1-35 春の、その先で
第一章最終話です。
世界機構“H.A”日本支部のフロアの一つ、移動陣が大量に描かれた広間に乃至は立っていた。
いつも通り黒の軍服を身に纏い、流れ落ちる絹糸のような白い長髪を首の後ろで一括りにしているその姿は、相も変わらず美しいと周囲の者たちはため息をつく。しかも今日は深い青の瞳を僅かに伏せ、幾分か物憂げな表情がその儚げな美貌を引き立たせている。自分の仕事も放り出して声をかけようかと悶々としている者たちが、上官に急き立てられては広間を過ぎていく。
そんな外野の浮つきなどには気づくこともなく、鎌木二藍の出迎えに来ていた乃至は、ぼんやりとブルレイン・ライナックの言葉を思い出していた。
…―――『あやつは化け物じゃ』
しわの刻み込まれた顔を歪めて、悪態をつくように鎌木二藍をそう評したブルレインは、一拍置いた後、首を振って苦笑した。
『いやはや、こんな言いぐさをしたら祟られるかも知れんのう。あやつは少々特異な体質をしているようじゃ』
『特異な体質?』
聞き返したルストゥルトゥに老人はうむ、と頷いた。
『亡霊を、あやつはその中に飼っておる。…わしには、そう見えた』
“亡霊”などというものは、能力という、決して科学的なものを扱っているとはいえない“H.A”においても眉唾ものであり、多少の怪談話なども存在するが基本的に真面目に取り合われることはない。
『“亡霊”とは、どういうことでしょうか』
怪訝な顔で問えば、ブルレインはため息をついた。
『誰かの残留思念、なのかのう。わしにもよう分からんものじゃった。だが、鎌木二藍以外の魂が入り込んでおる。模擬戦闘で鎌木二藍が追い込まれた時、そやつが目を覚ましおった。練習相手の生徒どころか、教官らまで跳ね飛ばしてのう……厄介なことに、ずいぶんの手練れなうえに高圧的なやつじゃった』
『鎌木二藍が二重人格だということではないのですか?』
『いや、間違いなく戦闘に慣れた様子じゃったし、“H.A”についてもかなりの知識を持っておったわ』
ブルレインによれば、“H.A”でも高官のみが知るようなことをぺらぺらと話し出したという。
もし本当に二藍の中に能力者の“亡霊”がいるのなら、それなりの地位を持った人物だったということになる。
『あやつが早く学園から出せと脅してのう。他の生徒の安全を考えれば、卒業させるのが一番良いと考えた次第じゃ。…まあ、あやつの成績自体は、卒業するのに何ら問題はなかったんじゃがなぁ』
『ライナック理事長、あの……鎌木二藍自身は、その“亡霊”とやらには…』
『全く気付いておらんわい。あの能天気小僧め。“亡霊”が表に現れているときの記憶はあやつにはない。夢中になって戦えば、能力者は戦闘中の記憶がおぼろげなものだと一人で勝手に納得しおった』
『……』
今まで平和な世界で暮らしていると、思考回路から警戒や疑問といった言葉が抜け落ちてしまうのだろうか。あの童顔の少年は順応力が高いと感じたが、もう少し深くまで考えるべきではないだろうか。
二藍に幾分かの呆れを感じながら、乃至は溜息をつきたくなるのを必死で抑えた。
『鎌木二藍には、“亡霊”のことは伝えたほうがよいでしょうか…』
ルストゥルトゥが低い声で唸る。ブルレインは肩をすくめた。
『いくらなんでもそのうちに自分で気づくじゃろう。下手に手を出して“亡霊”の機嫌を損ねたら面倒じゃ』
『確かに…話を聞く限り、暴れられたら厄介ですね』
頷いた乃至に、ブルレインは紅茶を一口啜って嘯いた。
『さわらぬ神に祟りなし、じゃのう』
…――助けた少年が“共鳴”を起こした。それだけで十分稀なことだ。だが、その少年のジェメッラは愛染家の封印を破り、暴走の一歩手前まで引き起こした。……そして、少年は僅か三か月で能力者となってここに戻ってきた。正体不明の“亡霊”とともに……
何かが、動き始めている気がした。
赤ん坊の時から“H.A”で生きてきた。信じられないようなことは今までにもたくさん経験してきたし、驚きつつもそれを受け入れてここまでやってきた。
けれど、何かが違う。
今までのものとは何かが決定的に違うと、乃至は感じている。
直感などというものを、乃至は決して信じるつもりはない。憶測や思い込みで判断することの恐ろしさは知っていた。
しかし、なんだろう、この吐き気にも似た、恐れとも不快とも欲求ともしれない正体不明の気持ちの悪さ。感情が“ずれている”感じは。
“H.A”を、乃至の世界を、本性を、根底から崩してしまうような、そんな何かが―――
「乃至!!」
突然呼ばれた自分の名に、弾かれるように乃至は顔を上げた。
移動陣の一つに現れた二藍が、大きなボストンバッグを肩にかけながらこちらへ向かってきている。
「――!髪と、瞳が…」
乃至の正面に立った鎌木二藍の姿は、三ヶ月前のものとは大きく異なっていた。
日本人らしい黒の瞳と髪の毛は消え失せ、透明感のある薄い茶色の瞳と曇り空を思わせる暗すぎない灰色の髪の毛に変わっている。
共鳴の副作用の一つとも言われるのが、瞳や毛髪の色の変化だ。変わらない者もいるが本来の色とかけ離れたおよそ自然発生しないような色になる者もいる。斯く言う乃至自身も青い瞳はまだしもアルビノでもないのに真っ白な髪の毛は副作用によるものだと考えている。
「あぁ、これ、気付いたらこんな色になっててびっくりしたよ。まるで日本人じゃないみたいで、変な気分だ。……それよりも、久しぶり、乃至」
「久しぶりといってもたった三か月前だけどな。こんなにすぐ卒業するなんて思わなかったよ」
「俺だって思ってなかったよ。…なんか、必死にやってたら卒業しちゃった」
屈託なく笑う二藍に毒気を抜かれ、乃至も自然と口元に笑みを浮かべた。
約束通り戻ってきた少年に、手を差し出す。きょとんとした表情を浮かべるものだから、にやりと笑って、
「荷物を持ってやるわけじゃないぞ」
「わ、分かってるよ!その手の形は……握手でしょ」
からかうとむっとした表情を浮かべ荷物を足元に置いてさらに乃至の方へと歩み寄る。
そして乃至が差し出した手に応えて、自身の手を重ねる。ぐっと強く握り合い、色の異なる瞳でお互いを捉える。
「これからよろしく」
「こちらこそ、よろしく頼む」
二人の少年は笑い合った。
乃至の喉元まで競り上がってきていたものはいつの間にか消え失せ、ただ同い年の仲間が増えたことを純粋に喜んでいる。
乃至が辿り着こうとしていた一つの答えが、ある面では真実に近かったことなど、彼は知る由もなかった。
斯くして物語は、長らく停滞を続けていた“世界”に一石が投じられることで動き始めた。
一人の少年が生み出した波紋は、時には他の波紋と調和し、時には他の波紋を打ち消しながら水面を乱していく。
その先に待つのは、決壊か、再びの静寂か。
始動の季節は春。
終焉と再生のその先で、無邪気に笑うまだ幼い二人の姿が、そこには確かにあった。
これにて第一章『春は無慈悲な時の女王』は終了です。
第二章『傷は優しい君の噛み痕』もよろしくお願いいたします。更新は8月を予定しております。
次話は残念なテンポの第一章を考慮した第一章ダイジェストと人物紹介でございます。忘れてしまった方は第二章を読む前に見ておくとわかるかもしれません。
あとがきと次章予告は活動報告にて。
ご閲覧いただきありがとうございました。




