1-20 エゴイスティック・ハート
ルストゥルトゥSIDEです
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「意外でしたねぇ、あの子が元の生活に戻ることを選ぶなんて」
かちゃかちゃと小さな音を立ててティーセットを片付けながら、フロルはルストゥルトゥに話しかける。
ルストゥルトゥの執務机の上には、中に昏い紫色の糸の束が入った透明なガラス瓶が置かれており、さまざまな言語とモチーフがびっしりと書かれた封印札が貼られている。
武器操作と封印に突出した能力者を多く輩出する愛染家特製の封印札によって、鎌木二藍と引き離された紫色の糸は眠りについた。札を剥がさない限りは二藍はなんの力も持たない一般人であり、闇に狙われる確率はぐんと下がる。もちろん、しばらくは“H.A”の監視がつくだろうが。
「当たり前だ。よほどの馬鹿か怖いもの知らずでなければ、死にかけた後で能力者になって戦おうなどと思うはずがない」
さも当然というようにルストゥルトゥは返したが、自分のジェメッラへの執着に打ち勝った二藍を褒めてやりたい気分だった。最初に見たときの意志の弱そうな少年だという感想を撤回しようとそっと思った。
「まぁ、そうかもしれないですね」
微笑みを浮かべフロルが相槌を打つ。おっとりとしたその口調に、ルストゥルトゥは優秀なこの秘書の機嫌が元に戻ったのを確信し、ほっと息をついた。
彼女と親しい者にしかわからないだろうが、二藍の言葉を遮ったあのくだりで、フロルは間違いなく怒っていた。二藍への説明を故意に省いた自分と、気づいても何も言わなかった愛染乃至に対してだ。
自分は実のところ本心を言ってしまえば、鎌木二藍という少年が能力者にならなければよいと思っていた。しかし二藍を思ってのこととはいえ、少年が決めるべきことをこっそり誘導しようとしたことをフロルは不快に思ったのだろう。
“H.A”で生まれ育ち、幼い頃から訓練を積んでいる者でさえ、苛烈な戦いの中で心や体に言えることのない傷を負うものは多い。ようやく三十台になったばかりのルストゥルトゥよりもずっと若い少年少女が苦しみ壊れていく様は嫌になるほど見てきた。
今まで安穏と生きてきた少年にはさらに過酷なものだろう。
今は大きな戦が終わったばかりで、能力者の数は足りず、一つでも多くの戦力がほしい時期ではある。愛染乃至などの尉官クラスの能力者は、負傷中にもかかわらず神出鬼没に現れる闇の討伐に駆り出され続けている。そして偶然にも愛染乃至と鎌木二藍は同い年であり、二人ともまだ幼い。
鎌木二藍を能力者として迎えれば、即戦力にこそならなくとも、能力者として今戦う子供たちの負担は僅かながら減ったかもしれない。
――――それでも、あの少年に平和な世界で生きてほしいと思うことは、自分のエゴだろうか。
小さなため息をついて、ルストゥルトゥは瞑目した。




