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8 侍女・ニコラ

 正直に言ってしまっても宜しいのでしょうか。

 いいえ、問うても意味のない事です。


 何故なら、私にとってはどうでもよい事なのです。


 私は私の仕事をするだけの事。


 何しろ、私が仕えるべき主人だと女官長に言われたお相手は、私たち傍仕えとなる女官・侍女誰一人に対して何一つとして興味を示されなかったのですから。


 噂だけならば、可愛く綺麗な小鳥達のたっぷりと毒を孕んだ囀りで聞いてはいました。

 

 生気(かんじょう)のない《人形姫》。


 まったく誰が言い始めたのかは興味はありませんが、確かに的を射た言葉は、たったそれだけで王妃様の全てを表していましたから。


 親衛隊から配属された王妃様付きの騎士が五人。

 侍女もまた五人。

 そして、女官は三人。


 一国の、それも正妃たる立場の女性に付けられる傍仕えの人間がたったそれだけ。

 しかも、ご実家から連れて来られた侍女の一人もいないと知った時、私は正直周囲の方々の正気を疑いました。


 幾ら国王様に疎まれていようと、ご実家は王家と比肩する程の歴史と伝統を持つ血統貴族筆頭のセイィータ公爵家。

 そのご実家の力を使えば、幾らでもご実家の息の掛かった侍女や騎士を後宮に送り込む事など容易い筈です。

 他の幾輪もの《華》など、ご実家から何人も気心の知れた侍女などを連れて来られていますのに。


 (まつりごと)に絡んだ上下の位置づけは、《華々》にも当然ございます。

 その背景絡みで、《華》の手持ちとなる許された傍仕えの数もそれぞればらつきがありますが、最低でも一人か二人は「腹心」とも呼べる者を傍らに置くものです。


 けれど、王妃様がそれを望まなかったのかそれとも国王様が許さなかったのか。

 それらの答えを一介の侍女が軽々しく自ら知ろうとするのは恐れ多い事です。


 最低限の人間だけを付けられた王妃様に同情の声をあげる者がいないという現状が、王妃様の立場を物語り、また国王様からどれ程軽んじられて見られているかを周囲にまざまざと印象付けていて、私は何故自分が厄介事の匂いがする《暁宮(みや)》付き侍女に配置されたのか。


 溜め息を何度も零したものです。


 そんな私は、ただ仕事をしました。

 貴族のご実家から行儀見習いとして王宮にあがる女官たちの仕事の大半は、仕える主の話し相手やお茶の相手をするのが(メイン)で、そのたおやかな手が荒れるような仕事をこなす必要性はなく、私のように裕福な商人や中位以上の官吏の身内として身元を保証されている侍女は室内に入る事を許され、細々とした身の回りの世話などをするのがお仕事です。


 だから、私は無駄口ひとつ叩かず、王妃様の過ごされる室内の掃除などをしましたし、手間の掛かるドレスの時は着替えの手伝いをし、複雑な髪結いの役目を任される事もありました。


 ただ、誰も王妃様に与えられた《暁宮(あかつきのみや)》で王妃様の傍に長くいようとする者はおりませんでした。

 

 私とて、にこりとも微笑まず、満足な言葉も綴らず、耳にした王妃様の語彙など片手で数えられる程―――などという人間(ひと)の傍に長くいたいものではありませんでしたし、王妃様も誰がいようといまいと気にされている様子は一度としてありませんでした。


 こちらが起床を知らせる前には身支度を整え、衣服の着替えも私たちの手を殆ど借りず、湯殿も一人を好み、お茶のひとつとしてこちらが差し出さなければ望みもしない。


 手間暇掛からないという事だけが、唯一の美点でした。


 そんな《人形姫》は、王妃として公の場に出た際には、笑顔を浮かべ声を出され、手を振り。

 例え、それら全てが作り物だとしても《王妃》としての仕事は完璧にこなしておりました。


 完璧な《王妃》の欠点は、その容姿が凡庸というだけで、他国から訪れた大使などは、時折《王妃》の仕事ぶりを褒め称えていた事もあったとか。


 そんなお姿と普段のお姿の落差に、本気でこの方は誰かに操られる《人形》なのだと、幾度となくしみじみ思ったものです。


 けれど、窓辺の向こうを見ていらっしゃる姿がふとした瞬間に随分と小さく見えたのはどうしてでしょう。


 寄る辺ない幼子のように、寂しさをそこに感じた気がしました。


 正直、何故この方は幸せを知らないのでしょうか。

 それとも幸か不幸かも感じる心がやはりないのでしょうか。


 いえ、やはり問うても意味のない事。


 私は私の仕事をするだけです。

 所詮、私は多少裕福な商人の娘に生まれ、花嫁修業の一環として王宮勤めを希望しただけに過ぎず、それがたまたま王妃様付きになった一介の侍女。


 一生を捧げる程に決意して、後宮に侍女として勤めている訳ではないのですから。





 

 だから、王妃様。

 貴方が幸せであろうとなかろうと私にはどうでもいい事。

 ただ、私は貴方という王妃がいたと、その数年間をたまたま近くで見知っていただけの人間。














 それだけでさえ《罪》と断言されると解っていたら、私はもう少し貴方をお慰めしようとしたでしょうか。

 




 











 ニコラは、突然決まった宴の準備に借り出されていた。

 普段は、《暁宮(あかつきのみや)》付き唯一の侍女としてそちらに詰め、王宮や後宮内との橋渡し役も勤めていたが、それも実質的にはとうに役目を終えている。


 未だ、《暁宮(あかつきのみや)》にはセイィータ公爵家の息女・アリアが正妃として存在しているが、国王陛下が隠す事なく溺愛する娘であり、また《眷属》とも言われている娘の懐妊が二日前王宮内外に報されたのだ。


 それに因って、王宮はその祝宴の準備に追われている。

 宴の準備期間はあまりにも短いが、とにかく国王は《眷属》の娘の懐妊祝いをしたいようで、祝宴に呼ばれる貴族や国外の要人たちなどは、今すぐにでも王宮に出向く事が出来る者たちだけのようだ。


 領地から早々遣って来れない貴族たちや国外の要人たちに関しては、後日盛大な宴を計画しているらしく、今夜の宴は珍しくも小さなものであると聞き知っているニコラであっても、やはり急ごしらえの準備に穴があってはいけないと緊張してしまう。


 しかも、《眷属》の姿はあまり知られていないのでお披露目も兼ねているのだから、些細な事にも決して手抜きは出来ない。


 猫の手も借りたい忙しさに、後宮勤めの侍女も手が比較的空いている者は宴の準備を優先するよう通達され、ニコラは当然それに従った。


 数人の王宮勤めの侍女たちと共に、手配された花々を宴の場へと飾る為に抱えて歩く。


「それにしても、漸くニコラもお役目から解放されるわね」


 勤める場は王宮と後宮という違いがあるが、顔見知りの侍女は訳知り顔で言う。

 問い掛けというには確信した言葉に、ニコラは「そうね」と頷いた。


「五年も、あの(・・)王妃様に仕える事の出来たニコラを尊敬するわ。私、あんな無表情で何考えているか解らない人、何だか怖くてダメだわ」

「ああ、解る解る。だって、結局王妃様付きの侍女で残ったのニコラだけなんでしょ?何人か配置換えで《暁宮(あかつきのみや)》にも付けられたって聞いたけど、長続きしないって有名だったものねぇ」


 確かに侍女仲間達の言う通りだ。


「私だって、まさか自分一人だけになるとは思わなかったわよ」


 最初の一年で、親衛隊の騎士五人が王妃付きを辞退し、別の親衛隊騎士が一人となった。

 それから半年足らずで、元々足の遠ざかっていた女官三人が別の《華》付きを希望していなくなり、五人いた侍女もニコラ以外が数回その顔ぶれを交代し、ここ二年はニコラ一人となっていた。


 本来、そんな事は王妃付きとして有るまじき事態なのだが、この国の、それも現国王の今は有りえてしまった。


 その冷遇具合に、本来後宮の主人として采配を(ふる)うべきはずの正妃が侍女たちにすら格下に見られている。

 王妃といえば後宮を纏め上げ采配を揮う素振りさえひとつとして、ニコラは仕えてから五年の間一度として見た事はなかった。


 それは後宮の主人となる才覚が元からなかったからか、それともなる気がなかったからか。

 どちらにしろ、正妃という位にある者が後宮の格下にあたる女たちを纏め上げていないのは問題だ。

 

 采配者として行動ひとつどころか言動にもちらりと表れない王妃に、結局女官長が積極的に動き回り、尚の事、後宮の主人として周知されていたのは愛妾の一人・ミアリリスである。


 尤も、ここ最近は国王の寵愛を独り占めしている《眷属》という《華》が後宮の新たな主人と認知されつつあった。


「後宮付き侍女になるのも、やっぱり主人が誰かで良し悪しが変わるものよね。今までだったら、ミアリリス様の侍女になりたいって子が多かったけれど、今では《眷属》様付きを希望する子が多いものねぇ」

「それはそうよ。陛下のご寵愛っぷりって半端ないって有名だもの。《眷属》様が後宮入りしてから、他の《華》の何方(どなた)のところにも通われてないんでしょう?《眷属》様が正妃になられるのも決定的だって言うし、ご寵愛されている女性の侍女で、しかも正妃様になられるっていう主人に仕えられたら私たち侍女も誇り高くて、更に箔がつくってものだわ」


 位の低い主人付きの侍女よりも、当然国王の覚えもめでたい高位の主人の(もと)で働く侍女の方が、将来的にみて婚姻の際の箔のつき具合が違って来る。

 出来るならば国王陛下付きの侍女だったという肩書きが一番だが、新たに正妃となるだろう女性が国王の寵愛を一身に受けていて、更に《眷属》ともなれば、そんな高貴な身分の女性に仕えた事実は、大層自慢な箔となり、婚姻には色々と有益だ。


 ニコラにしてみれば、正妃といえども名前だけのセイィータ公爵家息女に仕えていた五年間は、ある意味無為に過ぎた時間でしかない。


 それでも仕事は仕事と割り切って仕えてはいた。

 そんな割り切り具合を評価されて、五年間配置換えの話が女官長の口から出なかったという皮肉な事実をニコラは知らない。


「次は、誰に仕える事になるのかしら」

「絶対、良いところよ」


 つい零れた言葉に、可笑しそうに返された。


あの(・・)王妃様に五年も仕えて来れた実績買われて高官方の誰かか、もしかしたら眷属様付きって事もありえると思うわ」

「そうよ、ニコラってば有能だって聞くわ。王宮女官長も後宮女官長から聞いたって話をしていたもの」

「眷属様にはすでに何人もの侍女や女官たちが付いているから、流石にそれはないんじゃないかしら」  


 ニコラは苦笑して否定した。

 

 国王の寵愛深き娘には、国王自らが厳選したと言われる侍女や女官たちが大勢仕えている。

 親衛隊の騎士でさえ、十五人も専属で仕えているのだから、そういうところで現正妃との待遇の差があからさまに出ていた。


「噂では、眷属様ってとってもお優しいって聞くし、私たち侍女一人一人の名前もちゃんと呼んで下さるそうよ。三日に一度は、侍女たちも一緒にお茶会とかしているんですって」

「いいわねぇ。私、前の(あるじ)が辞官されてから今のところ次の仕え先が決まっていないのよ。何方(どなた)の専属でもないからあちこちから雑用言いつけられて、お茶なんてしている暇ないわよ。侍女って言っても、仕える主が定まってないとただの女使用人ですもの」

「そうよねぇ。出来るなら貴族階級に生まれたかったわ」

「あら、どうして?」

「運が良ければ、私室付女官になれたかもしれないじゃない。眷属様って、身寄りがいらっしゃらないんでしょう?」


 姦しい会話にニコラも時折口を挟みながら、(そういえばそうね)と頷く。


 私室付女官と呼ばれるのは、王妃と最も親しい女官だ。

 けれど、大抵は王妃が最も信頼出来る要素を持つ王妃と縁戚者にあたる者がなる。

 後宮の雑用・人事等一切を取り仕切る女官長とは一線を画した権限を持つとも言われている。


 侍女仲間の発言が、せめて貴族階級を持ち、女官として仕えられていたならば私室付女官も夢ではないと願望めいてしまうのは、眷属に身寄りがないからだ。


「無理よ。メリレンチェ公爵家が後見人の名乗りをあげたじゃない。陛下もお認めになられたし、私室付女官って名誉を戴くのはメリレンチェ公爵家の縁戚者だわ。しかも、後見人の名乗りを挙げる前に、眷属様付くの女官や侍女の何人かはメリレンチェ公爵家の縁戚者から選ばれていたそうよ」

「それなら、最初から眷属様の後見人はメリレンチェ公爵家って事ね」


 それを聞いてニコラは、今自分が仕えている正妃が廃されるのが以前から決まっていたのだと改めて思い知る。

 しかし、それを知ったからと言って痛む心がある訳ではない。


 仕事と割り切った上での、正妃と侍女の関係なのだ。


「ねぇ、ニコラ。ちょっと前から訊きたい事あったんだけど」

「何?」


 準備に掛けられる時間が短いから急ぎ足ではあるが、宴の場までまだ距離がある。

 興味津々とした眼が向けられて、瞬きした。


「ここ二年も《暁宮》の侍女ってあなただけだったでしょう?」

「そうね」


 それは誰もが知っていた事だ。


「しかも、専属の騎士様も一人。男と女がずっと一人だけだったのよ。何かロマンスとかは生まれなかったの?」


 その問い掛けに、他の侍女たちが「きゃー」と騒いだ。

 王城内の廊下を歩いているところなので、流石に声量は抑えられていたがニコラを驚かせるには質問の内容と共に十分だった。


「そうよ、そうよ。私たちも訊きたいわっ」

「しかも、あのラグアル=セッシャ様でしょうっ。レバンチェック様がその腕を認められているって有名じゃない」

「しかも、ご実家は子爵家とは言っても困窮しているって言うし、三男らしいし、ニコラの実家との釣り合いは十分取れてるじゃない」

「ちょ…っ、馬鹿な事言わないでよっ」


 ニコラは、睨みつけるように言うが迫力はない。

 自分の耳が熱を持ったのを知っている。


 ニコラの実家は、金を持っている商家だ。

 正妃付き唯一の騎士の実家が没落貴族であり、跡継ぎではない三男なら、寧ろ男の実家は諸手を挙げてニコラを歓迎するだろう。

 それ位には、ニコラの実家は裕福だ。


「私たちより、男性と接する時間は多かったんでしょう?しかも、親衛隊の騎士様ともなればそれだけで引く手数多なのに、相手はセッシャ様よ。柔らかな顔立ちで優しい性格で、とても気さくで、剣の腕は親衛隊の中で十の指に入ってるって。付き合っている女性はいないそうだし、婚約者もいないって聞いた事があるわ」

「セッシャ様、いいわよねぇ。好みだわ。それに頑張れば、私たちでも手が届きそうじゃない」


 姦しい会話が更に盛り上がる。

 確かに、実家が裕福であれば爵位持ちでなくてもラグアルとの婚姻も夢ではない。

 高官の娘であれば、その父親の口利きで、没落している実家の人間を何かの役職に登用するなどという支援が出来る。


 しかも、ラグアルの容姿は女性受けする位には整っている。

 柔和な容姿は何処か頼りなさ気にも見えるが、性格の良さが滲み出ていて、いっそ甘い面立ちと評されるだろうが、精鋭中の精鋭である親衛隊員として働く姿はその甘さを削ぎ落とすので、落差のある姿がモテる要因にもなっている。


 ニコラとて、長く接している内にラグアルを憎からず思っている。

 

 けれど……と。

 ニコラは、視線を眇めた。


 確かにラグアルは優しい。

 しかも、たった一人で正妃に仕える侍女であるニコラを気遣える細やかな気性の持ち主でもある。

 それには随分と慰められた。

 ただ仕事をすればいいと割り切っていたとしても、一人である事と誰か傍にいて気遣う声を掛けてくれる者がいるのとでは心持ちが大いに違って来るのだから。


「でも、前に噂なかった?」

「え、どんな?」


 親衛隊に属する騎士の誰それが好みだ格好好いだ話していた中の一人が、ふと思い出したとばかりに言った。


「ほら、セッシャ様と王妃様の仲が……、ね」


 明言は避けて、聞いた人間の想像を掻き立てる物言いにニコラはカチンと来た。


「セッシャ様の誤解を招くような言い方止めなさいよ。下手したらセッシャ様の名誉を貶めるような事にもなりかねないのよ」

「ちょっと。そんな大げさに怒らなくていいじゃない」

「そうよ、ニコラ。大体、噂があったのは本当じゃない」

「一時的なものよ。第一、一番傍にいた私は噂が真実じゃないって知っているのよっ」


 自然、ニコラの声音は叱責するようなきつさになった。

 言われた侍女たちが、少し白けた感じで肩を竦める。

 言い出した侍女にしてみれば、いつもの他愛ない噂話を引き出して来たに過ぎないし、他の侍女たちも真偽はどうあれ噂を囀る楽しさを満喫したいだけなのだ。


 以前、余りにも有能なラグアルを正妃付きから外そうとしたらしいが、それをラグアル自身が即答で断ったというそれだけの経緯で正妃の傍を離れられない事情があるのではないかと噂がたった。

 そうなると色々脚色という尾ひれ背びれがついて噂は誇大に巡るものだ。


 最終的には、正妃と騎士は並々ならぬ関係を持っているとまで噂された。


 だが、ある意味それも仕方ないと言えた。

 何しろ、ラグアル=セッシャは正妃の傍近くに常に控えている唯一の異性なのだ。

 国王の足も遠く、更には《暁宮》の人員配置を考えると国王以外の異性を引き入れようと思えば出来なくもない。

 それ程に、《暁宮》の警備体制は侍女達の目から見ても甘く、唯一の侍女ニコラですら四六時中《暁宮》に詰めている訳ではないので、逆にその内情を良く知るニコラにも《暁宮》は異性を引き入れるのに適していると思えてしまうのだ。


 良からぬ事を考える人間が入り込み易いとも言える。


 騎士の矜持を軽んじたとも言える噂は、常に娯楽を求めている宮中の人間の好奇心を容易く満たした。そうして、結局のところラグアル=セッシャの人徳だろうか。噂はそう長引かずに下火になったのだ。


 それを蒸し返されてニコラは本気で憤った。


 あの優しい騎士様が、何故あのような生きているのか死んでいるのか解らないような人形姫(せいひ)と男女の仲を噂されなければならないのだ。


「何をしているの、あなた達」


 下種な勘繰りに、ニコラは何かもっと言おうとしたがそれは突然飛んで来た叱責に出鼻を挫かれた。

 ハッとして皆でそちらを振り返ると王宮女官長がいた。


「お喋りが楽しいのは仕方ないけれど、今は囀り合っている場合じゃないでしょう。宴の時刻までに生花を全て飾り終えないといけないのよ。それに仕事はそれだけじゃないでしょう」


 さぁ急ぎなさい――――と、語気強く言った女官長が侍女達の行動を急かす様にパンッパンッと掌を打ち合った。


 「はいっ!!」と皆で勢い返事して更に先を急ぎ出す。


 そんな中、ニコラの胸中はもやもやしたもので一杯になっていた。


 憎からず思っている騎士が、正妃と噂になったというそれだけで肌に大量の砂をざらりと(こす)り付けられた気分になった。

 

(いやよ、噂になるだけでも許せないのに……っ)


 《暁宮》に長く勤めているニコラは、二人がそんな雰囲気になった事がないと知っている。

 正妃・アリアは相変わらず人形のようで不気味であったし、騎士・ラグアルは職務に忠実であった。


 ただ、それだけだった。


 だから、ニコラは安心して仕事をしていられたのだ。

 正妃がどんなに冷遇されようが、どんな悪質な噂の的になろうが関係なかった。

 そんな主の侍女ともなれば、後宮内で苛めの対象になりそうだが、逆にそんな主に仕えているからこそニコラは周囲の人間に同情されていた。


 淡々と、仕事を忠実にこなす。

 侍女としての矜持が、それを蔑ろにするのを許さなかった。

 そして、その仕事場には毎日会える人がいたから、だからニコラはただ仕事を真面目にこなしたのだ。


 抱えた花々を知らず強く抱き、足早の踵が普段以上に強く廊下の建材を踏みつける。


 そして、ニコラは時を置かずに知るのだ。


 残酷な現実を。

 傍観者であった事さえ、許される謂れにはならないのだと。


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