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11 庭師・イザフ

若干の性的表現があります。

人に依っては不快に感じるかも知れません。

ご注意下さい。

 幾度かお見掛けし、その内数回は直接声をお掛けした。


 けれど、それら全てに返って来たのは無機質な眼差しと、何も浮かんでいない(おもて)

 それに心が折れそうになった。


 何か言って欲しかった。

 どうか笑って欲しかった。


 ……どうして、そう思ってしまったのか。


 今となってはよく解らない。

 どちらかと言えば、何と傲慢に返されたのだろうとさえ今は思う。

 所詮、下町育ちの下賎の者など、公爵令嬢が気に掛ける必要も、その視界に入れる要素もなかったのだろう。


 無視された、のだ。

 無視、される存在なのか。


 自分は。



 




 ああああ、そう思えば何とも憎らしい。

 何て何て嫌味な存在なのだ。



 国の頂点たる国王陛下の伴侶となりながら、冷遇されているという噂話を聞く度に胸がすく思いがするのだ。






 だからどうか。

 どうか、あなたはいつまでも蔑ろにされ続けて下さい。

 何処までも貶められ続けて下さい。

 いっそ、その身ごと心まで下賎と蔑まれる底辺まで落ちて来て下さい。










 本当に厭わしい。

 あなたを、出来るならばこの手で引き摺り落としたい。

 そして、あの日あの時、何一つ返してはくれなかったあなたと同じ何もない眼で何もない顔で、あなたを見下(みおろ)したい。




 そんな歪んだ願望など叶うはずはない。

 嗤える程に、あなたは真実(・・)遠い存在だったのだ。














 イザフは、気怠い体を女の上に落とした。

 横たわっている女の顔が、シーツに埋めた己の顔のすぐ横に来る。


 息が触れる程の距離。


 どちらも、乱れた息遣いを胸を喘がすようにして暫く。

 整う時には、掻いてしまった汗を知らずに拭い、独特の臭気の中淫らな空気(ふんいき)を少しずつ遠ざける。


 お互い何も身に纏わず、申し訳程度にあった上掛けの薄い布団が足許へと蔑ろにされていた。

 この季節。

 寒気は遠くあり、汗がまだまだ引かない肌をざわりと鳥肌立てる事はなかった。

 今更、思う以上に長い馴れ合い同士でどちらも裸を恥ずかしがる性質(たち)ではない。

 イザフの肩を掠めるようにして女の腕が動き、簡素な寝台の脇にある台の上へと置かれた煙管を手にする。それを見てイザフは女の上から身を引き、ごろりと横たわった。

 女は上半身を起こして、その華奢な背中を寝台の上部が寄せられている壁に預ける。

 慣れた所作で火皿に丸めた刻み煙草を詰めると、その雁首を同じく台の上に置いていた煙草盆の炭火へと近付けて暫く、女は(べに)の落ち掛けた唇でゆっくりとそれを()む。


 相変わらず、実に美味そうに喫むものだから、煙管を好まないイザフでさえこの女の喫煙には好ましい感情を覚えていた。


「……それにしても、旦那相手は楽でいいねぇ」


 喘ぎ疲れた掠れ声は、奇妙にもしみじみとした実感が篭っている。引いていく汗の心地好さと吐き出した欲望のこれまた心地好い疲れに、睡魔がするりとイザフの手を掴んでいたが、女の声音に意識がそちらに向いた。

 途端、睡魔が呆気なく手を引いて去って行く。 


「あ……?」


 生返事にも似た訝しい声が出た。


 そんなイザフへ視線を流して、《春》を売る女は少しずつ年を重ねる口元に笑みを見せ。


「ここ最近の上客がねぇ」


 と、何とも意味有り気に口にする。だから、イザフは女がこちらの気を引きたいのだとすぐに気付いた。


 付き合いは、十二~三年にもなろうか。

 女が十四で初めての客を取ってから、女を買った四人目がイザフだったという。

 その頃から続いているのは、イザフ一人だ。

 女はそこそこ器量が良く、そこそこの性質(たち)でそこそこに客あしらいが上手く、そこそこに馴染みの客を持っている。けれど、長く続く客は少ない割に不思議な事に年毎に上客を一人か二人絶対持っているのだから、《女》という生き物は本当に底が知れないとイザフは常々思っている。


 王都の中心から西へ暫く。商業区域を奥に行った処にある花街は常に賑わっている。

 その中でも中堅処の娼館で、これまた中の中辺りにいるのがこの女だ。

 二十も半ば過ぎともなれば、よほど容貌も肢体も良くなければ、この花街(せかい)でかなりの年増扱いだ。

 売り上げは上位ではないけれど、底辺に落ちる事もない。

 年をとろうと、年々変わりなく安定した客足を掴まえて娼館に金銭を落とす。

 かと言って、女を身請けしたいと申し出る客がいる訳でもない。

 また女も己の現状を嘆いている様子はなく、まして身を売る行為を忌避していない。

 身を売るまでの十四年の過去をイザフは知らないし、女も語った事はない。

 口が堅いと言うには、だが閨での睦言に関して意外にも女は口が軽い。

 

 客にとっては口の堅い娼婦が有り難いのだろうが、娼婦たちに忠誠や服従の心などあるばすもなく。金を運んで来る客がいれば、金回りの良い方を損得勘定で選ぶ。時には、相性の良し悪しで相手(きゃく)への口の軽さは量られる。

 そして、一部の客はそんな口の軽い娼婦を好む。

 客自身は、自分自身を語らず娼婦(おんな)の口から他の客に関して語らせる。

 閨で語られる些細な話も、掻き集めれば馬鹿には出来ないし、些細で何気ない呟きひとつが重要だったりするのだ。

 一夜のみだから、とか。馴染んだ関係だから、とか。

 気の緩みや気安さで口を開く客は所詮、何事が起ころうとそれは全て自業自得でしかない。

 それは、昔から花街にある不文律のひとつでもある。


「何て言うのかねぇ。口が軽くて軽くて、ちょっと頭が足りないんじゃないかって思うんだよ」


 娼婦に言われてしまうとは、ある意味同情も出来ない。

 粋な遊びが出来ていないという証拠だ。


 イザフは興味を覚えて、女の剥き出しの太腿に頭を乗せた。

 一月に一度。月に稼ぐ賃金の約三分の一の値段で、この目の前の女を買っていた。

 

 娼館に通い出した切っ掛けは何だったか――――。

 

(ああ、そうだ)


 思い出す。

 庭師の見習いとして働いていた先の貴族の屋敷を、勢い辞めてしまったからだ。


 過ぎた記憶にある、振り向かない影。


 それにひたすら苛立ち。

 そして、そこから飛び出して離れた。


 もうそこには戻れない。 

 むしゃくしゃして八つ当たりとして女を買って、そして乱暴に抱いた。

 それから、何故か馴染みとなっている。


 何が切っ掛けで知り合うか、本当に解らないものだと。

 ぼんやり思いながら、女を見た。

 

 (くゆ)る細長くて揺らめく濁った白が眼についた。


「その客ってのがね、あの眷属様の騎士様何だよ」

 

 驚きだろう―――と言外に含む笑いに、イザフは「へぇ」と返した。

 

 今、国中で噂になっている《眷属》様。

 どうやら大地母神・トゥヌシュミュルルフォの《眷属》なのだとか。

 その話には、国中が喜びに湧いている。


 それもそうだ。

 《眷属》と言えば、創世記において十三人しかいない最高位神と人間が交わった事で生まれた神と人間の血を引く子を祖とした血脈に現れるという現神(うつつしん)だ。

 血族自体は、神の血を引いてはいても普通の人間と変わりはない。

 けれど、その血脈の中から或る日突然顕現するのが《眷属》だ。

 神と人間との間に生まれた最初の子でさえ、生きて死ぬまでただの人間でしかなかったが、《眷属》は違う。

 寝物語として幼い頃から聞かされて来るから大陸中の誰もが知っている。

 《眷属》は、神の嫡出子と位置付けられている。

 故に、下位や中位の神々よりも上位であり、また上位神として名を連ねる神々より時として上位にあるとさえ言われる。


 それは神話であり伝承であり、お伽話だ。


 しかし、実際幾つかの国の史実に《眷属》は幾度か登場している。

 その中で最も有名なのは、軍事・戦争を司る男神である帝神(ていしん)・ウォルバレンの《眷属》だ。

 五百年程前と二百七十年程前に、戦場を駆け抜けてとある国に大勝利を齎したとされている。

 詳細は秘されているが、実在した事は確かなのだ。 


 だからこそ、人々は《眷属》という存在を疑わない。


 イザフは、王宮にいるとされる《眷属》自体に興味は微塵もなかった。

 水不足と砂漠化の危機など別にして人間(ひと)に限らず、死ぬ時は死ぬのだから。


「その騎士様と比べて、俺はどう楽なんだ?」

 

 問えば、女はひとつ煙管を喫み。


「無理な体位を強要しない。うざったい程にこちらの感じ方をいちいち訊いたりしない。馬鹿らしい程に卑猥な言葉を並べ立てる事がこっちも感じるんだと勘違いしない。ねちっこい程にしつこく体中を嘗め回さない。いい加減にしないかと怒鳴りたく程に長々とひたすら腰を自分本位に振りまくったりしない……そんなところかねぇ」

「……そりゃ、俺は淡白だからな」

 

 一体、どんな行為(プレイ)を実践しているんだ―――まざまざとイザフは呆れた。

 元々、イザフは淡白だ。

 溜まったモノを吐き出すだけの行為に、一応気遣いを相手(おんな)に見せるが、買い上げた時間一杯淫らな行為に費やしはしない。

 ヤる事ヤって、後は時間までだらだら過ごす。


「こっちも仕事だから、最後まで付き合うよ。それにまぁ顔も体も金払いも良いんだよ。……良いんだけどねぇ」


 客商売である以上、女はきっちり相手はするがそれだけだ。

 そんな女に反して、その騎士はどうにも女に入れ揚げているようだ。


 《眷属》付きの騎士という事は、精鋭中の精鋭で構成される親衛隊。そうなると貴族出身は間違いない。

 女を身請けしようと思えば出来るのだろうが、外聞はあまりにも悪い。

 これが、女が王侯貴族も相手にする高級娼婦であれば妾として身請けする事も悪くはない。

 女自身は、その騎士に興味も好意もない様子だからイザフは笑う。


「どうにも、こっちが訊いてもいないのに眷属様の事をぺらぺら喋るんだよ」


 自慢したいんだろうけど――――そう零した女は、騎士の事を思い出しているのか、そのくすんだ(まなこ)に憐憫を浮かべている。

 

 《眷属》に関しては、その傍近くの人間がぺらぺら喋っていいものではないと。

 一介の市井の民であるイザフでさえ容易に解るものだというのに。


「何でも眷属様は、寵妃って呼ばれているそうだよ」

「寵妃?正妃以外の女は、身分も財力も関係なく愛妾じゃないのか?」


 広く知られた話だ。

 初めて訊く名称に、イザフは眉根を寄せた。


「あたしもそう思って訊いたんだよ。騎士様が言うには、愛妾たちの中でも群を抜いて王様の寵愛深い女で、更に他の愛妾たちを見向きもせずに王様が愛でる愛妾を呼ぶ隠語何だとさ」


 《妃》を冠するのは、正妃のみだ。

 その中で愛妾たちに《妃》は与えられない。

 更に話をよく聞けば、正妃に子供がない場合という条件がついた時、初めて《寵妃》という呼ばれ方をされるのだという。

 つまりは、いづれ正妃は廃位され、次の正妃はその愛妾なのだと暗に示しているのだ。


 幾つかの条件が揃わなければ、幾ら新たな正妃になるだろうと(もく)される愛妾(もの)であっても、寵愛が群を抜いていなかったりすれば決して《寵妃》とは呼ばれないらしい。


 後宮など、イザフにしても女にしても遠い世界の話で、況してそこは閉ざされた世界でもあるから内部の実話など滅多に見聞きする事などない。


 けれど、と。

 イザフの眼が奇妙な気配を湛えて細まった。

 灰吹きの(ふち)を軽く叩いて女が灰を落とす。

 その所作を眼で追ったまま、イザフの脳裏に甦る一人の少女。

 幼い肢体と幼い(かんばせ)の、けれど人形めいた感情(いろ)のない娘。


「寵妃様、ね。なら王妃様はどうなるんだ?」

「どうにも、お城じゃあ本当に冷遇されているらしいよ。噂には何となく聞いてはいたけどねぇ、王様さえ全く見向きもしないんだとか。あたしらが知る分には、王妃様は良くやっていると思うんだけどねぇ」


 噂はどうであれ、城下の人間にしてみれば正妃は正妃としてきちんと仕事をしているという認識がある。

 結局のところ、評判は良くもなければ悪くもない。

 民にとって悪女でなければ幸い。後は、次代の国王を無事生みさえしてくれれば良いだけの話なのだ。


「騎士様が言うには、どうにも王妃様のご実家は没落の一途(いっと)らしいじゃないか。確かに御当主様が亡くなったって話には聞いたけど……一体全体、何がどうなってんだか。まぁ、眷属様が王妃様ってのが一番なんだろうけどねぇ」


 国が荒れなけりゃ別に誰が王妃様でも構わないさ――――女は気怠げに言った。


 それが国民全ての根底にある偽ざる本音だろう。

 イザフも同じ思いだ。


「それにしても可哀想じゃないかい。王妃様までなっちまったのに、実家に追い返されるんだろうけど、頼りの実家は没落なんて。しかも、相当実家はヤバイらしいじゃないか」

「やばい?どんな風に?」

「使用人の連中も屋敷から逃げ出してるらしいよ。王様がかなり毛嫌いしているらしいからね。王妃様もその実家も。下手したら家自体潰れるんじゃないかね。騎士様もそれらしい事言っていたし。無いとは思うけど、ひょっとしたら王妃様もこっち側に来る事になるのかもねぇ」


 あぁ、怖い怖い―――女は、その細い肩を震わせたが所詮形だけの同情だ。

 没落した元貴族なんて出自の娼婦が決していない訳でもない。

 元王妃など、亡国となった敗戦国から戦災奴隷に身を落とした者で娼婦になった者も実際いたのだ。

 あまりにも珍しい事だろうが、その出自や肩書き、教養などで簡単に上客を掴まえる高級娼婦となれるだろう。

 王族子女が奴隷の首輪を外されないまま、娼婦としては底辺も底辺、街の片隅に立ち春を(ひさ)ぐ者―――売春婦になった例もある。


 イザフは、妙に乾いた唇を舌で舐める。

 いやに、心臓が早鐘を打っている気がする。

 どうにも、興奮しているらしい。―――――そんな自分に更にイザフは興奮した。

 

(ああ、落ちるのか。堕ちて来るのか)


 高級娼婦となれば、イザフの財布事情では手出し出来ない。

 ならば、落として落として堕とし尽くせばいいのだ。


 女から聞いた話に、さてどう脚色を加えてやろう―――――イザフは、思考を巡らせた。


 噂話は、面白い程にあちこちから無数に生まれて、更にあちらこちらと飛び火し、元の話が可愛く思える程肥大するものだ。


 廃位されるという正妃の、その実態を虚実で貶めれば何処まで堕ちて来るのだろうか。


「イザフ?」


 訝し気に名前を呼ばれた。

 女が、煙管を離してこちらに手を伸ばす。

 それを拒まずに、イザフは頬を撫でられた。


「何だか面白そうな顔してるねぇ。そんなにあたしの話は面白かったのかい?」

「そうだな。かなり面白い話だ」


 かつて、イザフが仕えた屋敷の庭先で立ち尽くしていた少女。

 

 幾度かその姿を見掛け。

 幾度か声を掛けた。


 けれど、返って来たのは返って来たとも言えない《無》。


 それにどれだけイザフの心は傷つけられただろう。


(大嫌いな、アリアお嬢様……)


 かつて自分は、何を思って、何を考えて、どうして少女に近付いてしまったのか。


 ただ解るのは、憎しみめいた気持ちが未だ胸の奥で燻っている事。

 遠く手の届かないところにいた存在が、堕ちて来る。


 そんな未来に、イザフは醜悪な笑みを浮かべずにはいられない。


 



 お嬢様。

 どうか、その身も心も穢れて下さい。

 


 イザフは夢想する。

 けれど、それは所詮夢のまま。


 十数年前に、その華奢な後姿を見たのが最後。

 そして、二度と死ぬまでやはりイザフはアリアに会う事はなかった。


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