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4 実兄・ルフォード

 引き合わされた時。

 母となる女性の腕の中に抱かれていた幼子の真っ直ぐな眼差しに何を見たのだろうか。


 ただ、守ってあげたいと望み、けれどずっと一生を守るのは決して自分ではないのだとも同時に気付き。

 それでも、父と名乗ったセイィータ公爵にそっと背中を押されて、おずおずと近付いた。


 だが、どうしてもその幼子に触れる事は出来ず、この己の手をどのような行方へと導けばいいのか解らなくて知らず幼子を見詰めてしまっていた。


 すると、こちらの躊躇いと戸惑いに気付いてか無意識か。


 (やわ)い小さな掌が、そっと伸ばされる。


 それを視界一杯に見て、(あぁ……)と。

 底知れぬ感情の漣に突き動かされてこちらからも掌を伸ばした。


 触れた温もりと小さくて可愛らしい掌をやんわりと握り込んだ。


「……はじめまして、アリア。僕はルフォード。君の兄だよ」


 血の繋がりは半分だけど。

 それでも、そこにある温もりは手放し(がた)い程、胸の奥をそっと照らして。


「これからどうか、末永くよろしくね」









 アリア、アリア。

 僕の可愛くて愛おしい唯一の妹。


 けして真実(・・)は優しくなくとも、君は僕の大切なたった一人の妹。


 だからどうか覚えていて。

 哀しみの末に君がそれに溺れる事はないと、僕は強く言えるから。


 君の幸せは、もっと別のところにある――――――と。



 





 いっそ、呪われるがいい。

 僕の大切な妹を蔑ろにするばかりの国王も、その周囲の人間も。










「一体、どれだけの人間がお前の本性に気付いているのだろうな?」


 不意に背後で吐かれた言葉に、ルフォードはうっすらと笑みを浮かべる。


 先日、敬愛していた父・アルフォンソ=クラン=セイィータが急逝した。


 慌しく激変する周囲をぼんやりと見詰めるばかりの気の弱い後継者であるルフォードは、父の遺体が納められた柩を目の前にして、ただ立ちつくす事しか出来ない。


 ――――――――――そう、周囲の人間たちは思っている。


 新たなセイィータ公爵を名乗る資格を持つ正当な後継者。

 だが、生前父・アルフォンソが厳選してルフォードの側近としていた者たちの大半は、落ちぶれていくだけのセイィータ公爵家にさっさと見切りをつけて早速動いている事だろう。


 アルフォンソに能力を見出されて日の目を見た者たちも多くいたが、感じた恩義を返すにはアルフォンソの急逝に伴う公爵家の目に見えている没落に好き好んで付き合い続ける者はあまりにも少なく、またルフォードの異母妹(いもうと)であり正妃・アリアに対する国王・グレンダートの(さま)を思えば、正妃の実家に組する事で国王の不興を進んで買おうとは誰も思わないだろう。


 離れ()くだろう周囲の人間たちをルフォードは父・アルフォンソが生きている頃から気付いていたし、それは父・アルフォンソも同じ事だっただろう。


 本来なら、目を掛けた側近たちの裏切りや公爵家の没落の行く末に憔悴や絶望を感じ、どんな事をしてでもそれらを回避する為動かなくてならないのに、アルフォンソは或る日を境に表向きだけの対策しか取らなくなったのをルフォードは間近に見て知っていた。


 一体、父に何があったのか?


 そうは考えても、父が本気で対策をたてないならたてないで、きっとそれなりの理由があり、心配する必要などないのだと。

 ルフォードは思い、そしてそれは間違いではなかったのだ。


「僕が簡単に気付かれてしまえるような人間に思えるんですか?あなたは」


 柩に眠る父の姿を見下ろしたまま、ルフォードは返した。

 振り返らなくても誰だが解っている。

 声を掛けられる前から、感じ取った気配はここ数年で身近に馴染んでいるモノで。

 それは何処か仄暗く、ひたりとした冷気を伴っていた。

 愛想が良く、人当たりの良い好青年という周囲の評判をあっさり裏切る顔こそが本来のものであると、知らされた時には笑ったものだ。


 病弱で気が弱く、父親が用意した側近という名の補佐役が何人もいないと時期公爵としてやっていけないと言われる才覚のない若者。


 そう思われている自分(ルフォード)と、声を掛けて来た男はお互い様なのだ。


「アルフォンソも、無念と言えば無念か。最後まで見届けられないまま死なねばならんのは」

「そうでもないですよ」


 静かに近付いて来る男が、柩を見ているのが解る。

 ルフォードよりも、アルフォンソの方が近付く男との付き合いは少しばかり長い。


「父は満足していました。確かにアリアが下ろすだろう茶番劇の幕を観られないは残念でしょうが、それは無念ではないでしょう?」


 ぴたりと真横に立ち止まった気配を振り仰げば、有り得ない美貌の主がいた。

 己より頭一つ分は軽く高い背丈の男は、それにうっすらと笑う。


「確かに」

「父に後顧の憂いなど何一つありはしませんでしたよ。ただ、アリアが幸せになる事を望み、そしてそれは叶えられるのですから。……ああ、でも唯一気にしていたのは、祖父殿が守って来たこの公爵家が衰退する事でしょうか。父は、祖父殿に多大な恩義を感じていましたから。まぁ、理由を知れば尤もな事ですしね。僕も父とは似た立場ですし、父の気持ちも解らない訳ではないのですが」

「ウィリアスは気にしないさ。あれはあれで好き勝手に生きた人間だからな。ウィリアスは筆頭貴族としての矜持や貴族の義務など、簡単に捨ててしまえるような男だったぞ。ただ、家柄や権力が何をするにも便利で利用するのに都合が良過ぎたから捨てなかっただけで、足枷になった瞬間には未練なく切り捨てる」

「そういえば、貴方は祖父殿とも付き合いがあったんでしたね」


 男の口からするりと出た祖父の名に、ふと思い出す。


「ルフォード。お前は、ウィリアスに良く似ている」


 その言葉にルフォードは、頷いた。


 父・アルフォンソに引き取られたのは九つの時だ。

 それまでは、母と二人、この国の王都から随分と離れた隣国近くの小さな町で生活していた。

 母・トリスは裁縫が得意で、それを生業にして生活の糧としていたし、ルフォードは幼いながら、手伝える事は自ら進んで手伝っていた。


 片親は、別段珍しい事ではない。

 自分が生まれる前は頻繁に近隣諸国では小競り合いが起きていたというし、この国とて例外ではなく、その小競り合いの影響で家族を亡くした者は少なくなかったからだ。


 しかし、大きな戦争には発展しないまま、ギルリアード二世が即位するのと前後して国は安定し始めていた。


 何一つ変わらない毎日が続いていくのだと。

 ルフォードは子供心に思っていた。

 しかし、それは母・トリスが病死した事で変わってしまった。


 始めはただの風邪だったが、それを拗らせた末の急逝だった。


 頼るべき親類縁者に心当たりはなく、齢九つでは孤児院に行くしかなく、実際孤児院に預けられたが、それも半月足らずで父親を名乗るアルフォンソの登場で公爵家の跡取りとして引き取られる事になった。


 義母となった女性は優しく、母・トリスを忘れる事はなかったが素直に慕う事が出来た。

 引き合わされた異母妹はあまりにも愛しく感じられて、家族として馴染むのは早かった。


 義母・チェリエナがその三年後、不治の病で急逝した時は心から悲しみを覚えた。

 幼い妹と共に父に抱き締められ、棺に納まった義母を見送った。


 それまで、よく笑いよく怒りよく泣いて喜怒哀楽を素直に表していた異母妹・アリアの(おもて)から感情が消え失せた時は、ルフォード自身の感情も消え失せそうになった。


 けれど、本当に感情が消えた訳ではないと、アリアの些細な仕草に見て取れてルフォードは詰めていた息を吐いたのをよく覚えている。


 あれから十七年。

 それなりに色々あった。


 だが、一貫してルフォードが望んで願っているのは、アリアの幸せ。

 

 幸せならば、それで良かったのだ。


「僕も公爵家を簡単に捨ててしまえるんですよね」


 父・アルフォンソが折角後継者に据えてくれたのにね――――と、男に零した。


「アルフォンソは、本来の立ち位置(・・・・)にお前を置いたに過ぎない。アリアとて似たようなものだ。親友だったギルの頼みもあっただろうし、ギルの苦悩に引き摺られて、アルフォンソ自身も一時期苦悩しまくっていたぞ」

「父も変なところで義理堅いというか、責任感があるというか」


 ギルとは、先代国王・ギルリアード二世の愛称だ。


 世間にも身近な人間たちにも、病弱なギルリアード二世をアルフォンソが裏で操っていたと言われているが、実際二人は無二の親友だった。

  

 しかし、その事実を知る者は殆どいない。

 実際知っていた人間は今では、ほんの数人を残して全員鬼籍に入っている。

 

 親友だったと語ったとて、信じる者などいないだろう。

 それ程に、アルフォンソの存在とその才覚に嫉妬した貴族や周囲の人間に依ってギルリアード二世とアルフォンソの関係は捻じ曲げられたまま、それが真実となってしまっている。 

 

 親友だったと語れば、多くの人間に糾弾されるのは間違いない。

 今は亡きギルリアード二世を愚弄しているとばかりに。


 ルフォードは、明日にも埋葬される父・アルフォンソの顔を見詰めた。

  

 妻であるチェリエナを亡くして以降、常のようにして気難しいげな顔をしていたから、実年齢より少々老け込んで見えたが、生来の実直さを失う事はなく、真偽を先入観や歪んだ偏見で見ない人間から見たら、恐らくアルフォンソほど生真面目さを見せる人間はいないと簡単に気付けただろう。


 しかし、王侯貴族などという権謀術数の代名詞とも言える集団の中にあっては、曇りない目を持てる人間など希少であり、残念な事にそんな目を持つ者はいなかった。


 まして、ギルリアード二世を操り人形にしていたと言われたアルフォンソの人物像は捻じ曲げられたまま本人は死去してしまった。


「祖父殿は、家を潰しても怒らないのだろうな」 

 

 疑問ではない確信めいた呟きをルフォードは零した。


 肯定も否定も求めていた訳ではなかったが、生前の祖父・ウィリアスとは結局一目も会った事のないルフォードに、ウィリアスを良く知る男が小さな笑いを漏らして口を開いた。


「家を捨てられる男であり、同時に家を簡単に潰せるだろう男でもあったな、あいつは。目的の為に必要なもの不必要なものを簡単に線引きして、そうした事を決して後悔しない人間だ。家名や地位など、生きていくのに利用出来る有益さがなければウィリアスにとって瑣末な存在(もの)だったさ」

「なら尚更、僕の好き勝手してもいいですね」

「アルフォンソとて本質は、ウィリアスにこよなく近い。恩義故にセイィータ公爵家というモノを壊さないようにしてはいたが、それも所詮はお前やアリアに幸せや利用価値を持たせる事が第一前提だ。アルフォンソの死と共に血統貴族筆頭としての地位は剥奪され、あのボンクラな国王に敵視されている以上没落は明らか。沈みゆく(ふね)にしがみ付く価値も意味もない。アルフォンソとて解っていて、お前に言い残したのだろう」


 脳裏に、父・アルフォンソの言葉が過ぎる。


 思うがまま、好きにしなさい――――――――――


 父が望んだのは、アリアの幸せ。

 そして、ルフォードが望むのもまたアリアの幸せ。


「……まぁお前が望むなら、如何様にもこの家を守ってやるが」


 こちらの答えを解っているからこそ、声音にはからかいを含んでいた。


 ルフォードは、視線を男にと向けた。


「家はどうでもいいです。僕があなたに望むのは、先祖代々の墓が荒らされない事。祖父殿、そして父と義母(はは)の遺体は共に連れて行く事です」


 何処に?―――――とは、訊ねない。


 その代わりの様にして男が訊ねたのは、ルフォードの生母・トリスの事。


「母は、あの地で眠る事を望んでいましたから。まぁ、その地が荒れるような事があれば、その時は祖父殿と同じ地に眠って貰いますけど」


 母・トリスと共に過ごした地はトリスにとって思い出深い土地だったと言う。

 死んだら、この地で眠りたいと時折口にしていた。


 事実、トリスを公爵家縁の墓地に埋葬し直そうとしていたアルフォンソは、ルフォードからその言葉を聞くと、トリスの墓はそのままに、けれど身元のしっかりした専属の墓守をつけた。


 そして、今この隣にいる男がルフォードの望みを叶える限り、母・トリスの墓を守る者は存在し続けるだろう。


「それでは、一足早くアルフォンソは連れて行こうか」


 男がそう言い、軽く片手を振っただけで柩の中から瞬時にアルフォンソの姿は消えた。

 そして、すぐさまアルフォンソの姿が現れ出たが、それは精巧に出来た偽りでしかない。


「行きましょうか。今宵、待ちに待った喜劇の幕引きです。あなたも、間近に観たいでしょう?」


 男に向けられたルフォードの笑みは、凡庸な見た目に反して壮絶な色香を漂わせている。

 今宵の悲喜劇に心躍らせた(さま)に、男も釣られたように笑みを湛え、ルフォードの左手を持ちあげ、その薬指に恭しく口付けた。


「愛しき我が半身殿。お前の愛する妹の勇ましき姿を共にこの眼に納めよう」


 観劇に誘い誘われるようにして、二人はその場を後にする。


 残されたのは、本来の主を失った棺だけ。


 灯された蝋燭の炎が幾つも揺れ、そうして静寂が訪れた。

  

※ルフォードの立場は、アリアからしてみれば母親が異なる『異母兄』ですが、色々と調べたところ両親を同じくする『実兄』という以外に、父もしくは母が同じ場合でも『実兄』、または血が繋がっている実の兄としての意味で『実兄』ともありましたので、サブタイトルには『実兄』としました。

※追記・10/23 数箇所修正。また『棺』と『柩』に関して修正しました。最後から二行目は、偽りの遺体が入っている状態なので『柩』から『棺』へ変更しました。

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