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3 愛妾・ミアリリス

 許されるものではない―――――と。

 

 怒り狂う感情はそう零した。


 愛しい男の正式な妻となった女の、その姿を見た瞬間。

 何故、こんな凡庸な女が陛下の妻だというのか。


 権力を以って成された婚姻だと、誰もが口にしていても、だからと言って許すつもりなどなかった。

 

 自分の生家が出自が、様々な要因たる権力が正妃となった女の上をいっていたならば、その座は問題なく自分のものになったのだと。

 頑なに信じていた。


 お飾りとはいえ、正妃は正妃。

 その女に陛下の寵愛がなくとも、その座にいるというだけで正妃・アリアを嫉妬に狂わずに見られようはずもない。


 様々な公式の場で、必ず陛下の隣に添う女を何度心内(こころうち)で八つ裂きにして来た事か。

 

 ミアリリスは、手にした華奢な扇をぎりぎりと握り締めた。

 繊細な作りが容易に軋んで歪んだが、気にはしない。

 己を着飾る為の所詮、替えの利く小道具のひとつ。


 己を華やかに見せ、可憐に見せ、妖艶に見せ、魅力溢れる《女》を仕立てあげてくれる小道具のひとつひとつに妥協した事はなく、金に糸目などつけなかった。


 幼き頃より、一目見た瞬間から恋焦がれて来た陛下の寵愛を他の誰よりも一滴でも多く得られるのならば、どのような種類タイプの女にもなってみせた。


 時には無垢な少女となり、時には色艶溢れる美女となり。


 閨の中では、大胆な娼婦にもなった。


 陛下がその日その時、どんな「女」に食指を動かそうとしているのか機微を察して、幾らでも変化して演じて来た。


 だから、尚の事思った。


 権力で座を得た正妃など、いずれはそこから引き摺り下ろされ、当然己が座るはずなのだと。






 ああ、ああ。

 愛しいグレンダート陛下。


 この身を焦がし、この心を翻弄する美しい人。

 

 信じていたのに、ひたすら待ち侘びていたのに。


 どうして、笑顔を向けられるべきが己でないのか。

 どうして、愛しいと言葉を惜しみなく囁かれるのが己ではないのか。

 どうして、隣に立つべき寵愛深き女が己ではないのか。


 正妃さえ退けられたなら、全ては叶うと信じていた。


 なのに、それなのにどうして――――――――――。


 ミアリリスは、嘆きと哀しみを重なり合わせて深くて濃い憎悪と怨嗟に変える。

 

 許さない、許せない。


 狂った思考で恋焦がれる。


 たった一人の男に。


 嫉妬に塗れた心の醜さで、己が犯した罪など知らぬとばかりに仮面を被り、今日もまたしとやかな淑女であり続ける。


 


 




 



 後宮の女に与えられる様々な特権は、結局のところ様々な制約に縛られている。

 身内に会うのさえ、決められた場所で決められた時間内のみで、侍女を伴うかどうかは自由であるが最低でも三人の女官が傍に控えている。


 当然、後宮内はその華やかな宮の主人たる国王陛下以外の男性は立ち入り禁止である。

 故に、国王以外の異性と会うのは、後宮から王宮に繋がる中間地点に設けられた宮であり、事前の届け出がない場合は火急でもない限り後宮から出る許可など容易にはおりない。


 宮にある一室に足を運ぶと、週に二度、必ずこちらへの面会を申請しているセバンジョシが優雅な仕草で腰を折り、淀みない動作で上座のソファへとミアリリスを導く。


 相変わらず、貴族として完璧な無駄のない所作の従兄にミアリリスは満足の息を吐いた。


「ご機嫌は如何かな?我が麗しの姫君」

「今のところ、よろしくてよ。お従兄(にい)様」


 先日、新たに購入した南方小国伝統の飾り細工が施された扇を広げ、抑揚に答えた。

 

「おや。また新しい扇だね」


 それを目に留めたセバンジョシが仕方ない子だね、とばかりに困った笑みをその優美な顔に浮かべる。

 

 ミアリリスが、扇を力強く握り締める事でよくダメにしているのを実の兄妹のようにして育ったセバンジョシは知っている。


 従兄が零す苦笑さに、ミアリリスは「一目で気に入ったからですわ」と敢えて言った。

 壊した替わりではなく、気に入ったから新しい扇が増えたのだと言えども、長い付き合いの従兄が解らない訳ではないと知っていて、それでも見栄を張るように口にしてしまうのは、己の嫉妬深さが醜いものだと無意識に思っているからだ。


 ミアリリス=ノルバード=カロリングは、後宮に収められた三十ある《華》の一輪だ。

 それも、貴族女性の成人年齢・十四を待たずに後宮入りした美貌の持ち主であり、曾祖母は四代前の国王の異母妹にあたる。


 国王の子であろうと庶子の出は本来、一代限りの爵位で貴族ではなくなるが、才覚などに因っては新たな地位や爵位を与えられる事もある。


 女児に関しては、婚姻に拠るものが大きい。


 事実、ミアリリスの曾祖母は当時のカロリング伯爵に見初められて伯爵夫人として生涯を過ごした。

 もし、曾祖母が一代爵位で終わったなら、ミアリリスは今頃地位も肩書きもないただの庶民だったかもしれない。


 そのような国王の庶子たちは多い。


 一方、ミアリリスの目の前に優雅に座りお茶を飲むセバンジョシは、現在一代限りの爵位持ちだ。


 母親は、ミアリリスの父である現・カロリング伯の実姉であり、父親は先代国王・ギルリアード二世だ。


 国王・グレンダートとは腹違いの兄弟であり、六日違いでグレンダートより先に生まれた異母兄でもあるが、母親が正妃ではなく愛妾でしかなかった為に、当然王位継承権を持ってはいなかった。


 それ故に、ギルリアード二世の逝去に伴い、母親と二人、カロリング伯爵家に引き取られ、そうして育てられた経緯から、ミアリリスが物心つく頃には近くにいたセバンジョシとは仲が良い。


「ところで、陛下の渡りはやはりないのかい?」

「――――――……っ」


 お茶を飲んで一つ息を吐き終えると共に、唐突に話題を出され、ミアリリスの手がピクリと跳ねる。


 極力平静を装い六つ年上の従兄を見た。


 そこには優しげな笑みにほんの少し哀れみを滲ませた顔がある。


 カッと、胸の内側から熱が生まれたがそれを無理矢理押さえ込んだ。


「いやですわ、お従兄様。何を突然」

「僕は心配しているんだよ。愛妾のまま、お前という美しい華を枯らせてしまうのは惜しい」


 柔らかな声音に潜む憐憫が、ミアリリスの胸を突く。


 まるで、枯れる事がすでに決まってしまっているような空気を滲ませる。

 優しさで包んだ哀れみは、時に酷く不快で最悪な凶器だ。


「渡りがないのは、今だけの話ですわ。陛下も物珍しさで構っているだけでしょう」

 

 まるで、自分に言い聞かせているような言葉だとミアリリスは気付かずにセバンジョシへ言い聞かす。 

 その声音が微かに震えていた。

 

 三十ある《華》の中で、誰よりも陛下の寵愛を受けていたのはミアリリスだ。

 

 正妃・アリアが廃された暁には、ミアリリスが次の正妃候補の筆頭だというのは多くの宮廷人に知られていた。


 それが覆されたのは、凡そ半年前。


 ぽっと出の女が、グレンダートの寵愛を《華々》から一手に奪い取った。


 正妃に見向きもしないグレンダートだが、後宮に《華》として入れられた愛妾たちの持つ背景を軽んじる事なく、ほぼ全ての《華》に適度に(みず)を与え、愛妾たちが齎す政治的バランスの舵を上手く取っていた。


 それでも、他の《華》たちより頭ひとつ成長する《華》であったのは、それだけミアリリスがグレンダートから寵愛(みず)与えら(そそが)れていたからだ。


 グレンダートの《男》としての欲や矜持をミアリリスは上手く満たし続けていた。

 実家の持つ政治的権力は、必ずしも他の《華》たちより一番上だとは言えなかったが、王家の血筋に繋がり、かつ国内随一の大商家出の母を持つミアリリスの財力は国内でも五指に入る。


 グレンダートの寵愛を得る為、そして得続ける為に己を着飾る全てには王宮から支払われる決まった金額の王廷費では勿論足りず、母方の実家の援助を多いに受けていた。


 当然、大商人の祖父もミアリリスが正妃となる事を強く望んでいる。

 正妃の子のみが王位継承権を持つのだから、その王太子の外祖父という地位が齎す利潤を考慮せずとも当たり前過ぎる美味しさに、幾らでもミアリリスに出される金銭は惜しみなどされない。

 

 そして、ミアリリスは商人である祖父から人間関係の駆け引きや心理術・演技について様々な手解きを受けていた。


 それはミアリリスを後宮一の《華》として育てるのに十二分に役立っていたし、また祖父がミアリリスに与えた知識や人脈(コネ)は素晴らしいものがあった。


 事実、後宮内から糸を引き、セイィータ公爵につく者たちを減らすように仕向け、正妃・アリアを孤立させるのに噂という名の情報を操った。


 後宮内を掌握するのも時間は掛からなかった。


 時には、手に入れた毒でライバルに成りえそうな《華》はそうそうに芽を摘み、厳しい審査と試験を通って国王陛下のみに(・・・)忠誠を誓ったはずの女官や騎士たちの中にさえ己の息の掛かった者たちを多く配した。


 この室内にいる三人の女官たちもすでにミアリリスの手足と化した者だ。

 

 面会の場での会話は一言一句、全て後宮を取り仕切る女官長に報告され、そこから更に上に報告されるのが決まりだが、仮にここでセバンジョシと睦み合ったとしてもそれが外部に漏れる事はない。


 尤も、ミアリリスの全ては国王・グレンダートのものである以上、グレンダート以外の男と性的に触れ合う事など絶対にありえない。


「物珍しさ、ね」


 一つ溜めた息で零すセバンジョシに、ミアリリスの柳眉が歪む。


「何が仰りたいの?お従兄様」


 常にミアリリスには優しい従兄は、だが時折ミアリリスには不可解な人と思わせる何かを持っている気がする。

 

 しかし、自分に牙を見せて、あまつさえ剥くような人ではないと。

 ミアリリスは、セバンジョシに先を促した。


「物珍しさだけでは、《眷属》の相手は出来ないと思うよ」

「…………《眷属》だからこそ、相手をなさっているだけですわ。陛下は」


 《眷属》が持つ重要性を解っていない訳ではないが、重要だからこそ、グレンダートが相手をしているのだと、ミアリリスは思う。

 

 そう、思わなければ今にも叫び狂い、嫉妬の炎で全てを燃やし尽くしてしまいたくなる。


「しかし、《眷属》が現れてからだろう?後宮の《華》たちの誰一人として陛下の渡りがないのは」


 柔和な声音で、嫌な事実を綴られ、ギリッとミアリリスは強く奥歯を噛み締めた。


「《眷属》に対する陛下の寵愛は(はた)から誰がどう見ても深い。今までの《華》への寵愛がいっそ児戯であったのではないかと思える程にね」

「………………」

「それに、噂では陛下は《眷属》に対して《セレの実》を飲ませていないそうだ」

「――――――――――っ!!」


 瞬間、ミアリリスはその言葉の内容を上手く理解出来なかった。

 真っ白になった思考は、だが徐々に赤黒く染まりゆく。


 ぎりりと、手の内の扇を握り締めれば軋みが上がる。


 グレンダートは、愛妾に子を産ませるのを厭う――――それはよく知られた話だ。

 

 父王であったギルリアード二世でさえ、三人いた愛妾の中で成した子はセバンジョシ一人。

 

 先々代の国王や正妃、そして愛妾たちとの間で酷く醜い争い事があったというのが凡その理由で、だが一体何があったのかはミアリリスの情報網にさえ引っ掛からなかった。


 ただ、正妃が座を下ろされ愛妾の一人がその座に座ったという事。

 その愛妾上がりの正妃が、現在の太王太后陛下だ。


 詳細を隠匿された醜聞をグレンダートが知っているかどうかは別として、グレンダートは閨の行為で必然的に生まれて来るだろう子供の存在を最初からないものとする為、愛妾たち全てに避妊薬であるすり潰して精製した《セレの実》を毎日服用するのを義務付けている。


 数年前、それでも懐妊した《華》がいたが、その《華》は或る日忽然と後宮から抜き取られたように消え去った。

 

 ミアリリスが、排除する為に動こうとした矢先だ。


 《セレの実》を服用しているのに懐妊したのは他の男と通じたからとして密かに処刑されたのだと、集めた情報で知った。


 つまり、後宮の《華》である以上は決して懐妊はありえないし、懐妊してはならない。


 《眷属》とて、今はまだ後宮に収められた《華》の一輪。


 正妃以外の女には決して《妃》の尊称は与えられず、愛妾は正妃にならなければ何処までも愛妾であり、子を成す事は許されない。


 だと、言うのに。


 ミアリリスは、己の頭の芯が酷く痛みながらも燃え滾るどす黒い熱で占められたのを知る。


 バキッと、手の内の扇が無残に折れた。

 壊された繊細さは、いっそ哀れな程に美しくも見える。


「…………ねぇ、お従兄様。その話、もっと詳しく教えて下さらないかしら」


 ああ、ああ。

 何て邪魔なの。

 何て、煩わしい蟲なの。


 ミアリリスは思う。

 正妃・アリアも《眷属》の女も、排除し始末しなければいけない、汚らわしい蟲だと。


 乞われたセバンジョシの柔らかな笑みに、いっそ純粋無垢めいた笑みを返してミアリリスは唇を吊り上げた。

 

国王の祖母は太王太后。

敬称は陛下。


自分なりに調べた結果ですが、もし太王太后陛下という尊称及び敬称が間違っていた場合、教えて頂ければ幸いです。

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