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春は無慈悲な時の女王  作者: メイア
第一章 春は無慈悲な時の女王
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1-32 小さな手、大きな手

落ち着いていた乃至の表情が硬いものへと変わったのがよくわかった。彼の容姿は作り物めいた美しさだが、表情は素直でわかりやすく、二藍と同い年だというのも納得がいく。


「“H.A”のなかで暮らしていったらさ、きっと俺、大切なものがたくさんできていくんだと思う。その大切なものを守りたいと思った時、俺が能力者でいる必要がある気がするんだ」


「…烏有に、何か言われたのか」


乃至は眉をひそめて唸る。なんというか、勘がいい。


「うん、烏有ちゃんの“お兄さん”が彼女に言ったことを教えてもらった。だけど、その話を聞いたからってだけではないよ…俺、これから“H.A”で生きていかなきゃならないって知った時、もうすでにこの選択肢に気付いていたし。他のことで頭がいっぱいで、考えたくなくて頭の隅に押しやっていただけだ」


「…あんな言葉、烏有を立ち直らせるために言っただけだ。烏有は、少し特別な事情がある。だから、能力者になって戦場へ行く必要があった。でも君は、戦わずに済む道がある。能力者になって戦えば、怪我どころじゃない、下手したら死ぬことだってあるんだぞ!どうして、そんなものを選ぶ!」


二藍の短慮を責めるというよりは、まるで懇願しているかのように乃至の声は響く。

しかし、二藍の黒い瞳は揺らがなかった。どこまでも、穏やかな凪いだ海に似たその瞳は、まるで殉教者のそれにみえて、乃至は怯んだ。長い“H.A”の暮らしの中で時折見かけるその瞳が乃至は苦手だった。その瞳を持つ者はどんなに説得しようが縋ろうが決して自分の考えを変えないのだ。そして、目が合えば最後、引き留めることなど叶わないのだと深く思い知らせてくる。その瞳が、乃至は苦手だった。



「乃至。君には、大切なものってある?」


「…ある。たくさん、あるさ」


「じゃあ、もし能力が使えなくなって、戦えなくなったらどう思う?」


「…」


「これは俺の勝手な想像だけど、君はきっとすごく悔しいんじゃないかな。大切なものを守れなくて、いつ失うかわからなくて、すごく怖い筈だ。それこそ、戦って死んでしまうのと同じくらい」




――――『それなら、死んでしまえばいいじゃない』

――――『ずっと、傍にいたかった。守りたかった』

――――『私にはもう、何も、残されていないのに――!!』



「…ああ」

かつて聞いた悲痛な叫びが記憶の奥でこだまして、乃至は頷くしかなかった。


二藍の言うとおりだ。

“H.A”では力がすべて。戦いでは強ければ強いほどこの手で守ることのできる仲間は増える。

能力者として戦わなければ、他人どころか自分すらも満足に守れないことなど、ここでは幼い子どもでも知っている。



「じゃあ俺は、俺が将来大切にするもののために戦うよ。もう、後悔したくない。どうしようもできないことで、大切なものを奪われるなんて、二度と味わいたくない」



そう言い切った二藍の瞳はどこまでも澄み切っていて、乃至にはひどく眩しかった。


――眩しすぎて、二藍を引き留めることなどできないと、思い知らされた。




*****




「初雪、待たせてごめん」


そう言って部屋に戻ってきた二藍に、初雪はほっとした表情を見せた。


二藍が水の入ったコップを差し出すのを、礼を言って受け取る。そのときに僅かに触れ合った二藍の手は硬く、思った以上に男らしいことに初雪は内心動揺しながらコップに口をつけた。

二藍は高校には通ってこそいないがもう中学生ではない。自分と同じ高校生なのだ。背丈だってとっくに追い抜かされていたし、声変わりだってもう終わって自分とは違う低音だ。いざこざがあったにせよ立派な職人見習いにも選ばれた。二藍がもう自分の後をついてくるばかりのかわいい“弟”ではないことなど、もうずいぶん前からわかっていたことではないか。


『…でも、ちょっと、寂しいなぁ』


姉離れされてしまうのは思っていたよりも切ないものだ。枯野姉さんも成長していく二藍を見てこんな気持ちになったのだろうか。


そんなことをとりとめもなく考えながら、初雪は改めて尋ねる。

「ねえ、二藍ちゃん、ここどこ?病院?」


工房の中庭で具合が悪くなったことは覚えている。だが、そのあとの記憶が一切なくなっていた。自分が意識を失っているあいだにここへと運び込まれたのだろうが…。


「うん。そんなとこかな。具合悪くない?大丈夫?」


「全然平気。あんなに気持ち悪かったけど、なんだったんだろう」


初雪は別に病弱というわけでもない。寧ろ今まで外で倒れたことなんて殆どない健康体だ。不思議に思い首を傾げると、二藍はどこか曖昧にほほ笑んだ。唇の端を少しだけ上げ、その瞳はどこか遠くを見ているような。いつもの二藍とはどこか違うその笑顔が、初雪の胸をざわめかせる。なにか、あったのだろうか。


「二藍ちゃ…」


「初雪」


大した大きさでもないその一声で、空気が変わる。


呼びかけようとした初雪の声をさえぎって、二藍は口を開く。いつもの彼なら、人の話を遮ったりなどしない。

初雪の開きかけた口は閉じていく。聞かなければならないと、心の深くで誰かが言っている。それはまるで命令されているかのような強制力を伴っている。――聞いてはだめ。心の奥で叫び声を上げる、そんな悲鳴のような初雪の予感を踏みつけて、その誰かは聞けと強いる。彼の意に沿いなさい、と。



「迷惑かけてごめん。今までありがとう」



別れのときにしか放たれない言葉が放たれる。


ああ、やっぱり。聞かなければよかった。聞きたくなどなかった。

初雪はその言葉が『さよなら』と同じ意味と価値を持つと知っている。



くしゃりと初雪の顔がゆがむのを見て、二藍は何かを耐えるように唇を引き締めた。


「ごめん、初雪」


温かい掌が少女の額に添えられる。

幼いころ初雪が手を引いてやったあの柔らかく小さな手とは違う。大人になり始めた少し硬い大きな手。

その手と初雪の額との間にあるのは、たった一枚の札だった。しかし、薄い紙でできたはずのそれが二藍と初雪を遠く隔てることを、初雪は感じ取ってしまった。


「ふた、あ…」



抗うことなど、できなかった。



瞼が閉じていく。幼いころの思い出が走馬灯のように駆け巡る。はる、なつ、あき、ふゆ。

赤茶けた箪笥にしまわれた糸の色を一生懸命に覚えた昼下がり。二人して大人たちとはぐれてしまって怒られた夏祭り。夕焼けに赤く染められながら家へと急いだ帰り道。寒さなど気にせずに作った大きな雪だるま。


――二人で手を繋いで歩いた、あの優しい日々。


今額に添えられているのは、少し硬い大きな手。


――もう戻ることのできない、あの優しい世界。


二藍との決別(わかれ)を理解した初雪の双眸から、熱い雫が零れ落ちる。




ずっと引いていたはずのあの小さな手は、もう、どこにもなかった。




次回更新予定→明日130629の15:00

次回で初雪が一旦物語からログアウトします。アデュー初雪。

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