表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/14

12 紡士・エイデン

 斎界(いかい)を知っているか。

 ああ、知らないのか。

 ならば覚えておけ。

 お前は、《物語り》たる者。

 ならば、世界に散らばる個々なる「話」を集めて紡ぎ、そうして謡い続けなければならない。

 それが、お前の選んだ道。

 知らぬ者たちに伝え続けろ。

 

 秘される《もの》を非情に暴いてはならない。 

 けれど、伝えなくてはならない《もの》は伝え続けなければならない。

 

 お前のその口は、その舌は、その声は、稀なる言紡ぎの具現。

 お前の名が歴史に残る事も登場する事もないとしても、お前が紡いで語る《物語》は、遥か遠い地へにも運ばれ、更に遥か遠い未来にさえ残り続けるだろう。



 だから知っておけ。

 《斎界》―――永久なる楽土。

 その地こそ、《眷属》たる現神(うつつしん)が住まう場所。




 ――――お師様。なぜ、お師様は、そんな事を知っているのですか?




 お伽噺のひとつのようにして、その実像ひとつ掴ませない至高の存在。

 謎ならば数え切れない程にあり、その全てと言っていい程に謎は謎のまま。

 人々の口にて語られる事など、きっと《眷属》にとっては瑣末であろう。 


 問えば、目尻に深い皺を寄せる笑みを浮かべ。

 世界の深淵を覗き見続ける事を選び、深淵に見た「何か」を紡ぐのに全て捧げて来た老爺は、波寄せる老いに白く濁りつつある双眸を細めて、何処か遠くを見遣る。


 皺枯れた声では、もう《物語り》として紡士(つむぎし)とも言えないと。


 少し寂しげに口にしていたのを、こんな時に思い出す。


 謡う事は出来ずとも、語る事なら幾らでも出来るだろう。

 その口が開き、その舌の上に乗せ、その声が出続ける限り。


 けれど、紡士(つむぎし)としての能力は、声の質が落ちればそこまでだ。

 余程でなければ、生涯紡士であり続ける事は出来ない。


 ―――――昔。たった一度だけ、見た事があるのさ。


 告げる言葉に含むのは憧憬なのか。

 口元に浮かぶ笑みに、夢見心地を乗せ、老爺はそっと瞼を閉じる。


 

 ――――――いつか、お前も見れたらいいな。







 

 何を、見たのですか?

 一体、そこに何があったのですか?



 その「こたえ」は得られず。

 けれど、《深淵》はすぐそこにあったのだと。

 すぐに知る。











 名前を呼ばれた気がして、紡士(つむぎし)・エイデンは閉じていた瞼を上げた。

 どうやら知らぬ内に、夢の中に落ちていたようだと気付く。


 上半身を預けていたソファの肘掛けで身じろいで、瞬きをひとつふたつ。

 待機室として設けられている小部屋は、何処か空寒い感じがした。

 視線を窓の向こうに向ければ、ここに案内されてからそんなに時間は経っていないようだ。

 太陽の傾きは、未だ頭上にあり、一般的な昼食時間を多少過ぎた辺りだろうと。エイデンがそんな事を考えていると、またこちらの名前を呼ぶ声が聞こえた。


 今更のように、視線を窓から外してそちらに向けるとお仕着せの侍女服というには、質の高さが窺える布地を使用したそれを身に纏う女が一人。

 ここ暫くで見慣れた人間たちの一人だ。


「ああ、すみません。少し考え事をしていました」

「左様ですか」


 言い訳というには何ともお粗末なエイデンのそれに対して、侍女は素っ気ない。

 いっそ、その眼差しに含ませる嫌悪と蔑みのまま声音にも含めば人間味はもっと増すだろうに――と。エイデンは益体(やくたい)も無い考えをしつつ、しっかりと背筋を伸ばした。


「眷属様がお待ちです」


 そうして部屋を出る侍女の後に続いた。

 慇懃な態度を取っていながら、無礼さをその眼差しから一切消さない侍女の態度など、紡士として生きて来た時間分、多数の人間から浴びせられていた物だ。

 それに怖気づく程、エイデンは繊細な(しょう)を持ち合わせていない。

 数多のパトロンの中には、紡士を情夫として扱う者も多い。

 実情、そうする事で非力な肉体と地位を保護して貰い、更に後援して貰えるのならば納得と同意の上でパトロンが(どうせい)であろうが(いせい)であろうが否やはない。


 紡士(つむぎし)は世界の深淵の探究者であり、それを謡い語り紡ぐ事で後世に残していく者たちだ。

 けれど、歴史を書き綴る者とは違い、それら全て《声》にのみ伝え続ける者であり、《力ある声》によって紡がれる《物語り》は、その《力》があればある程に、耳にした者たちの記憶に残るのだ。


 そんな特異性を持つ職に就く者など、稀である。

 声に力ある事が絶対条件である以上に、不特定多数の人間にその体を任せて開く―――一体、それの何処が春鬻ぐ者と違うというのか。


 違いがあるとすれば、何処にでも行ける《自由》だろう。

 金銭の貸し借りで一ヶ所に縛られる事はなく、パトロンとの関係を良好に保っていれば貧しさに喘ぐ事もない。


 だがそれでも体を売る事に変わりなく、嫌悪・忌避され、蔑まれる。


 それと解っていてエイデンは紡士(つむぎし)になった。

 《力ある声》を持つ事を、エイデンは幸運と思っている。

 探究者である己を恥じる事などないのだ。


 だから、擦れ違う人々がどのような眼差しをこちらに向けようと、それは路傍の塵屑。

 気にする必要のないもの。


 華やかな空気が近づいている。

 本来、後宮の《華》は国王以外の異性を近づけてはならない。

 事前申請の下、王宮と後宮を繋ぐ宮でのみ許されている。


 しかし、国王の寵愛深い《眷属》だけは特別であり別物なのだ。


 エイデンは、開かれる扉の向こうに眼差しを投じて薄らと笑みを浮かべた。

 部屋の中央、華やかの中心である娘がこちらに眼差しを向けている。


 可愛らしい―――そう表現される造作の、けれど本質をエイデンは気付いている。


 紡士としてのエイデンを嫌悪しながら、娘を取り囲む侍女や女官は《女》としての(さが)持つが故に、エイデンの容貌が持つ美麗さに頬を染める(さま)はいっそ滑稽だ。

 迎えに訪れた侍女程に、徹底した嫌悪と蔑みのみに特化出来る程、《女》としての(さが)を押さえつける事も制御する事も隠す事も出来ないその未熟さ。


 意図せずとも時として、エイデンの容貌とその身に纏う空気は本人がその気にならずとも同性さえ虜に出来る程のそれ。


 それを考慮すれば、女たちの未熟さを非難するには哀れだろう。


 女たちのエイデンに向ける矛盾する反応を指摘してあげる程に、エイデンは優しくもなければ意地悪でもなく、また空気も読めない人間ではない。


 数多の王侯貴族を幾度となく前にした経験は、エイデンを生まれながらの貴公子然と見せる程に磨き上げていて、ただ腰を折り挨拶を告げるだけの姿すら女たちの溜め息を誘うまでに優雅だ。


 うっすらとした緑色持つ娘の目が、そんなエイデンに微笑み気軽に声を掛けて来る。


「待ってたわ。こっちに来て、楽しい話を聞かせてくれる?」

「眷属様が望まれるならば、このエイデン。幾らでも物語りましょう」


 望みに首肯ひとつ。

 この部屋(せかい)の中心の望みは叶えられなければならない。

 いや、すでにこの部屋のみが世界ではなく、手招く娘は王宮という名の世界の中心でもあり、早々とこの国だけでなく、正真正銘《世界》の中心にも成り得るだろう。

 そして、中心たる娘はエイデンを傍近くに置く事を望んだ。


 室に足を踏み入れれば、壁に下がっている男たちが数人。

 見目麗しく血統も良い騎士たちは、エイデンに嫉妬を向ける眼差しを隠さない。

 

 ゆるりと騎士たちを見廻し、最後に当然娘を見遣る。

 そこに浮かぶ陶然に、エイデンは内心でくつりとした物を零すが、それを表面に出しはしない。


 一介の流れの紡士であるエイデンが、今やこの国の話題の中心であり関心全てを浚っている《眷属》と噂される娘に呼ばれたのは、三月(みつき)程前の事。

 コールファン子爵をパトロンとして、この王都に居ついて一年。

 エイデンが次の土地に移動する前に、子爵はどのような伝手を使ってか紡士という存在を《眷属》の娘の耳に入れる事に成功し、そうして興味を引く事を成し得た。

 その手腕をエイデンは見事だと、素直に思う。

 《眷属》を取り巻く実情では、エイデンなどというどこの馬の骨とも分からない者などこれ程近くに傍寄せるなど許される事ではない。

 それでも許されたのは、エイデンが紡士として一流であり、また娘が紡士の物語りを耳にする事を強く望んだからだ。


「楽しい話とはいえ、さて今日は、どのような楽しいものがいいでしょう」


 娘の近くの床に座り、自然と視線を上げてエイデンは言った。

 楽しい話のみでなく、エイデンは数多くの《物語》を持っている。

 すでに、娘に紡いで語り、そして謡ったのは百を軽く超えていた。


 子供の寝物語として聞かせるような物から、遠い異国の姫と騎士の悲恋に至るまで。

 悪竜と戦う女戦士や精霊と人間の友情の物語など。


 エイデンがパトロンと持つ肉体関係を知っていて嫌悪している者たちでさえ、一度(ひとたび)エイデンが口を開き、物語を舌に乗せ、旋律めいた声音で紡げば、その謡い語る様が終わるその瞬間まで耳を傾けずにはいられない。


 それ程に紡士としてのエイデンは優秀だった。

 故に、蔑みつつも人々は紡士という存在を認め受け入れるのだ。

 

「そうね。エイデンのその綺麗な髪の色と同じ色の竜がいたって聞いたの。その竜の話が聴きたいわ」


 娘が当然のようにして、エイデンの髪に手を伸ばした。

 同時にすい…と、娘が視線を流したが、娘のその(さい)な所作に気付けたのはエイデンだけだろう。

 一掴みされたエイデンの髪は、珍しい程にきらきら輝く銀の色をしている。

 同色の髪の色を持っている者がいない訳ではないが、エイデンのそれはあるお伽噺に登場する人間から精霊になったという《銀の精霊姫》と同じく、当たる光の加減で時折七色を見せる。


 紡士と呼ばれ、そして名乗る者たちは誰もが美しい。

 「美醜」という言葉の対極を天秤に乗せれば、圧倒的に「美」に傾く。

 造作の善し悪しも才能の一つとして、紡士になる為の素地なのだろう。

 紡士はあまりにも数が少ない為に、エイデンが見知っている紡士は己の師と後は一人だ。

 年経た老爺の師でさえ、皺寄る(おもて)であっても造作に輝きを失ってはいなかった程に二人ともが端整であった。 


 娘がエイデンの髪を指先で弄ぶと、壁際からの嫉妬の視線が強度を増す。

 腰まで伸ばしたそれを、エイデンは娘に任せるまま微笑む。


 娘がちらりと流した数瞬の視線の意味。

 それにエイデンが気付いていると、《眷属》と言われる娘は気付いていない。

 

 浅い底を、けれどエイデンは自ら浚おうとは思わない。

 深淵覗く探究者であるエイデンの、その本質を惹きつける程の《モノ》をこの目の前の《眷属》たる娘は持っていないのだ。

 

 いかにどれ程の人間が、娘に関心を寄せ、その身に心酔し、その一挙手一投足に惚れ込もうと、エイデンには価値の欠片すら見つけられない。


 価値観など、人それぞれであり、エイデンの価値観の根本は《物語る》に値する《深淵》を持つかどうかだ。


 そう考えると、エイデンにとってこの王城の中で最も深淵たる存在は、廃位が噂される王妃・アリアただ一人。

 

 偶然にも、エイデンは王妃の前で紡士として《物語った》事があった。

 セイィータ公爵令嬢が王宮に上がる前の、王妃となるほんの少し前。

 セイィータ公爵領のとある豪商をパトロンとしていたエイデンは、紡士として領主館に呼ばれたのだ。


 面白みのないと、噂される程に感情を見せない(おもて)で。

 けれど、熱心にエイデンの《物語り》に耳を傾けていたセイィータ公爵令嬢。

 その瞳を間近に見た瞬間、ずくりとした情欲をエイデンは覚えた。

 それは、性欲というには余りにも貪欲に塗れた本能だ。

 《深淵》を見つけた瞬間に、この身全てで実感するという瞬間。

 《深淵》とはどうやって見付けるものか、と。

 問うたエイデンに答えた師は、その時になれば解ると口にした。


 その時の歓喜を、その瞬間の狂喜を。

 未だ鮮明に思い出せる程に、衝撃であり官能だった。

 

 覗きたい、と。

 覗き見続けたい、と。


 心の奥底から、エイデンはセイィータ公爵令嬢に思い望んだ。

 けれど、深淵を覗くというのは、口にして望む事ではない。

 時には近く、時には遠く、距離を置き、距離を押し測り、決して深淵の当事者にはならないまま覗かなくてはならない。


 それが紡士なのだ。


 今でも耳に残る。

 紡ぎ終えた己に掛けられた令嬢の言葉。



 ―――あなたは、怖ろしい人ね。



 瞬間、(あぁ!!)と感嘆した。

 令嬢は、紡士の本質を呆気なく見破ったのだ。

 紡士が物語る度に、紡ぎ謡う度に、言の葉に乗せられる意味を。


 言葉の内容とは程遠く。

 エイデンを「怖ろしい人」と(ひょう)しながら、決してエイデンを恐れている訳でもない。

 淡々とした――――その(さま)にこそ、令嬢が紡士であるエイデンの本質の最奥までを呆気なく衝く。


 そんな令嬢こそが、怖ろしいと。

 エイデンは快楽含む戦慄に恍惚とした。


 紡士は、ただ《物語る》だけの者ではない、と。

 知るの者は少ない。


 この世界にある《真実》を《物語》に織り交ぜて後世へと紡いでいく。

 それが誰にとって益となるのか、また誰にとって害となるのか。

 その様な事は問題ではなく。

 ただ、世界を一歩引いた位置で見ているのだ。

 

 その本質は、異常とも言えるだろう。

 紡士自身にとっても何一つ利とはならないのだから。

 ただ、紡士はそうである生き方を疑問にも思わないし、そうである生き方を変えようとも思わない。

 紡士(おのれ)の持つ(よく)を満たすのは、深淵にある闇という真実。

 それのみ。


 下腹部に滾る熱を生ませ、心頭を真白く貫き、脳髄を焼いたのはセイィータ公爵令嬢。

 感情のない眼差しのその奥にある深淵に、エイデンの本能は容易く引き寄せられた。

 その瞬間を、死ぬ間際まで幾らでも思い出し陶酔するだろう。


 それ程に、セイィータ公爵令嬢そのものが紡士であるエイデンにとって蠱惑的であった。

 

 それに比べ―――と。 

 エイデンは、目の前の娘を見た。

 薄らとした色であれ緑を宿し、太陽の光できらきらとする薄茶色の髪は大地を示しているという。

 娘が国王の手によって王宮に連れて来られてから、少しずつではあるが王宮を中心にして水や緑が増えたという。

 付随とするにしてはあまりにもその合致した出来事に、王宮内部の人間たちだけでなく一体どれ程の人間たちがこの娘の存在に感謝し、奇跡と位置付けているのだろうか。


 しかし、それさえもエイデンにはどうでもいいとしか言えず、娘の持つ《眷属》という正体などどうでもよかった。


 だからだろう。

 尚の事、容易く安上がりに笑顔を作り出せる。

 

 娘は、そんなエイデンの笑みにうっすらと頬を染めた。

 物慣れぬ処女のような初な反応だ。


「七色の銀竜のお話ですか」


 希望された内容を記憶の中から引き出すのは容易い。

 娘が、期待した双眸を向ける。

 その奥を見遣り、エイデンは《眷属》という娘に些かの慾持たぬ自分に内心で苦笑する。


 そんなエイデンを周囲(ひと)は理解出来ないと言うだろう。


 国王だけでなく、国王の側近たちすら魅了し、この部屋にいる者たちを惹き付け、今や王宮内外に信奉者は多い。

 いずれは、大陸最大の信者を抱える太陽神殿と大地神殿のお墨付きを貰い、正式に《眷属》として一気に名前を広めて行くのだろう。

 

 そんな娘の事を、紡士であるエイデンは数多の人々に乞われて謡い紡ぐのだろう。

 娘の持つ、浅い底という「真実」を織り交ぜながら。

  

 


 

 エイデンは、謡い紡ぎ物語る。

 宴の夜を過ごして後、その一夜にして訪れた崩壊の真実を。

 彼には、そうする事が許された。

 彼だけは許された。

 何故なら、彼はただの紡士ではなく、幸運にも唯一その場に居合わせた紡士だからだ。




《紡士・つむぎし》→世界中に散らばる物語を旅をしながら謡い紡いで語る者。身の安全と衣食住の引き換えにパトロンと肉体関係を持つ事も厭わない。

「声」に「力」持つ者であり、世界の深淵や個々が持つ深淵を覗き見る者。一種のピーピングトム。

人の本質を見抜くのに長けている。


※「おそろしい」という言葉の漢字に、敢えて「怖ろしい」を使っています。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ