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春は無慈悲な時の女王  作者: メイア
第一章 春は無慈悲な時の女王
27/64

1-25 「悪夢を、みせてあげる」

[25]



「初めまして、鎌木二藍カマギフタアイ君」


ボーイソプラノと呼ぶには少し低い声で、どこか艶っぽい。黒のスーツパンツに着崩した白のワイシャツ、中途半端に伸びた黒髪の隙間から覗いた瞳は湖の底を思わせる濃い緑の瞳。

何故だか烏帽子にしか見えないものを被っているのがとても気になるが、随分と整った顔立ちの、二藍と同い年位の少年だ。

薄い唇の両端は吊り上がり笑顔だが、その目は全く笑っていない。瞳の緑は、湖だとしたら底まで凍つき生き物は到底住むことができない代物だろう。


顎の下で結ばれた烏帽子の紐を解き、その手に取る。

二藍の横で少年を睨み付ける李月仁のこめかみに汗が滲んでいる。いつの間にか、ドームを攻撃していた周囲の闇はその手を止め、大人しくその様子を見守るように烏帽子を被る少年と二藍たちを囲んでいた。

少し離れたところではバイス=モンローが何体かの闇を相手に剣を振るい、時折刃物同士がぶつかり合い甲高い金属音を立てている。

少年は李月仁の方を一瞥もせずにずっと二藍に視線を向けている。


「僕には名前がないから、好きに呼んでくれて構わないよ。エボシとか、オウギとか、他の人達はそんな風に呼んでるよ」


にっこり、そう擬音がつきそうな笑顔を湛えながら、少年は肉食獣のような瞳を細める。

二藍と初雪を庇うように李月仁が腕を広げ、少年から視線を反らさずに二藍に話しかける。


「エボシ、と呼ばれる闇です。ランクは未知数ですが…A以上だと言われています。かなり、危険な相手です」



…それは、つまり―――



「この結界を壊される可能性が高いです。いつでも逃げられる準備をしてください…!」


「じゅ、準備って…そもそも、どこに逃げれば、」


二藍が言い終わらないうちに、少年がドームに烏帽子を突き付ける。

李月仁は歯を噛み締めてそれを見ながら、直ぐに動けるように構えている。


「悪夢を、みせてあげる」


少年の烏帽子が、緑の光を放つ。ぱちん、とシャボン玉が破裂するような音を立てて、結界が壊れる。足元の杭に縦に亀裂が入る。

結界が壊れると同時に李月仁が少年に札を投げ付ける。バチバチと凶暴な赤い光を纏う三枚の札は、少年の目の前で突然とまり、端から黒い煙を出して焦げ始めた。


札はタチマち燃え尽きて灰となり、崩れていく。


それを見た李月仁が「逃げてください!」と叫んだ瞬間、エボシが鉄の棒のようなもので彼を薙ぎ払った。低い殴打音と共に、李月仁は数メートル離れた地面に叩きつけられる。


「ウォルインさん!」


初雪を抱えて走り出そうとした二藍が声をあげる。ぴくりともしない李月仁イ・ウォルインと、それを待ち構えていたかのように動き出し彼に襲いかかろうとする灰色のコート姿の闇に血の気が引く。

闇が振り下ろす鎌が届くというその刹那、空を裂くような鋭い一突きがその闇を貫く。バイス=モンローだ。

バイスはそのまま李月仁を庇い、周囲の敵を斬り伏せている。

しかし二藍が安心したのも束の間、今度はこちらが危ない状況だ。エボシが一歩ずつ近寄ってくる。周りには他にも闇がいる。逃げられないことは明らかだった。



『どうにかして初雪だけでも…』


二藍は足を止め、エボシと正面から向き合った。それに合わせてエボシも歩みを止めた。


「君は、俺を狙ってるんだろ、だったら、この子は関係無いはずだ」


縺れる舌も、掠れた声も酷く滑稽な自覚はあった。だけど、目だけは反らさない。反らしたら間違いなくエボシは自分に烏帽子を突き付けるだろう。


「俺のことは、好きにしていい。だから、この子には手を出さないでほしい」


どうにか言い切って、相手の反応を待つ。


エボシは李月仁を殴りつけた棒状の物で二藍の顎を掬い上げた。


『これ、鉄扇だ…』


棒だと思った物は閉じられた鉄製の扇だった。この鉄扇がオウギという名前の由来だろう。

しかも扇の縁は刃が付いているらしく、鋭い痛みと共に二藍の顎が切れ、首筋を血が伝った。



二藍より少し背の高いオウギはがその瞳に二藍を映す。


「ふぅん…自己犠牲ねぇ…まぁ僕たちが用があるのは君だけだから、別にその子はどうでもいいんだけど…――」



冷たい緑の瞳が、少しだけ揺れたのを見て、二藍は目を見開いた。一瞬だけこの少年が…泣き出しそうに見えたのは気のせいだろうか。



「――僕は、そーいう自己犠牲って、好きじゃないんだよねぇ」



扇が下ろされ、次に目の前に突き付けられたのは、烏帽子。



「その子がどーなるかは知らないけど、一先ず君は殺さなきゃいけないんだよねぇ」



緑の瞳が嗜虐的な形に歪む。


――終わりだ。と二藍の頭で声がする。




「悪夢を―――」




焦点が合わないほど近い烏帽子を目に入れたくなくて、二藍は瞼をおろす。





…―――何も見えない世界で、水の跳ねる音が聞こえた気がした。




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