1-33 『待ってるよ』
少しよろめきながら部屋から出てきた二藍を、何も言わずに乃至は見つめた。
二藍を日常から切り離した“H.A”の側である乃至に、今の二藍にかけられる言葉などないと知っていた。
二藍は俯いたまま二、三度頭を振って、荒く息を吐く。そして顔を上げて、「終わったよ」と乃至に告げる。顔色こそ青かったが、その瞳は決して揺らいでいない。…本当にその瞳は苦手だ。
「君はこれから、能力者として訓練するために、“H.A”の運営する養成所に通うことになる。学校に近いものだ。先ほど大佐に話を通しておいたが、君は高等部に編入することになるらしい。…外の世界で言えば、高校といったところだ」
二藍がどんなにつらかろうと、伝えるべきことは伝えなければならない。二藍も、それを望んでいるはずだ。
「養成所での訓練は大体三、四年かかる。焦らずに、確かな力を身に着けていけばいい」
「まさか自分が、高校生活送ることになるなんて思ってなかったよ。…一度高校生になってみたいと思ってたんだ」
そう言って二藍は少しだけ笑った。
「…俺は、今でも君が戦うのには反対だ」
「…」
「だけど、それは君が選ぶことで、俺が口出ししていいことじゃないのも分かってるつもりだ」
だから、と乃至は続ける。
「待ってるよ。君が一人前の能力者としてここに帰ってきて、一緒に戦うことができるのを、俺は待つ」
二藍は目を丸くして乃至を見つめた。予想外のことを言ってしまったようだ。
驚いて固まったその顔がおかしくて、乃至は小さく笑った。
「途中で嫌になったら訓練放り出してもいい。その時は大人しく事務仕事にでもつけばいいし」
「そんなことしないから!」
慌てて否定する二藍に、乃至はさらに笑みを深くした。
二藍は少し赤い顔で「あー、もう…」と呟いて黒髪をぐしゃりとかき混ぜる。
「絶対一人前の能力者になるから!ちゃんと待ってて!」
「分かった分かった。まあ、それまで俺がここに居ればの話だけど」
「…え?」
「ここは日本支部だから、もし異動になったら他の支部に行くことになる」
「…じゃあ、乃至の居るところに俺も配属してもらう」
「残念だったな。配属は自分じゃ選べない」
「ていうか待ってるって言ったのそっちだろ!?なんで俺が残念なんだよ!」
「…」
「…」
黙って顔を見合わせ、そしてどちらからともなく吹き出した。
「あははっ、もう、いいから待っててよ、配属変えないでおいてよ、絶対」
「ふ、ははっ、む、無理。だから俺じゃ、選べないって」
「ていうか、じゃあ俺もここに配属されるって、わけじゃ、ないんじゃないの?」
「ふふ、その、通り…!」
「そこでなんでドヤって顔するの…!」
笑いすぎて息も絶え絶えになる中、乃至の『待っている』という言葉が本当に信憑性のないモノだと判明し、二藍はますます笑った。
「あー、もう。俺の感動を返せ」
「感動してたのか」
「そうだよ!まったく…ぶち壊しだ」
笑いすぎて目尻に溜まった涙をぬぐいながら、二藍は口をとがらせる。
そして相変わらず口元に笑みを浮かべつつ、真正面から乃至と向き合う。
「ありがとう、乃至。君が異動する前に能力者になれるように、頑張るよ」
「…ああ、待ってるよ」
結局待つことにした乃至に二藍は破顔した。
自分を待つ人がいることがどれだけ支えになるか、乃至は分かっているつもりだった。養成所は決して甘い場所ではない。二藍が耐えられることを祈るばかりだ。
「乃至。俺、一度家に戻ってもいい?」
不意に、真面目な顔で二藍が問いかける。
「あまり長くは許可できないと思うが…数日なら問題ない。ただ、監視と護衛はつけることになる」
「うん、明日だけでいい。もう一日だけ、今まで通りに過ごしてみたいんだ」
「…分かった。それに君の連れを家に返さないといけないしな」
「あ、というか今って何時なの?」
「午後一時過ぎだ。君がこちらに運ばれてから、まだ一時間ほどしかたってはいない」
「…よかった。それぐらいなら適当にごまかせられるよ」
安心したように、二藍はにっこりと笑った。
******
「う、ん…?」
薄暗い部屋の中で鎌木初雪は目を覚ました。本家に近い工房にある休憩用の一室だ。
布団を敷き、制服だった服装も寝間着に着替えている。
「あれ、私確か二藍ちゃんを呼びに行って…」
それからどうしたのだろうか。頭の中は霧がかったようにはっきりとしない。縁側へとつながる障子の隙間から漏れるのはどう見ても昼間の光ではない。今は何時なのだろうか。
「…お姉ちゃん?起きたの?」
襖の向こう側から聞こえてきたのは妹の雪華の声だ。初雪が返事をすればそっと開いた襖の抜こう側からひょっこりと顔をのぞかせた。よく似た姉妹だが快活そうな初雪に比べ雪華は見るからに内気な少女といったところで、二人とも外見そのままの気質を持っていた。雪華の人見知りは直したほうが良いとは思うが、いつも姉である自分の後を小動物のようについてくる妹が居なくなってしまうのは少し寂しいような気もする。
「だいじょうぶ?お姉ちゃん貧血で倒れちゃったんだよ」
「そうだったの…二藍ちゃんと話してたのまでは覚えてるんだけど…」
「二藍のお兄ちゃんがここまで運んできてくれたんだよ。『長話をしてたら初雪が貧血を起こした』って、落ち込んでたよ」
そんなに長話をしていただろうか…記憶が曖昧になって混乱しているのかもしれない。
時間を確認すると、午後の五時近くになっていた。雪華によれば、初雪が運ばれてから四時間近くたっていることになる。いくら倒れたといえ少し長く寝すぎたかもしれないと反省する。
「あ、あとお兄ちゃんはもうおうちに帰っちゃったけど、『ごめんね』って伝えておいてって言われたよ」
「…迷惑かけたの私なのに、なんで二藍ちゃんが謝るの…」
『しかも、長話の内容全く覚えてないんだけど…お昼ご飯放り出してまで話し込んでたって、相当な話だったはずだよね…』
初雪は呆れながらも、とにかく二藍今度会うときは、迷惑をかけたことと話の内容を忘れてしまったことを謝っておこうと思った。
二藍は大事な幼馴染だ。本家の一部の者たちが二藍に嫌な思いをさせているのは知っている。同じ本家の人間として恥ずかしく思うし、できるだけ二藍の味方を増やそうと初雪も動いてはいるが、それでもまだ学生の初雪では力不足だ。…だけど、少しでも、力になりたい。
次に会えるのは一週間後になってしまうけど、その時はちゃんと二藍と話してみよう。初雪はそう心に決めた。
――自分の歩む道と二藍の道とが、もうとっくに別れてしまったことなど知らなかったから。
初雪が二藍が家を出たという知らせを受けたのは、その二日後のことだった。
*********
それは決して長い手紙ではなかった。
きれいでも、汚くもない文字は何度か書きなおした跡が残り、紙の所々は何か濡れたものが当たったような滲みができている。
『姉さんに手紙を書くのはこれが初めてのことだと思います。
まずはじめに、ごめんなさい。俺、職人になれなくなりました。
理由ははっきりとは言えませんが俺にはどうすることもできない事情です。悔しいです。
だけど、どうもできないなりに、ひとまず頑張ってみようと思います。
俺が居なくなることでもしかしたら本家の人を騒がせてしまうかもしれないこと、朽葉義兄さんに謝りたい。
初雪に今までありがとうと伝えてほしいです。夕兄にも色々と教わったのに無駄にしてしまったことも謝りたい。
本当はみんなに挨拶してから出ていきたいけど、あまり長くいると迷惑をかけてしまうかもしれないのでやめておきます。
姉さんには正直、父さんや母さんよりも感謝してます。ありがとう。姉不幸な弟でごめん。
またみんなに会えるかどうかはわからないけれど、もし会うことができたら嬉しいです。
鎌木二藍 』
手紙を読み終わった鎌木枯野の華奢な体を支えたのは、婚約者の鎌木朽葉だった。
「…枯野」
気遣うようにかけられた声に枯野は頷きながら、青白い頬を伝う涙をその細い指先で素早く拭った。
泣いてよいのは自分ではない。二藍だ。
そしてなにより自分の涙は、他でもない目の前のこの男を傷つけるだろう。
「…二藍には、恨まれるかな」
自嘲気味につぶやいた朽葉を抱きしめる。
「全て知っていた私も貴方と同じだわ。姉失格よ」
「…」
「ごめんね、二藍」
小さく震える枯野を朽葉は強く抱き返す。
朽葉たちの計画そのままに二藍は鎌木家を離れ“彼ら”のもとへ行った。
これからは二藍を直接見守ることができない。護衛も付けられない。計画通りに事が進むかは、二藍次第。
相談もせずに二藍を命に関わる戦いの中に放り込むその手段は身勝手この上ないものだ。自分が代われたらと、何度も思った。二藍には、恨まれても憎まれてもしょうがないと思うだけのことをした。
けれど、それでも自分は次期当主として鎌木家のために生きなければならない。
歴代の当主がしてきたように、“約束”のために鎌木の血を蔑ろにしようとすることを、阻止しなければならない。
――――『大丈夫、僕に任せて』
口癖のようにそういっては笑った紅葉は、もうこの世の人ではない。
彼が遺したものは、一つの計画だった。
――――『僕は、鎌木家を守るよ』
歴代の“玉座”はあまりにも“約束”に執着し、そのためならば何を犯してもよしとしていたが、あの人は違った。
だから、俺はあの人の遺志を受け継ぎ、鎌木家は再び動き出す。
あの“約束”は守り続けるのではなく、果たすものだ。
――――『大丈夫、僕に任せて』
紅葉、どうか俺に力を貸して。
ねくすと:未定。七月中に…




