1-3 愛染乃至
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「遅くなってすまなかった」
二藍に、言葉が投げかけられた。
夕日が広い庭を照らしている。
赤みを帯び始めた庭を背景に誰かが立っていた。
小柄な体つきのようだが、夕日が逆光となっていて、顔は見えない。
その人物は、胸元を片手でいじり、
「乃至だ。ターゲットを見つけた。この家の人間を襲っていたところを阻止、武器の破壊を済ませた。今から本体を倒す」
喋りながら、土足のまま上がってきたその人物の顔がようやくわかる。
しかし、見えた瞬間に二藍は息が止まるかと思った。
人間の形をしているが、あまりにも人間味がない。
その容貌は、人間にしては美しすぎた。
陶磁のような白い肌に、すっと通った鼻筋、微かに色づいたくちびる。まだ幼さの残る顔つき。
暗がりの中でもまるで光を放っているかのような鉛白の髪は、腰まで伸び、霞のように揺れている。
身に着けているのは、軍服のようなデザインの、袖口の広がった黒服。
背は高くなく、二藍と同じくらいだ。
華奢な体つきだが、なよなよとした印象はなく、少年のようだ。
そして何よりも、その瞳が二藍を捕らえた。
ミッドナイト・ブルー。
真夜中の青。
昏みを帯びた、冷たい青だ。
白い肌と髪に映えてより強烈な存在感を放つ瞳は大きい。
少年は二藍に目を向けた後、天井に座る男を見上げた。
「愛染乃至…!」
呻くような声を上げたのは、金髪の男だった。
「世界機構“H. A”日本支部討伐部隊、愛染乃至だ」
その呻き声に答えるように、少年が凛とした声で言い放つ。
その瞳は水中に沈む氷を思わせた。以前テレビで見た、遠く寒い地球の端で沈黙し続ける氷。
言葉にも表情にも、何の感情も読み取れない。
「ふん…“聖水”か…一度会ってみたいと思っていたんだ」
少年は無言で、その男の言葉を受け流す。
「若干十五歳で中尉となった天才児。愛染宗竜の置き土産…。
その噂は我ら“黒櫻”にも伝わっているよ」
「それはどうも」
少年はそう呟き、腰に下げたケースに触れた。
細やかな装飾が施されたケースは微かな音を立て、開く。
中から出てきたのは、
「み、ず…?」
見慣れた透明な液体に見える。
けれど、二藍が知るものとは、異なる点が、一つ。
重力を無視し、球体となって浮かぶそれは、宇宙空間での無重力状態の姿に似ている。
少年の周りを囲むように、水球が浮かび上がる。
そして、美貌の少年は水が流れるような優雅さで、右手をまっすぐ男に向ける。
男の顔色が蒼白になる。
黒い服の広がった袖口から、紅の生地と少年のほっそりとした指先がのぞく。
球となって浮かぶ水は、少年が男に突きつけた人差し指へと集まっていく。
だが、金髪の男も、ただそれを待ってはいなかった。
「なめるな、」
天井からくるりと転回して床に飛び降りると、
「武器を壊されても、俺は…!」
一瞬にして、男は少年の真横に移動していた。
そしてそのまま、縁側から、外に飛び出そうとした、その刹那。
「だめですよ、逃がしませんから」
庭にいつの間にか、一人の女性が立っていた。手のひらを男に向けている。
二藍やこの少年よりも年上だろう、少年と似たような黒服を纏っている。
栗色のロングヘアーに、深い湖を思わせる、緑柱石の――エメラルドグリーンの瞳をしていた。
口元には不敵な笑みを浮かべている。
男の動きが止まる。
歯をぎりりとかみ締め、見えない何かに抗うように男は必死に身体を動かそうとしていた。
白髪の少年は振り返って、男のうなじに人差し指を突きつけた。
「ほとんどの任務は、単独では行われないことぐらい、知ってただろうに」
宙に浮いていた水球が、指先に集まっている。
「よほど焦っていたんだな」
一瞬だけ、男の背中と少年の指の間で、フラッシュライトに似たような白い光が見えた気がした。
そして、銃声のような衝撃音が響き、夕暮れを背景に男の首の辺りから赤黒い液体が飛び散った。
男のうなじに当てていた少年の指が赤く染まり、白い肌と髪にも僅かに跳ねる。
男は膝から崩れ落ちて倒れた。畳が赤黒く染まっていく。
どん、と鈍い音をたて縁側にうつぶせになった男の身体は、ピクリとも動かない。
死んだようだ。
実感の無い中、二藍は水色のスーツを見つめていた。
白い髪の少年は挙げていた右腕を下ろし二藍を振り返った。
「君は…」
その青の瞳と目があって、二藍の止まっていた思考が少しずつ蘇る。
前髪と頬に男の血を付着させたまま、少年はゆっくりと二藍に近づいてくる。
少年は、はっきりという。
「世界機構“H. A”の者だ」
咽の渇きが増すとともに、段々と状況が脳に染み込んでいく。
自分は、殺されかけて、
この少年は、人を、
殺した。
「な、に…?」
しわがれた声は、震えていた。
虚脱感から開放されるにつれ、込み上げてきたのは紛れもない恐怖だった。
殺されかけた恐怖と、人を殺した、この少年への恐怖。
果たして、どちらが大きいのかは分からない。
「君は、何?…死、んでる、よね…?この人…!?」
少年は、無表情なまま首を横に振った。
「それは勘違いだから、安心してほしい」
そして、はじめて彼は表情というものを見せた。
怯える二藍を安心させるように、天使の様な笑みを浮かべる。
さらりと、白い肌に、白い髪が流れ落ちる。
「これはニンゲンじゃない。
人に化け、人を苦しめる。
俺たち世界機構が討伐し続けている邪悪な化け物だ」
「ひとじゃ、ない…?」
少年は、二藍を安心させるようにゆっくりと大きく頷いた。
「俺たちは、簡単に、“闇”って呼んでる。」
「闇…」
人の形をした、人ではないもの。
「どうして、そんなものが俺を…」
「愛染中尉~!そろそろ帰りましょうよ~!」
追いつかない頭で二藍が呟いた時、黒服の裾をはためかせて栗色の髪の女性が家の中へと入ってきた。
愛染乃至:15歳。美少年。階級は中尉。
愛染宗竜:???