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春は無慈悲な時の女王  作者: メイア
第一章 春は無慈悲な時の女王
32/64

1-30 「どうして泣いてるの?」

やっと、やっと出せた…!

まあもうすぐ一章終わりますが。

[30]

目を開ければ見知らぬ天井。頭には微かな鈍痛が響き、どこかで捻ったのか右腕がつきりと痛んだ。


よく覚えてはいないが、なんだか懐かしい夢を見た気がする。子どもの時のことでも出てきたのだろうか。

体を起こし周りを見ると保健室のような部屋にいることが分かった。隣のベッドでは初雪が寝息を立てている。顔色も元に戻り、呼吸も落ち着いている。


「…よかった」


初雪の無事な様子に安心したのはいいものの、何がどうなっているのかわからない。


「また闇に襲われたんだよね」

そう誰にともなく呟く。

二藍はすでに二週間前の出来事を思い出していた。自分が染め糸と“共鳴”し、能力者として戦うか、今まで通りの日常に戻るかの決断を迫られたことも、そこで自分が職人になることを選んだことも。

断腸の思いでした自分の決意を嘲笑うかのように、闇は二藍を日常に戻してはくれなかった。


「…ひどいな」


二藍は唇を歪めた。馬鹿馬鹿しくて、虚しくて、悔しかった。


もう今まで通りの日々には戻れない、そんな確かな予感がしている。



「―――起きたのか」


ノックもせずに入ってきたのは、白い長髪の美少年、愛染乃至だ。

ベッドの上で起き上がっている二藍を見て驚いている様子から、おそらく二藍がまだ眠っていると思いノックしなかったのだろう。


「うん、今起きたところ。乃至がいるってことは、ここは“H.A”の施設?俺、助かったんだね」


“H.A”の名前を二藍が出したところで乃至が目を見開いた。

「思い出したのか?この前のこと…」


「思い出したよ。“H.A”のことも、俺が“共鳴”したことも。…ジェメッラさえ封印してしまえば、もう俺は元の生活に戻れるんだと思ってたんだけど、…駄目だったみたいだね」


責める風でもなく淡々と、諦めたように話す二藍に乃至は俯いた。


「…今まで能力を封印した人物を闇が執拗に追いかけるといったことはなかった。今回も、半年ほど警戒して何事もなかったらこちらも接触を完全に立断ち、本当に君は“H.A”に今後一切かかわることがなくなる予定だった」


「…だけど、闇は俺をまた襲ってきた」


「ああ、何故かはこちらにはわからない。だが、恐らくこれからも君は闇に狙われ続けるだろう」


「もう、元の生活には戻れないってこと?」


「君を“H.A”で保護することになる」


「保護、か…」


つまり、“H.A”の中でこれから生きていくことになるということか。


「そっか…」


小さく呟いて、立てた膝に顔をうずめた。息を吐いて目を閉じると何かが胸の中で渦巻いている。嘔吐感にも似た胸のむかつきと、手足に広がる脱力感、冷たくなってくる指の先。なんだろう、この感覚を自分は知っている。前にもあった。でもいつのことだったか、思い出せない。どうすればいいんだろう。気持ちが悪い。どうにかする術を、自分は知っているはずなのに。前は、どうやってこの感情から脱したのだったろうか。


「…もちろん君は、戦いに参加しなくていいし、衣食住も不自由のないようにこちらで全て――」

「ごめん、少し時間をくれないか。…頭が、少し混乱してるみたいだから、せめて、整理させてくれないか…!」


歯を食いしばり出した声は、大きく、そして図らずともまるで乃至を責めるかのような響きを伴っていて、放った二藍自身も怯んだ。そんな八つ当たりのようなものをするつもりなどないのに。乃至は何も悪くはないのに。


「……こちらこそすまなかった。しばらくしたらまた戻ってくるから…」


先程よりも少しだけ長い沈黙の後、乃至は短く答えて部屋を出て行った。乃至がベッドを離れ、部屋を出ていく靴音を聞きながら二藍は拳を握りしめた。


『何やってんだろ、俺…』


訳の分からない感情に振り回されて、乃至に理不尽な苛立ちをぶつけた。最低だ。

二藍が後悔していると、隣のベッドから小さな呻き声が聞こえた。初雪だ。


「初雪!」


自分のベッドから飛び降りて駆け寄ると、初雪はうっすらと瞳を開いた。


「ふた、あいちゃん…?」


かすれた声で問いかける初雪に二藍は返事をしながら手を握る。

「大丈夫?どこか、痛いところとかない?」

「だい、じょぶ」


そういってニコリと笑う初雪に、深く安堵して二藍は笑い返した。


「水もらってくるね」


初雪の声はかすれすぎていて痛々しい。乃至に頼んで水を持ってこよう。

先程のやり取りから気まずい雰囲気にはなるだろうが、背に腹は代えられない。恐らく部屋の外に乃至がいるはずだから頼んで来ようと二藍は部屋を出た。


****


しかし二藍の予想に反して、乃至は部屋の近くには居ないようだった。大理石の廊下を見渡しても、乃至どころか誰の姿も見えない。

「どうしよ…」


二藍は眉を下げたがひとまず廊下の角まで行ってみようと部屋を後にした。

短い廊下の両側には二藍達がいた部屋のドアと同じものがいくつかあり、しかし中からは人の気配がしなかった。

部屋の中で待っていればそのうち乃至は戻ってくるだろうが、それまで初雪の喉をそのままにしておくことはしたくない。


誰かいないかなあと思いながら角を曲がったその時―――


「あっ!?」


軽い衝撃とともに可愛らしい悲鳴が上がり、続いてとすんと大理石の床に何かがしりもちをついて転がった。


「え…?」


間抜けな声を上げて見下ろすと、赤い着物を着た少女が「いたた」と呟きながら体を起こしている。

「ご、ごめんなさい!大丈夫!?」

慌ててしゃがみこんで手を差し伸べる二藍に、「大丈夫です」と答えながら少女は顔を上げる。


少女と目があった瞬間、二藍はどくりと自分の胸が鼓動する音を聞いた。

少女の切りそろえられた前髪の奥に、宝石のような緑の双眸が煌めいて、二藍の瞳をまっすぐに射抜き、――絡め捕られた、そんな感覚が二藍の中に広がる。


通常の人とは明らかに異なる大きな瞳。少し吊り上った(マナジリ)。少女の顔立ちは猫を思わせた。しかし不思議と気味の悪いものではなく、逆に愛らしいといったほうが良く似合う、不思議な顔をしていた。


だが、二藍は少女の顔立ちよりも、その瞳の色の方に釘付けだった。

まるで宝石そのもののように輝きを放つそれに魅入られるように、何も考えずに手を伸ばそうとして――


ぺたり、と少女の柔らかく温かい手のひらが、それより先に二藍の頬に添えられた。


驚いて固まった二藍から目をそらすことなく、少女は口を開く。


「どうして泣いてるの?」


呆然としたような少女の声。


「…俺が、泣いて、る?」


二藍は自分の目尻を指でなぞる。乾いているし、視界だってぼやけていない。

「泣いてないよ…?」


頬に手を当てられたまま二藍がそう返すと、少女は瞬きを一つし、その薄紅色の唇の隙間から「え…」と漏らし、そして自分の手が二藍の頬にぴたりと寄り添っているのを見て、


「え、ええええええええっ?!」


白昼夢から覚めたように慌てた様子で手を引きはがし、

「あ、あのこれはですね!!手が勝手にといいますか気付いたらこうなっていたといいますか、ぼうっとしていて何にも考えていなくて、ね、寝ぼけていたようなもので、あの、その…!」


両腕を勢いよく振り回し、少女は顔を真っ赤にして早口でまくしたてる。早すぎて何を言っているのか二藍にはよく聞き取れなかったが、ひとまず弁解していることは十分に伝わってくる。


「気にしないでいいよ。俺こそ、ぶつかってごめん。怪我とかしてない?大丈夫?」


二藍が落ち着いて返すと、少女は口を閉じて大人しくなり、こくこくと頷いた。


「良かった…」


二藍が口元を弛めると、少女は少し俯きながら目を逸らし、恥ずかしそうに話しだした。


「あの、こちらこそすみませんでした。私もよく確認せずに曲がってしまいましたし……それにその、顔、突然触ってごめんなさい。黒い目が懐かしくって、あとなんか…泣いているように見えてしまって、思わず、」


「泣いているように見えたの?」


二藍が聞き返すと、彼女は再び両腕を振って焦ったように、

「すみません、失礼ですよね!光の加減だったんだと思います。私ったら…」


しかし、少女の声はもう二藍に届いていなかった。

「そっか、」


二藍はようやく気付いた。吐き気のするような混沌とした内側に、確かに存在する一つの衝動。それは、幼い頃から知っている自分を守るための衝動だった。


「…俺、泣きたかったんだ」


「え?」


聞き返した少女に答えることなく、二藍は両手で顔を覆った。

すぐに喰いしばった歯の隙間から嗚咽が漏れだし、目頭が燃えるように熱を発し、決壊して涙がこぼれ出す。


最近の自分が流している涙は二藍自身も原因がよく分かっていないことが多かったが、この涙の理由はわかる。


『もう、職人にはなれない』


自分が断腸の思いで決心したことが無駄になったことが、悔しいからではない。

思い通りにいかないことに、理不尽だと怒りを抱いたからではない。

ただ、もう職人になることができないのが、ひたすらに哀しい。


出来が悪いと叱られても、不正をして職人になったのだと陰口をたたかれても、まるで自分の半身のような“魂の伴侶(アニマ・ジェメッラ)”と引き離されても、二藍が職人になるために頑張ってこれたのは、大切な枯野や朽葉に迷惑をかけないためでも、自分のプライドのためでもなかった。


『俺、自分が思っていた以上に職人になりたかったんだ』


好きだったのだ。まるで魔法のように、味気ない糸や布が鮮やかな色に染まり、幾千もの組み合わせで様々に魅力的な表情をみせるのを見て心が躍った。見習いの退屈で単調な下ごしらえの作業だって、決して嫌いではなかった。

どうして気付かなかったのだろう。どうして、もっとあのゆるやかな日常を愛さなかったのだろう。


「こんなに、大切だったのに――!」


嗚咽の合間に漏らした二藍の悲鳴とも思えるか細い叫びに、泣き始めた少年を傍らで呆然と眺めていた少女は息をのみ、何かの衝動に駆られるように二藍の背にそっと小さな手のひらを添えた。

そして、涙を流し続ける二藍をあやすように、優しく背中を撫でる。

彼女には今出会ったばかりの二藍の詳しい事情など知る由もないが、ただそれが自分の役目とでもいうように、震える彼に柔らかさと温かさを与え続けた。


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