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春は無慈悲な時の女王  作者: メイア
第二章 傷は優しい君の噛み痕
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2-1 氷姫

おしらせ:20130826、第一章第一話冒頭部にシーン追加。読まなくとも本編に影響なし。

――悲しみは既に僕らを凍りつかせていた。



[1]


 頬をなぞる風はひどく冷たく、マフラーからはみ出た私の髪をいたずらに乱す。

 雪が分厚く積もった地面を踏みしめながら進んでいた足が止まり、明るい灰色の空を見上げる。誰かに呼ばれた気がしたのだが、空に誰かがいるわけがない。


 ……いや、そこには確かに、一羽の鳥が悠々と旋回していた。

 

 空にぽつんと滲みのように存在するその鳥を見て、私は初めて喉元を熱い何かがせり上がってくるのを感じた。涙が零れ落ち、次の瞬間には強い風が私の頬へ吹き付けた。とてもつめたい。

 すべてがうまくいった。これでよかったんだ。だって、これ以上一緒にはいられないもの。

 幼いうちに、まだ傷が浅いうちに、言ってはいけない言葉を言わないうちに、ここから離れなければ。

 

 なのにどうして、わたしはないているの。


 寒い空に、ひとりで飛び続けるあの鳥に、その自由でありながら決して自由になりきれない真実に、私は誰を重ねたのだろう。


 私を連れて行く大人たちが無理矢理に私を抱えていくまで、ずっと私はそこに立っていた。

 灰色の空に浮かぶ一人ぼっちの鳥を見上げながら。







「――リアさん、ナタリアさん!」


 呼びかけられて閉じていた瞼を押し上げる。

 目の前にいるのは、リリア・アルティスという名の同じクラスの少女だった。お下げにした金髪が可愛らしい小柄な彼女は、こう見えても授業で行われる模擬戦闘では優秀な成績を収めていて、戦闘クラスでは上位の生徒だ。

 

「……どうしたの。リリアさん」


 首を傾げると、彼女は顔を赤くしながら、廊下で別クラスの生徒が呼んでいると教えてくれた。

「……わかったわ。どうもありがとう」

「う、うん!あ、いや、ちが……どういたしましてっ!」


 どもりながら両腕を顔の前でぶんぶんと振るのが彼女の癖なのかもしれない。私と話す時には三回に一回はこうした姿を見かけるのだ。

「私に用事なんて……誰かしら」

 不思議に思いながら呟けば、彼女はやや顔を曇らせ、こっそりと耳打ちをしてきた。

「男の子たちだったよ。なんか、心配だし……私、付いていこうか?」

「いえ、大丈夫よ」

 彼女にはあまり面倒をかけたくはないし、廊下で話せば身の危険はないだろう。

 廊下で待つ三人の男子生徒は、私が廊下に出るなり近づいてきた。


「こんにちは、ナタリアさん!わざわざ呼び出してごめんね」


 三人の中ではリーダー格だろう背の高い少年が微笑む。対人向けの笑顔だとすぐわかる。要するに人工物、作り笑いだ。リリアの思った通りあまり良い呼び出しではなかったようだ。


「何かご用でしょうか」


「うん。来週の休日、あいてる?」


 本心としてはまずお前は誰だと聞きたいが、下手に刺激しても長引きそうなのでやめておく。どこかへ誘うということかと理解して、そして面倒だと心の中で溜息をつく。

「予定があります」


「じゃあその次の休日は?」


「空いてません」


「じゃあいつなら空いてる?」


「……どうしてそんなこと聞くんですか」


「わからない?デートの誘いを入れようと思って」


にっこり、そんな擬音が付きそうな作り笑いに、私は鳥肌が立つのを感じる。


「他をあたってください」


「つれないなぁ。一回ぐらいいじゃないか」


 そう言って手を取ろうとしてくる彼の手を躱して、「結構です」と重ねて断る。だが、囁くような彼の次の言葉に思わず体の動きが止まった。


「トレフスキーのお家にも、一度お邪魔してみたいんだけどなぁ?」


 どうして、それを。

 図らずともいつも無表情といわれる私でも、さすがにその時は顔色を変えていたようで、私の反応を見て彼は満足げに喉を鳴らした。


 動きが止まった私の手首を、やすやすと彼が掴もうとした時――

 「――っ!ナタリアさんっ!!」


 廊下にいたほかの生徒が何事かとこちらを振り返る。それほどに大きい声だった。

 お下げの少女が両手で抱え込むように私の手を握っていた。リリア・アルティスだ。


「次の授業、私たち当番だからそろそろいかなきゃ」


 どちらかといえばいつもは控えめな彼女の熱心な勢いに圧倒されたのか、それともまだ彼に言われた言葉に思考が奪われているのか、私は掠れた声で返事をして人形のように首を振る。

 そのまま彼女に引きずられるように教室の中へ入る、その間際に――



「また、今度の機会に」



 目を細めて作り笑いを浮かべる彼が目に入り、その瞳の冷たさに背筋が凍る。

 

 にくしょくじゅうのめだ。


 そして私の目の前で、リリアが勢いよくドアを閉めた。




******


 心臓がバクバクする。

 人の会話に割り込んで片方を攫ってくるなんて、私には生まれて初めての経験だった。


「……」


 教室に入っても黙り込んだままのナタリアの顔色は、心なしかいつもより悪いように見える。


『……元の肌の色が白すぎて、よくわかんないけど』


 彼女の名前は、ナタリア・ティレフス。

 真っ白な肌に銀の髪、アイスブルーの瞳を持つ美少女は、その容姿のためか、何事にも動じない無表情のためか、他の生徒たちの間では“氷姫(こおりひめ)”とあだ名されている。

 ジェメッラはフェンシングソードで、模擬戦闘ではいつも上位者に入る彼女にリリアは中等部の頃から憧れている。高等部に入るまではクラスが違っていたこともあり話す機会もなかったが、ようやく同じクラスになってからは勇気を出して声をかけてみて、そして今まで思っていた人物像とのズレにようやく気付いた。


 彼女は何事にも動じないのではない、動じてもそれが表に現れないのだ。

 元来無表情な上にポーカーフェイスがとても上手い。それは確かなことだと思う。けれどそれ以上に、彼女は感情を表に出すことを拒んでいるように感じた。


 能力者の家系には、何かと人に言えない暗い部分がある。それはどこの家系にも付きまとうもので、中流のリリアの家にだって多少はある。幼少期の出来事によりひねくれた性格に育ったり、頭のねじが明らかに飛んでしまう者は少なくなく、おそらくナタリアの無表情にもそれなりの理由があるのだと思う。

しかしその理由を知ろうとするには、リリアはまだまだナタリアと親しくはないし、彼女の昔の傷を聞き出したいとも思わない。



『でも、こういう時にかける言葉が見つからないのは、悔しいな』


 何かを言って、ナタリアを傷付けてしまったらどうしよう。

 ナタリアに嫌われてしまったら、どうしよう。

 

 何も言えずにリリアが黙り込んでいると、ナタリアは首を傾げて、


「私たち、当番だったかしら?まだ私たちの番には遠いと思っていたのだけれど」


 慌ててリリアは首を振った。二人とも当番でもなんでもない。ナタリアと男子生徒を引き離すためにとっさに口を突いて出たでまかせだった。


「ごめんなさい、困っているように見えて、適当な口実を言ってしまったの。私たちは今日の当番じゃないわ」


 ナタリアのけぶるような長い睫毛に縁どられた瞳がニ、三回瞬きをした。初めて見るきょとんとしたその表情があまりにも可愛らしく、リリアは自分の顔に熱が集まるのを感じる。


「……そうだったの。気を遣わせてしまってごめんなさい。ありがとう」


 すぐに元の無表情に戻ったが、ちゃんと感謝の言葉をくれる。表情には出さなくとも、言葉を欠かさない彼女のこういうところもリリアは好きだった。

 とはいえ、いつもだったら余計なことをしてしまったのではないかとリリアはびくつくところだったが、今回ばかりは自分が動いたのは間違っていない自信があった。


『あの男の子、きっとナタリアさんにひどいことを言ったんだ』


 心配だったから、教室の中からそっと様子を伺っていた。もちろん会話の内容は聞いていないが、あの男子生徒が何事か言った後、ナタリアの無表情は崩れ落ちた。驚愕、という表現がいいのか、彼女は放心するほどの衝撃を受けていた。……それは傷ついた顔だった。リリアはずっと、“氷姫”のポーカーフェイスがなくなればいいと思っていた。だけど、あんな表情は見たくなかった。このままではリリアが見た一番人間らしいナタリアの表情が今日の泣きそうな顔になってしまう。


『何とかしたい』


 今度は私が、貴女の力になりたいの。


 少女は一人、こぶしを握った。




次回の更新:八月中にもう一回

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