1-34 パートナー
日本の遥か上空、能力者による結界のために、常人にはどんな最新の技術を駆使しても決して視ることの出来ない城塞。
世界機構“H.A”日本支部、通称『光の塔』である。
透き通った球状の巨大な結界はカプセルのようになっていて、その中には大陸から削り取った様な分厚く大きな一枚の岩盤が浮いている。
岩盤は太い何本もかの鎖で球の内底と繋がれ微動だにしない。
岩盤の表面には草木が生い茂り、時折鳥の囀りや獣の哭き声が聞こえる。
この球体はいわばバランスドアクアリウムに近い。完全密閉型の水槽の中に、動植物、水、空気をバランスよく押し込めて太陽光を当てれば、光合成が起こり、食物連鎖が始まる。酸素や二酸化炭素、栄養分などが循環する、一つの独立した小さな世界の出来上がりというわけだ。この支部が作られたのはニ、三百年ほど前だから、“H.A”はかなり高度な科学がそのころから存在していたのかもしれない。水槽のガラスの代わりに結界という非科学的なものが使われてはいるが。
もちろん、ここでは人もアクアリウムの中に入っているから、自然に完全に任せきりにしているわけではない。
“H.A”の者たちの手により、毎日細かい調整が行われている。
林立する樹木のなか、その施設は建っていた。
岩盤中央の、森が大きく開けた建物群。日本本部の通称『光の塔』の由来となった白く高い塔は司令室や救護室、鍛錬場や研究室、資料室、食堂など、主要設備が集中している。
それを取り囲む様に弧を描いて寮や買い物施設、娯楽施設などがあり、その点に於いては一般人とさしたる変わりはない暮らしが営まれている。
中央の塔は今、沈む太陽の光で優しい橙色に染まり、またその光を反射して、まるで内側から輝いているかの様だった。
朝昼は太陽、夜は月の光を、自分のものとでもいう様に纏うその姿は、軍事施設というには綺麗すぎる。
塔の最上階、人気のない廊下を愛染乃至は歩いていた。
オーダーメイドの軍靴についた銀色の留め具が、窓からの夕日を反射して光を振り撒く。
今日は任務が入っていないオフの日であるのに、乃至は燃えるような紅の軍服を着ていた。一見すれば舞台衣装かとも思えるほどに目立つその服は、愛染家の者が身に纏う特製の軍服だ。
自己主張の激しいその鮮やかな紅色と、およそ戦闘には不向きな袖口の広がった形状は、正直にいえば乃至は好んではいなかったが、愛染家の一員である限りは身に着けなければならない。乃至は養子であり、愛染家の血を引いてはいないため、普段は黒の軍服を着ていても、愛染家の中でも口煩いものたちに出会わなければ大丈夫だったのが救いではあった。そして愛染家の本拠地は“H.A”アジア本部、つまり中国にあり、日本支部には愛染家の者は自分を含めてたった三人しか居住していない。残りの二人は乃至が何を着ようと口を出さないので安心だ。
任務のある日ではない限り、基本的に服装は私服だ。ラフな格好で塔の中を歩いていても何の問題もない。ただ今日は休みなのだと思われるにすぎない。
今日乃至がよりにもよって紅の軍服を着ているかというと、それはたまたま新しい軍服が今日届けられたためだった。しかしサイズの確認のために袖を通そうとしたところ、突然ルストゥルゥ大佐から通信が入り呼び出されたのだ。大佐はどんな格好でもよいと言っていたが、休みの日とはいえど上官の呼び出しにだらしのない恰好で行くほど乃至は非常識ではない。だが急いだほうが良いとも思い、慌てて着かけのこの軍服を整えたのである。
『どうやら、サイズに問題はないようだ』
チェスティルトがわざわざアジア本部から軍服を届けてくれた甲斐があったようだ。
軍靴はある部屋の前で止まった。
金のプレートに刻まれているのは、『指令室』の文字。
乃至は小さく息を吸い込んで呼吸を整えると、静かにドアをノックした。
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「休みの日に急に呼び出してすまなかったな」
ルストゥルトゥの言葉に乃至は首を振る。
「大丈夫です。特に用事もありませんでしたし」
塔の外を眺望できる大きな窓から夕陽が差し込み、室内を赤く染める。もう少しで完全に日が落ち、夜がやってくることだろう。フロルが入れた紅茶には手をつけず、乃至は黙ってルストゥルトゥが話し出すのを待った。ルストゥルトゥは顔を背けて暫く窓の外を眺めていたが、小さく溜め息をつき、ようやく決心したように向き直った。明らかにしぶしぶといったその様子から、あまり良い知らせではないのだろうと覚悟しておく。
「愛染乃至中尉、君にパートナーをつけることになった」
…決めた覚悟が一瞬にして砕け散った。
まさか、そんな。と思う一方、ようやくかと納得している自分もいた。
「……パートナー、ですか…」
辛うじて絞り出せたのはそれだけだった。
ルストゥルトゥの顔を見ていられずに乃至は黙って俯く。情けないことに体の震えを抑えるだけで精一杯だった。
そう、分かっていたはずだ。尉官にまで昇進すれば、いつかは必ず新人育成の任務が課される。かつて乃至の身に起こった惨劇など、“H.A”という巨大な組織の中では重視してはいられない些細なことに過ぎない。
しかし、現にパートナーをつけると言われると、乃至は自分がどれだけ過去のことを引き摺っているのか嫌になるほどわかってしまった。
『こんなんじゃ駄目だ。いい加減、しっかりしないと』
今の乃至はかつてのように指示を受けて敵を倒すだけが任務ではない。人の上に立ち、自分が指示を出す立場に在る。部下の命を預かっているのだ。
過去に、亡霊に、負けることは許されない。
乃至は顔を上げた。青の瞳に差し込んだ夕日が複雑に反射したのか、灰色に色を変えて光る。
正面からルストゥルトゥと向き合い、応える。
「わかりました。パートナーと共に、よりいっそう能力者として精進していきます」
ルストゥルトゥは乃至の視線に応え、無言で頷いた。
*********
「…それで、私のパートナーになる者は、一体どのような能力者なのですか?」
フロルが淹れた紅茶を一口飲み、愛染乃至は姿勢を正した。
顔色はその髪の毛と同じぐらいに白く、少女と見紛うばかりの美貌もだいぶ硬い。
しかし、ルストゥルトゥへ向かう視線は、腹を括った真っ直ぐなものだった。
『…大丈夫なようだな』
佐官にしては年若い男は、密かに安堵した。愛染乃至のパートナーについては、“H.A”において知る人ぞ知る禁忌の一つだ。
今回パートナーが付くことに、愛染乃至が抗議するのではないかと正直な所ルストゥルトゥは思っていたが、無用の心配だったようだ。彼の成長を喜ばしく思う様はさながら兄のようだと自分のことながら苦笑する。
もっとも、パートナーの名を告げれば、またしても衝撃を与えることになってしまうのだが。
「能力は武器操作、“魂の伴侶”は二本のナイフだ。学園で先日の卒業試験に合格したらしい。筆記の成績はBだが戦闘実技においてはSSをとっている」
「SSですか!?」
愛染乃至が驚いて聞き返してくる気持ちはよくわかる。ルストゥルトゥ自身も、届いた資料に間違いがないかどうかを理事長のブルレイン・ライナックに直接連絡を取り確認したのだ。
学園の卒業試験に必ず立ち会うその老人は、評価には過大も過小もなく、ありのままを記してあると述べた。
頑固爺と陰口をたたかれるほど不正に対して厳格な学園理事長の言うことだ。そういうことなのだろう。
評価SSは十数年に一人の割合で現れる逸材と認められた者にのみつけられる。Sでさえ数年に一人といった程度で、因みに言っておくとルストゥルトゥはAだった。愛染乃至は、学園に通うことなく愛染家の伝統に則って師弟制度で一人前の能力者になったため分からないが、おそらくSかSSだろう。
「もしかして香家の菖攸…いや、ベルトラールのライナックですか?昨年訪問した際にあの二人は有力株だと感じましたが……でも、さすがにSS程ではなかったか。そもそも、二人ともジェメッラはナイフじゃないし…」
乃至が心当たりを上げていくが、そのどれもが外れている。
「そのどちらでもない。だが、お前が知っている人物だ」
「私が知っている…?ナイフ使いですよね?…わかりません。もったいぶらずに、教えてください」
もう降参だというように乃至は小さく肩をすくめた。
「鎌木二藍だ」
「……はい?」
ようやく正解を告げたルストゥルトゥに、乃至は首を傾げて聞き返した。静かな部屋で聞き間違えることなどそうそうありはしないのだが、聞き間違えたと思ったのだろう。
「お前が数か月前に保護して、結局“H.A”に入ることになった、あの鎌木二藍だ」
残念というかなんというか、聞き間違えではなかったことを理解した愛染乃至は、思わず立ち上がって身を乗り出した。
「冗談はやめてください、大佐!彼が入園したのはたった三箇月前ですよ!いくらなんでも、そんな短期間で卒業できるはずがない!第一、彼のジェメッラは糸のはずです!」
「その通りだ。突然“共鳴”を起こした彼は、今まで一般人と同様の暮らしをしてきた。それも日本というかなり平和な国で、だ。学園に入れる際も、高等部と中等部のどちらに入れるかで揉めた。…結局、高等部で通常のカリキュラムにプラスして補習をさせるということで話がついたが…まさかこんな結果になるとは誰も思っていなかったはずだ。ジェメッラにしても同様、糸がナイフに変わったのか、新たにナイフと“共鳴”したのか。どちらにせよそのような話は聞いたことがない」
ルストゥルトゥの様子に、愛染乃至は唖然とした表情でソファに座り込んだ。
「確かに…確かに俺は彼の“共鳴”に、彼が才能のある能力者だと感じました。けれど、才能は磨かれて開花するものです。ジェメッラが変わったり、三か月で卒業だなんて、才能が有る無しでは説明がつきません。彼の戦闘実技がSS…?それではまるで、」
「まるで、ずっと昔から能力者として戦っていたようであったわ。あやつの模擬戦闘を見て、数年ぶりにこの老いぼれも血が滾ったわい」
愛染乃至の声を遮り、突然部屋に入ってきた一人の老人――学園の理事長を務める、ブルレイン・ライナックだ。
いつの間に部屋まで来ていたのか、全く気付いていなかったルストゥルトゥと乃至はブルレインを見て固まった。いくら話し込んでいたとはいえ、佐官と尉官が近づいてきていた気配に気づかないとは。とうに前線から退いたとはいえ、若き頃は“黒熊”の異名を持ち恐れられていた優秀な能力者なだけのことはある。
内心舌を巻いたルストゥルトゥだが、自分の秘書がすかさずブルレインに紅茶を運んできたのを見て、片側の頬がひきつるのを感じた。優秀な秘書たる彼女は紅茶にもこだわりを見せており、用意には多少の時間がかかるのだが。……もしかして、気付いていたのか。ルストゥルトゥの背筋を冷たいものが駆け抜けた。
「急に邪魔をしてすまんな。先日ルストゥルトゥ大佐と会ったときはゆっくり時間が取れなくてな。詳しい話をしようかと思ったんでのう。タイミング良く来れてよかったわい」
熱い筈の紅茶を平気な顔で飲み干し、ブルレインは一息ついて話し始めた。
「あやつをこんなにも早く卒業させたのは、簡単に言えば学園にこれ以上置いておくことはできないと判断したからじゃ。あれは、この老いぼれの手にはおえん」
浅黒い肌に見合う黒曜石のような瞳が、老人とは思えない気迫を放ちながら二人の若き能力者を見やる。
老人が、唸るように呟いた。
「あやつは化け物じゃ」
ニパァ―.∵・(゜∀゜)・∵. - ッ!!お気に入り登録ありがとうございます。一件一件が更新の原動力です。
おかげさまで次話で第一章ラストでございます。
次回の更新は20130720の予定です。




