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A bat girl's opinion.

作者: 橘ツカサ

「だぁー! もう、やってられるか!」

 キンキンボイスの叫びとともに、デッキブラシが宙を舞う。初夏のまばゆい陽射しのなか、ブラシは華麗に弧を描く。しかし、そこはただの掃除用具。重力への抵抗むなしく失速し、ほどなくコンクリートのプール底に、もんどり打って落下した。カンカラリという甲高い叩打音と、わずかばかりの水しぶきを跳ね上げて。

 時を同じくして、投擲ポーズを解いた少女が、その場にペタンと座り込む。着衣は半袖体操着に、下はジャージを裾まくり。濡れることなどお構いなしに、そのままプール底へと寝転んだ。

「もう、カエデったら……。そんなことして全身びしょ濡れになっても知らないわよぉ」

 額の汗を拭いつつ、別の少女が寝転ぶカエデをかいま見る。

「何を今更。それならもう、汗と水跳ねで、かなり前からびしょびしょだ。カスミだって同じだろ?」

 カエデは、なおざり気味に言い放つ。

「まぁ、それはそうなんだけどねぇ」

 カスミは視線を下に向け、自分の体操着をチョンチョンと引っ張った。

「よっ! 水も滴るいい女!」

「そもそも、今どき遅刻の罰にプール掃除とかってふざけてる! しかもこんな少人数で。こんな横暴許されるのか? 教育委員会に訴えてやる!」

 目を怒らせて、カエデが声を張り上げた。

「そうだ、そうだ。責任者出て来い!」

「また勢い任せでテキトーなこと言ってぇ。そんなことしても、まともに取り合ってもらえるわけないじゃない」

 掃除の手を止めたカスミが、デッキブラシを杖代わりに、あきれた調子でため息をついた。

「だよねぇ~。実際問題、ムリだよねぇ~」

「いいや、私はやる! 聞き入れられるまで何度でも! 誰が泣き寝入りなんてするものか!」

 カエデが、天に向かって拳を突き上げた。

「いいぞ、いいぞ。人間、あきらめたら負けだっ!」

「私怨と公憤のはきちがえ。そんなタチの悪いクレーマーみたいなことするよりも、素直に恭順したほうが得よぉ。何もここ全部、私たちだけで終わらせろってことじゃなんだから」

 再びブラシでプールの底を磨きだすカスミ。カエデは「くぅ~」と唸って黙り込んだ。

「言えてる。人間、あきらめが肝心だよねぇ~」

 のん気な声が、プール内にこだまする。

「おい、ユリ! おまえ、さっきからごちゃごちゃうるさいぞ! 口を動かす暇があったら手を動かせ!」

 ムクッと上半身を起こしたカエデが、プールサイドに腰掛ける少女に怒声を飛ばす。

「うわっ、怒られた! もしかして八つ当たり?」

 暖簾に腕押し、ぬかに釘。怒鳴られたユリは、反省の色など微塵も見せず、キャッキャと笑い声をあげた。

「八つ当たりなものか! この罰の原因をつくったのはおまえだろうがっ!」

 カエデがビシッと指を差す。当のユリは、自分で自分を指差すと、とぼけた顔で小首を捻った。

「そうだ! おまえだ、おまえ!」

「え~。だって、今日遅刻したのって、バスが遅れたせいじゃんか~」

「だまれ。おまえが寝坊しなければ、もっと早いバスに乗れたんだ。徹頭徹尾おまえせいだ」

「言いがかり! 濡れ衣! 冤罪反対!」

 プールに突っ込まれていたユリの足が、パタパタと空を蹴る。その様はまるで駄々っ子。

「でも、バスが遅れたのは二、三分だし、そもそもあのバスに乗った時点で、間に合う可能性が低かったのは事実なのよねぇ」

 カスミが頬に手を当て、思い起こすようにつぶやいた。

「ほらみろ。うちのユースティティアも、おまえが有罪だと言っている。観念しろ、この犯罪者」

 したり顔をうかべるカエデ。対するユリは、不機嫌そうに頬を膨らませ、ふいっとそっぽを向いた。

「そもそも、この罰自体、おまえが遅刻の常習犯だからやらされてるんだぞ。その自覚、ちゃんとあるのか?」 

「あー、もう、わかったよ。明日からはちゃんと起きるから」

 ユリは、カエデのお説教へ面倒くさそうに返事をすると、そのまま大の字に寝転んだ。

「おまえな~。そのセリフ、今ので何度目だ?」

「今のでちょうど五百回!」

「うそっ!? もしかしてカスミ。今までの全部数えてた?」

 ユリがガバッと飛び起きる。

「ウフフッ、まさか。そんなわけないでしょ」

「あははっ、だよねぇ~」

 プールの淵に手をかけたユリは、愉快げに足をプラプラさせた。

「笑い事じゃないだろう……。今の数字だって、あながち大げさとは言えないぞ。今更ながら、おまえの寝坊癖、なんとかならないのか?」

 カエデが、苦虫を噛み潰したような顔でユリを睨んだ。

「いいじゃんか~。『寝る子は育つ』って言うんだからさ~」

「ハッ、その幼児体型でよく言う」

 ベリーショートの髪型とあいまって、その外見はもはや少年を通り越して男の子。そんなユリを見つめながら、カエデはシニカルな表情をうかべた。

「ひどっ! あ、でも。それってきっと睡眠時間が足りないからなんだよ。だから、ね、明日からはもうちょっと……」

「おまっ、ふざけるなっ! いつも迎えに行くこっちの身にもなれっ! 今日だって巻き添え食らってこのざまだ! ちょっとは人の迷惑も考えろ!」

 カエデの叱咤を受けたユリは、傍らに置いてあったデッキブラシを高らかに掲げた。

「ひとりはみんなのために! みんなはひとりのために!」

「ウフフッ、困った銃士さんもいたものね」

 カスミが、その振る舞いに目を細める。

「カスミ……。おまえがそうやって甘やかすから調子に乗るんだよ、コイツは……」

 カエデは、大きく落胆のため息をついた。

「おい、ユリ。そうやってのらりくらりで済ませられるのは、相手が私達だからだぞ。少しは真面目にやれ。さっきのもそうだ。なんなんだ、日和るような言動を繰り返して。おまえには信念とかそういうものはないのか?」

「信念? 信念ねぇ~。うん、そんなものはない!」

 残念な胸を精一杯反らせてユリは言う。

「こらっ、威張って言うな!」

「あえて言うなら、信念を持たないのがあたしの信念?」

「そんな信念あるものか! いいか、そんなフラフラした生き方だと、世間でつまはじきにあうだけだぞ。そう、あれだ、あれ。寓話のコウモリみたいに!」

「コウモリ?」

 不思議そうに首を傾げるユリ。

「え~とね。むかし、獣と鳥の間で戦争が起こったとき、コウモリは獣の側が優勢になると獣の味方だと言い、鳥の側が優勢なると鳥の味方だと言って、結局最後には両方からのけ者にされたっていうお話」

 カスミの説明に、胡坐をかいたカエデが、ウンウンともっともらしくうなずいた。

「ふ~ん。でもさ、そのコウモリの行動ってそんなに非難されること? むしろその時々の状況に即応できるってすごい能力なんじゃない?」

「な、なんだとぉ!?」

 カエデがギョッと目を見張る。

「う~ん。まぁ、ユリみたいな考え方もありなのかもね。実際そういう解釈もあるみたいだし」

「カ、カスミ~」

 困惑で、カエデは視線を泳がせた。

「だってそうじゃん。『淘汰』って、結局は取り巻く環境に適応できるかできないかでしょ。だったら、状況に合わせて変化できるのって重要だよ、やっぱり」

「そうよねぇ。確かに時代を切り開く人のイメージって、何かに固執・執着するタイプっていうより、いち早く新たな局面に適応できた人って感じがするわよねぇ。だからこそ、最初のうちは異端扱いされるのかもしれないけど。要は、移り身自体は悪いことじゃない。結局は、柔軟性が大事ってことかしら?」

「そうそう。だからあたしは、何にも囚われないで生きていくんだっ!」

 ユリは、これ以上ないくらいほがらかに宣言した。

「ダメだ! 私はそんな生き方、絶対認めないぞ! 揺るがぬ信念、それが一番大切なんだ!」

 カエデが、立ち上がっていきり立つ。

「あははっ、カエデはそれでいいよ。それに、わざわざあたしのことを認める必要なんてないんだよ、別に。だって、何をどう思うかなんて、人それぞれなんだもん。でも、たとえどんなにバラバラでも、たとえどんな在り様でも、結局は全部が全部肯定されるんだよ。意識するしないなんて関係なく在り続け、すべての存在が知らず知らずのうちにそれに従い続けてる。問答無用の全肯定。それがこの世界を統べる『理』なんだもん」

 あくまでも楽しげに語るユリ。カエデは、狐につままれたようにポカンとしてカスミに視線を移した。

「そ、そうなのか?」

「そうなのかもね」

 そんなカエデに、カスミはニッコリ微笑みかけた。

「そうなんだよ、たぶん。だから、あたしに言わせれば、文字通り対を絶つこと、別の何かを否定することでしか成り立たないような唯一絶対の『理』なんて、真理でもなんでもないだよね。まぁ、その偽の真理を巡って紆余曲折を繰り返すのが人為ってものだし、その行為はとってもほほえましいものに違いないんだけどね」

 晴々したユリの顔を目の当たりにして、カエデも清々しい笑顔をうかべた。

「ふん! ちっともわからん。まったく、達観かましていい気なもんだな。だけど、この状況でもそんなことが言ってられるかな?」

 カエデは、足元に横たわっていたホースを手繰り寄せてスプレーガンを手に取ると、ユリに向かって勢い良く水を噴射させた。

「ひゃっ!」

 とっさの出来事に、ユリが小さく悲鳴をあげる。

「はっはっはっ! どうだ! 参ったか!」

 カエデが高笑いを響かせる。その声に負けず劣らず、ユリもまた笑い声を響かせた。

「あははははっ。きっもちいぃ~!」

「くそっ、図太いヤツめ! その適応能力だけはほめてやる!」

 ほどなくふたりは、ワーキャー騒ぎながらプール内で追いかけっこを開始した。

「もう、ふたりとも。掃除の邪魔」

 ひとり黙々と掃除を続けるカスミを見て、カエデとユリは、笑顔を交わして頷き合う。

「なぁ、カスミ。あんまり根をつめると熱中症で倒れるぞ。ここらで少し、クールダウンといこうじゃないか」

「そうそう。その前に、ちょっとだけヒートアップしてもらうけどね」

 カエデからスプレーガンを受け取ったユリは、カスミの足元目掛けて二度三度と水を噴射した。   

「ちょっ! やめっ! ユリ! いい加減にしないと怒るわよ!」

 ピョンピョン飛び跳ねながら、カスミはそれを回避する。

「よいではないかっ、よいではないか~」

 すぐにその戯れは、三人による追いかけっこへと発展した。

 もはや掃除は水遊びへと様変わりし、プール内はかしましい喚声が飛び交った。

 しかし、月に叢雲、花に風。そのお祭り騒ぎに水を差すように、野太い声が轟いた。

「コラァー! おまえら、何やってる!」

 途端、水を打ったように静まり返る空間。

 キー、カシャン。

 プールの鉄製門扉が開閉する音が、不吉に鳴り響いた。

「やばっ! 鈴木だ。どうするよ!」

 担任である体育教師の襲来に、三人は寄り固まって、頭をつき合わせた。

「そうだ!」

 ユリは一瞬パァッと顔を輝かせ、ニヤニヤしながら口火を切った。

「あ~! センセーのえっちぃ~。さては、あたしたちのあられもない姿をのぞきに来たんでしょ~」

 ユリの意図を理解して、カエデとカスミも笑顔をうかべて呼応する。

「セクハラ教師、エロ教師! こっち来んなっ!」

「先生、軽蔑します!」

「ば、ばか者! 教師をからかうんじゃない!」

 威勢の良い台詞とは裏腹に、鈴木教諭の声色には、明らかな動揺が聞き取れた。

「大成功! これでイニシアティブはこっちのもの!」

「でも、本当にこれで大丈夫?」

 カスミが、心配そうにユリの顔を覗き込む。

「大丈夫、大丈夫。『なんとかなるさ だいじょうブイ!』」

 ユリは、満面の笑みでVサインを突き出した。

「なんだそりゃ!? ホントおまえってヤツはっ!」

 カエデ・カスミ・ユリ。一人ひとりの笑い声が和合しあい、三人だけの空プールは、再びひとつの歓声に包まれた。


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