1-10 「行け」
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「敵が来る」
端正な面を歪ませて、乃至は虚空を睨み付けた。
庭園の一角を乃至は見つめているが、二藍には何も感じることはできなかった。
「乃至ちゃん、本当?」
マルクの金の瞳が途端に鋭くなる。
「あぁ、俺が残って相手をするから、三人ともすぐに“光の塔”に退避してくれ」
ディフェリルは「私も残ります」と青白い顔で叫んだが、乃至は首を振った。
「俺一人で大丈夫だ」
「でも!」
更に言い募ろうとしたディフェリルをやんわりとマルクが押し留めた。
「行くよ、ディフェリル」
「マルク!でもっ愛染中尉だって怪我が…」
「それでも僕らは足手まといだ」
「…っ!」
乃至という少年は、怪我をしているのだろうか、先程までの様子からはそんなこと想像もつかなかった。
冷たくデイフェリルに言い放つマルクは、乃至に確認する様に視線を寄せる、すると乃至は困ったように眉尻を下げた。ただそれだけの動作なのに、美しい造作のせいか、悩める表情は妙に人の胸をつくものがある。
「今のディフェリルは相手の隙をつかないと能力を発揮できない。今倒した“銀の円舞”はランクDの能力者だ。反撃に出るとしたら、それ以上のランクか、複数の能力者達が来るはずだ…。まだ君が戦いに戻るには早い」
声の所々に苦しさを滲ませたその言葉にディフェリルは唇を噛み締めた。
小柄な彼女の肩に乃至は両手をのせた。
「ディフェリルを今失いたくない。それに、マルクとあの少年だけでは何かがあったとき対処に困るかもしれない」
見る限り乃至とディフェリルは上司と部下の関係にあり、乃至は本当に彼女を大切にしているようだ。自分と同じ位の歳の少年が上司として指示を出し、部下を思う。あまりの次元の違いに現実味がない。芝居を見ているようだ。
常識から非常識へと、日常から非日常へと世界が変わっていく。
「乃至ちゃん、何度も言うけど、この子を本当に“光の塔”に連れて行けるかは分からないからね。完璧を約束できる程、この子の波動は安定してない」
「ああ、それでもその子をここに置いておくよりは良い。感じる波動の数から、かなりの人数が向かって来ている」
早口で念を押すマルクに少年は顔色ひとつ変えずにそう言うが、それはつまり、二藍を安全な所に連れて行くために、愛染乃至というこの少年は残ろうとしているのではないだろうか。
「ちょっと、待って、それって…」
抗議の声をあげようとした瞬間、激しい衝撃と共に、先程から乃至が睨みつけていた庭の一角、家と道路の境の塀が激しい風と共に崩れ落ちた。
粉砕されたブロック塀が収まらない風に巻き上げられ、ざらざらと頬を撫でる感触に、二藍は両手で顔を覆って目を眇る。更に乃至が二藍たちを庇うように前へ歩み出た。
腕の隙間から色の土煙の中に、人影が見える。…ひとつ、ふたつ…確かに見えるだけでもざっと十はある。
乃至は腰につけた黒いケースに手をかけながら、険しい表情で相手を睨み付けて言った。
「行け」
それを聞くなり、マルクが強い力で二藍の手首を掴み、自分の腕につかまらせた。濃い金色の瞳が真っ直ぐに二藍を見つめた。
「しっかり掴まって。絶対に放さないで。もし、次に気付いたときに僕と一緒にいなかったら、必ず近くにいる人に『愛染乃至に連れて来られた』と言うんだよ。君が飛ばされた所は、必ず“H.A”のどこかだから」
二藍の返事を待たずにマルクはもう一方の手でデイフェリルの腕を掴んだ。
「行くよ。いち、にの、さんっ――!」
その瞬間、身体から何かが抜け出るかのような奇妙な感覚のズレと共に景色がぐにゃりと折れ曲がり、混ざり合った。
慌ててマルクの腕にもっと強くしがみつこうとして――二藍の意識は飛んだ。
あけましておめでとうございます




