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5 愛妾・サンドラ

 この女性が、正妃……。


 噂に聞いた通りそのままに、その(おもて)には、こちらに対する感情や感想の一片すら滲ませない仮面のような《無》があった。


 事前に聞き知っていたはずだが、実物と間近な距離で対面してしまうとあまりのその《無さ(・・)》に知らず息を飲んでしまっていた。


 昨夜、国王陛下と初夜を過ごした己の体に残る気怠さを知られている気がして、感情の制御(コントロール)に物心付く前から徹底的に慣らされていたはずの王族としての矜持が揺らぐのを覚えた。


 羞恥――――常に笑顔を絶やさず、また感情や表情・仕草を自己の望むまま最良な形で表にしてこそ完璧な王族としての生き方で義務と教えられていたのに。


 一人の女性とただ対峙しただけで、激しく居た堪れないのは、本当に何故なのか。


 答えに辿りつく前に、徹底して叩き込まれた反射として優雅に挨拶の為に腰を僅かに下ろし、すっと頭を下げ挨拶を口にしていた。


 しかし、その間も脳裏にはどうして自分がこの女性に対して羞恥を覚えてしまったのか。


 それを疑問としながら、気怠さを誰にも気取らせないよう完璧に気をしっかり持っていたはずなのに。


 耳の奥に、ざわざわとしたモノがある。


 間違えてはいけない―――と。


 何を?

 自問したが、答えに行き着けない。


 奇妙な緊張が湧いた。


 今や、この大陸中で最も水と緑を残している大国の正妃でありながら、その君主たる男に蔑ろにされていると国内外の一部には公然の秘密として知られている哀れな女。


 侍女たちの口から、この国に訪れる前から噂話として何度も聞いてはいたが、なるほどと納得してしまうには至らない。


 けれど、納得しないからといって自分にはどうしようもなく、また関係もなかった。

 正妃になれるならそれに越した事はない。

 けれど、それ以上に優先すべきはこの国から永続的な援助を反故されないよう努める事。


 己は後宮に新たに生けられた《華》の一輪。

 一日一日を過ごす内に、根付ていていくのだろう。


 形式的で儀礼的な挨拶で、この場を辞す。


 哀れなお妃様。

 けれど、同情はしない。

 

 望んでこの後宮に入った訳ではない己だが、正妃に同情出来るような立場ではなく。また、正妃はそれを望みもしないだろう。


 ただ、閉じられゆく扉の音を耳にしながら、ふと思ったのはただ一つ。


 特別な鳥籠や牢獄よりも、この堅牢な後宮(おり)からいつか自らの足で出て行けたらいいですね―――――と、そんな事。





 正妃自身の意思で、自らの足で、この狭小な世界から…………。












 この国を裏から支えていたセイィータ公爵が亡くなったというのに、この後宮にあってさえその死は大半の人間に喜びとして迎えられた。


 表向きは、その死を悼みはするが、これで正妃である女性は完全な後ろ盾を失ったのだ。

 後見人に指名されていたはずの血統貴族第二位のメリレンチェ公爵さえ、正妃の後見人を引き受けるつもりはないと国王に告げ、正妃へ追い打ち掛けるようにその息子たる次期メリレンチェ公爵が《眷属》の後見人に名乗りを挙げれば、その場でどちらもが国王からすぐさま認可された。


 一刻と経たずに王宮内外に公表された速さからして随分と前から予定されていた事だったのだろう。

 それが、セイィータ公爵の急逝で早まったのだ。


 サンドラは、溜め息を零した。


 一体、どれだけの人間がセイィータ公爵の死を真実悼んでいるのだろうか。


 そう思うと共に、己の(あるじ)でもある国王・グレンダートの《眷属》への寵愛ぶりに国王派及び《眷属》擁護派の人々の多さを考えればあまりにも少ないだろうと容易に想像出来る。


(なんて事かしら……)


 この国の影の立役者を失い、それは一体どれ程の損失となったのか。

 気付く事も気付こうとする事もしないのだろう。


 それを憂い、サンドラは眼を伏せた。


 尤も、セイィータ公爵の多大な功労を知る者はあまりにも少なく、そしてセイィータ公爵自身表立って行動はしていなかったのだから、仕方ないと言ってしまえばそれまでなのだろうが。


「どうされました?姫様」


 陶磁のカップを手にして宙に浮かせたままのサンドラに、そっと声が掛かる。

 思考の(ふち)に掛かっていた意識が呼び戻され、サンドラは「何でもないわ」と首を振った。  

 

 国を出る時に唯一付いて来てくれた侍女のサリーが、その返答に納得いかない顔をしている。

 五歳年上の侍女とは物心付く前からの付き合いだ。

 元は、サンドラの母の遠縁の娘で、サンドラが生まれる前からサンドラの母が生む一番最初の子の侍女となる事が決まっていたサリーである。

 その為の教育を徹底的に受けていて、サンドラ至上主義だ。

 

 そして、サンドラが家族以外で心から信頼し、信用出来る唯一の存在であるサリーには己の性分を良く知られている。

 

「セイィータ公爵がお亡くなりになった事で、この先この国はどう変わっていくのか気になったのよ」

 

 だから、結局心内を言葉にした。

 サンドラのそれにサリーが尤もとばかりに大仰に頷く。


「姫様の仰る通り、将来(さき)を憂いてしまわれるのも致し方ないのかもしれません。ですが、私たちが憂いたとて、この後宮に携わる人間たちからしてすでに眷属様一色。私たちの意見に陛下は一瞬き程の時間も耳を傾けはしないでしょう。それこそ、致し方ない事でございます」

「それはそれで、色々と問題があるのだけど」


 陛下も困った方ね―――――そう零したがサンドラは、サリーが口にした「致し方ない」という言葉に多大な憂いと諦めが含まれているのを理解していた。


 自分もまた「致し方ない」と諦観している。


 故国からこの後宮に送られてすでに四年。

 大陸の国々にとって年々深刻化していくばかりの水不足問題故に、未だ安定した緑と水を持つこの国に縋らなければいけないのもまた致し方ないのだ。


 その資源を求めて、先の国王・ギルリアード二世が即位してから数年程までは近隣諸国と小競り合いが繰り返されていた。大規模な戦争に発展しなかったのは、幸いだっただろう。


 本来、サンドラは故国の第一位王位継承者だった。

 しかし、永続的な食料援助を求め、この国の属国となる証としてグレンダート王の後宮に入った。

  

 故国は、この国の南方、他の一国を挟んだ砂漠の小国だ。

 年々砂漠化の速度が早まっている。


 大陸中で水や緑が不足している原因は、誰もが知っていた。

 二百年程前に起こった大規模な水蛇狩りに起因する。


 元々、希少種の水蛇は雨と水の神・サライライサの涙が生み出したと言われる幻獣種でもある。

 国によって信仰する神々はそれぞれだが、元は複数の上位神の足許で創造されたとされるこの大陸は常に神々の息吹や存在を感じる事が出来た。

 

 事実、水蛇狩りが起こる前は度々、下位神とはいえ神の降臨があったというし、神々の(しもべ)である精霊たちも頻繁に姿を見せたという。


 そして、水蛇は新たに水が生まれる(わきでる)処に生息する。

 安定した水が湧き続けるようになると、水蛇は新たな水の生まれる別の場所を探して移動を繰り返すと言われる。

 故に、水蛇は信仰の対象でもあった。


 だが、それが乱獲されるに至ったのはある魔道使(まどうし)が偶然知った事に因る意外な効能に、王侯貴族や裕福な人々の欲望が肥大してしまった為だった。


 うっすらとした青をその銀の艶やかな鱗に纏う水蛇の、その尾と頭の血肉を食せば(たちま)ち十は若返り、老化速度が緩やかになったという。


 事実、水蛇の尾と頭の血肉を巡って醜く争った末の勝者たちはその通りになった。

 だが恩恵に与れなかった者たちの妬み嫉みによって、勝者たちは次々に殺されたのだから、不老長寿を手に入れたはずが本末転倒という最後は皮肉以外の何ものでもない。


 水蛇が狩られた事で、新たに水が生まれていた土地からはみるみる水は干上がり、連鎖して雨が降らない日が続き、緑は枯れ始め、土地に作物も育ち(にく)くなった。

 安定していた水場も、忽ち減少し始め、そこに至って水蛇狩りを行った人々は大いに後悔したが、全ては遅過ぎた。


 すでに水蛇はその姿を人々の前から消していた。

 元々、滅多に見る事の叶わない希少種だ。


 契約や友愛によって人間に《力》を貸していた精霊たちも徐々に消えて行き、その姿を眼にし意思疎通する《力》を持つ精霊使としての素質ある人間は生まれなくなってしまった。

 辛うじて、精霊たちの気配を感じられる人間が時折生まれる程度だ。


 神の怒りを買ったのだ。

 

 このままいけば、この大陸中が干乾びて滅び逝く。

 だから、国々は生き残る為に模索し続けてもいるのだ。


 その生き残る為の手段のひとつが、大陸二十三国の中で砂漠化の速度が一番緩やかであり、唯一その砂漠化から緑化に転じようとしているこの国から協力や同盟を得、必要ならば膝を付き(こうべ)を垂れ慈悲や援助を乞う事。


 だから、サンドラは王位継承権を自ら放棄し、この国に来た。

 望んで後宮の《華》となりたかった訳ではないが、故国の人間たちの中でこの国に対して恭順を示すに最も適した人間が自分であったというだけの話。


 サンドラは、国王・グレンダートに対して愛情も親情も持ってはいない。

 最初の頃は、それを持とうと努力もしたし、持てるのではないかと自分の心が変化してくれる事を期待もしていた。


 けれど、後宮というある意味国の中枢で最も陰を持ち、権謀術数渦巻く暗部と身近に接して、この国をこの国の上層部の人間を知れば知る程に諦観してしまったのだ。


 なんて、浅はかな子供のようなのだろう――――――と。


 この国の磐石となり、この国を支え、この国の行く末を幾重にも想定してそれらに対して様々な臨機応変さを考え続けて奔走し続けていた人物の本質を見ようともしなかった多くの人々に。


 怒りを通り越して呆れ、そして憐れまずにはいられなかった。


 それは先入観の殆どないサンドラだったから気付けた事なのかもしれないと、思った事もあったが、実際のところセイィータ公爵は確かに表立って行動はしていなかったが、後宮にいるはずの自分ですら調べてみれば簡単に知れた事だった。


 それなのに、それを知ろうとしない、知らない、それとも気付かないふりをしているのか。

 どちらにせよ、真実を見る眼は誰も彼も多くが雲っているという事が最大の問題だった。


 そこに来て《眷属》の存在は、安心感をこの国の人間に与え、大いに気を抜かせてしまっているだろう。


 砂漠化の危機や水不足の憂いに頭を悩ませる必要もなくなり、それどころか大陸全土を支配するのも容易だ。


 それを齎す《眷属》の身を各国が虎視眈々と狙っているからこそ、国王は一刻も早く眷属に愛妾ではなく、正妃という確固とした地位を与えたいのだろう。

 まして、正妃の立場で《眷属》が国王の子を産めば、尚の事この国は強大となる。

 《眷属》という国母を持ち、次代の王が《眷属》の血を引く事実が、大陸全土に与える影響はあまりにも大きい。


 サンドラは、止めていた手を動かし、すでに冷めてしまっている紅茶を()した。

 サリーが淹れ替えましょうか、と問うたがそれを断ったのはこの一杯さえ贅沢な物だと解っているからだ。

 

 耳にざわめきが生まれる。

 

 ざわめきを生むのは、風の精霊。

 何をざわめいているのか知れないのが、サンドラには残念だ。


 姿を見る事も声を聞く事も出来ない。

 ただ、風の精霊が傍近くにいると知る程度の事。


(ああ、でもそうね……)

 

 心当たりがないでもない。


 大陸には元々、神の足許で創造・建国された国が大小合わせて二百数十あったという。

 それが様々な変化や環境・争いに因って淘汰され、現在は二十三国に落ち着いているが、消えていった国は数多あっても、残っている国々は建国当初からの名を名乗っている。


 各国、それぞれ幾度となく王朝は変わっても国名だけは変わらない。


 そんな中で唯一、国が生まれた当初からただ一度として王朝が変わった事のない国。

 それがサンドラの故国だった。


 眩暈を覚えそうな程に永い歴史を持つ古国・エルドラーデル。

 だからこそ、王朝の交代劇のない古き国にしか今となっては残っていない伝承がある。


 王から第一位王位継承者に、そして国王となったその継承者から次の国王となる者へ。

 そんな人間しか見聞き出来ない物。


 第一位王位継承者だったサンドラは、すでに父王から伝承を聞いた後。


 本来なら、そんな立場の者を国外に出すはずはなかったが、サンドラの父はサンドラが安易に口にしないとよく理解していた。

 サンドラとて、簡単に語ってはいけないと十分理解している。 

 

「姫様。この国の将来(さき)を気にするより、今は姫様自身とエルドラーデルの今後を心配すべきでしょう」


 真剣な顔つきのサリーを前にして、「そうね」と頷いた。

 

 半年前から国王の寵愛は、《眷属》だろう娘一人に集中している。

 新たな正妃となる娘の存在と、その娘だけが国王に愛されている(さま)に後宮が閉じられるのでは、と。

 愛妾と呼ばれる《華々》は憂い、日々戦々恐々としている。


 確かにそうなる可能性は高い。

 政治的思惑など、様々な利害関係が絡み複雑な人間関係を作り上げている後宮を安易に早々と閉じはしないだろうが、《眷属》の存在が周辺諸国に与える影響はあまりにも大き過ぎるのだ。


「いざとなれば、直接陛下に交渉するわ。幾ら何でもここで私たち《華》を後宮から抜き去ってしまうには、各国の《眷属》に対する暗躍が酷くなるばかりよ。私たちがここにいるのは、正式な契約と調印を経ているのですもの。穏便に後宮を閉じるには、時間が掛かるわ」


 後宮閉鎖は水と緑を求める他国にしてみれば、その為に自国から厳選した女性をこの後宮に送った意味がなくなってしまう。いっそ、《眷属》そのものを手に入れようと、下手をすれば大規模な戦争すら起こりかねない。


 流石に、一国の王ともなるグレンダートという男がその事を読めないはずはないと思うが、『恋は盲目』という言葉がある程だ。


 古今東西、それが原因で国が荒れた歴史は大陸中数多にある。


(本当、難儀だわ……)


 もしもの時を想定して直接交渉を思案するが、《眷属》を溺愛する今のグレンダートが耳を傾ける確率はあまりにも低い。


 まさしく、先程サリーが口にしたように眷属一色の王宮の雰囲気は身動きし辛くて息苦しささえ覚えさせられる。

 

 ふと嘆息した時、部屋の扉がノックされた。

 来訪者に対応する為離れたサリーがすぐさま戻って来る。


「姫様、眷属様がいらっしゃっています」

「……そう、お入れして頂戴」


 そうして、扉の向こうから現れた一人の娘に対してサンドラは立ち上がり「ようこそ、いらっしゃいました」と優雅な所作で頭を下げる。


「もう、サンドラさんたら、そんな他人行儀な真似はやめてっていつも言っているのに。ねぇ、頭を上げてよ」


 拗ねた口調に従って頭を上げたサンドラは、両目を眇めた。

 数人の侍女を背後に《眷属》だろう娘は言った。


「暇だったの。一緒にお茶していい?」

「ええ、喜んで」


 サンドラが、どれ程この娘に思う事があっても安易に口にも態度にも出せない。

 己の肩には、故国・エルドラーデルの全ての民の命と未来が掛かっているのだから。


 だからこそ、完璧な笑顔を浮かべ、娘を歓待してみせる。 


 耳元でまた、風の精霊たちが何事かざわめいた気配がした。



魔道使(まどうし)→自身の中にある目に見えない《力》を引き出して、自在に操る者。

精霊使(せいれいし)→精霊と契約して主従関係を結んだり、精霊の好意で貸して貰える《力》を使う者。

どちらも、もともとそう多くはなかったが、水蛇狩り以降生まれ辛くなり、公式に存在を確認されたのは30年前が最後。

時折、精霊の気配を感じ取れる者が生まれるが、意思疎通は出来ない。

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