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春は無慈悲な時の女王  作者: メイア
第一章 春は無慈悲な時の女王
29/64

1-27 人形(マリオネット)

乃至サイドです

[27]


今にも襲い掛からんばかりのエボシの殺気に、乃至は自分の背中に嫌な汗が浮かぶのを感じた。

エボシが鎌木二藍を亡き者にするのに間に合ったのは良かったが、戦況は非常に危うい。というか悪い。

乃至もバイス=モンローも、能力者としては弱い部類ではない。この場にいるエボシ以外の闇になら、数は多くとも二人でかかれば何とかなるだろう。


―――問題は、エボシ。


エボシ、またはオウギと呼ばれるこの闇について、殆どの能力者がその存在を知っているが、“悪夢”とエボシ自身も呼んでいるその能力は詳しいことは何もわかっていない。

彼の持つ烏帽子を目の前に突き出されたら終わりだと思え、ただそれだけが怪談話のように能力者たちの間で取り交わされているのだ。エボシは闇の一団である“青いバンディエーラ・キオマッズッロ”の幹部であり、そもそもが滅多に戦場に出てくることはない。

エボシはなぜか、幼い時に初めて会った時から乃至に対して妙に親しげな態度をとり続けていた。はっきり言って気味が悪かったが、何度かエボシと戦っても乃至が軽い怪我だけで済んでいたのはエボシが手加減をしていたようにも思える。さすがに今は手加減されているとは思いたくないが、乃至が戦って勝てるかどうかは別の話だ。


『しかも、今はまだこの前の怪我が完治していない』


左の肋骨にいくつか罅が入っている。四か月前、大戦と呼ばれる闇と能力者との大規模な戦闘が起こり、そこで負傷したのだ。治癒能力者に殆どの怪我を治してもらったが、あまり治癒に頼りすぎると“魂動(アルマ”と“魄動コルポ”が乱れてしまうので傷の一部は自然治癒に任せてある。


普通の健康体で戦って勝率が五分五分…怪我と、鎌木二藍たちを守りながら戦えば、勝てる見込みはない。

どうする、と唇をかみしめた時だった。


結界の中で、新たに“魂動 ”と“魄動”が生まれるのを感じた。


『これは―――!』


目の前にエボシがいることも忘れて勢いよく振り返ると、戦闘服を身に着けたマルクが出現したところだった。胸元に着いた“H.A”の紋章が淡く青い光を発している。結界に自由に出入りできる術がかけられているのだ。


「乃至ちゃん!大佐に言われて、二藍君の糸を持ってきたよ!」


マルクが金髪を乱しながら糸が入ったガラス瓶を掲げた。蓋のところに愛染家特製の封印札が貼られている。この札によって、本来二藍と“切っても切れない何か”で繋がっているはずの “魂の伴侶アニマ・ジェメッラ”を二藍から切り離して眠らせ、封印しているのだ。封印されている最中はジェメッラは“魂動”を発することはない。


しかし、今は様子が違った。結界の中に入ったのは、慣れたマルクのジェメッラの“魂動”だけではなかった。規則正しいマルクのジェメッラの“魂動”に覆いかぶさるかのようなとち狂ったとしか思えない荒々しい“魂動”に、乃至の全身に鳥肌が立った。


見ただけではわからないが、凄まじい勢いで暴れる“魂動”に封印の札がボロボロになっているのを感じる。


「マルク、糸から離れろ!封印が解けるぞ!」

「え?―――うわあっ!」


呆けた顔を見せたマルクの手元が激しい閃光を放った。


「マルク!」


瓶を放したマルクが顔を腕で庇いその姿が光に掻き消えて見えなくなった後、耳が痛くなりそうな轟音と共に熱風が吹きつける。

乃至は咄嗟に腕を前へと突き出し、水で楯を形作った。防ぎきれない熱風に袖が乱暴になびく。閃光で視界が眩んで何も見えない。


『嘘だろ…愛染家の封印を壊すなんて…』


愛染家――乃至が属する一族は、封印と武器の一族だ。愛染家による封印が“H.A”の中では最も強力なのだから、


『その封印が効かないのなら、あの糸を抑えられる者はいないということになる』


風が止み、視界が開ける。マルクの姿はないので、恐らく瞬間移動で逃げることができたのだろう。バイス=モンローが李月仁と少女に覆いかぶさって倒れている。見たところ外傷はないようだ。

問題なのは、鎌木二藍だった。



「ありゃ~、完全にもってかれちゃってるねぇ」

さも面白そうに言うエボシに、正直に頷こうとしてしまった。

鎌木二藍は生気のないうつろな瞳で一人立ち尽くしていた。いや、立たされていた。

少年の四肢に昏い紫色の糸がどこからともなく伸びて絡み付き、操り人形のように少年を持ち上げている。日本人らしい黒い瞳が少し癖のあるこれまた日本人らしい黒髪の隙間から覗いているが、まるでガラス玉のように何も見てはいない。本意ではなくとも性別を間違われる乃至が言えたことではないが、二藍のやや中性的な容姿と相まって等身大の人形のように見える。


「くそ、どうなってるんだ…」


思わず小声で悪態をついた乃至に、エボシはカラカラと笑った。

「なんなのだろーねえ、あの子。ボスは、こうなること分かってて僕に行けってうるさく言ったのかな?」


「前から疑問に思っていたが、お前の上司とやらは何がやりたいのかわからなくて薄気味悪い」


きっぱりと言い切った乃至に、エボシは全く怒るそぶりを見せない。


「僕もよく分かんないんだよねえ、何したいんだろねえ」


「…」


黙った乃至ににっこりとエボシは微笑んだ。


「君たちにとっては、闇は闇らしく、君たちをひたすら襲っているほうが単純でいいよね」


嫌味というわけでもなくさらりと言ってしまうエボシもまた、乃至にとっては薄気味悪いものの三本の指に入るのだが何も言わないでおいた。


不意に、二藍の右腕が糸によってゆっくりと持ち上げられた。不穏な気配に乃至は口を閉じ、腰に付けた水の入った容器に手をかける。エボシは僅かに眉をヒソめ、鉄扇で口元を覆った。



二藍の胸元まで持ち上げられた腕が、勢いよく横に振られた。



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