――!!!」
叫びとともに、二藍の背後から、光があふれ出た。