夕暮れの神社
太陽も傾き、暑さもだいぶ治まってきた。それでもTシャツの中を泳ぐ風は多量の湿気を含んでいて、まるでぬるいゼリーでも纏っているような不快感が離れない。
石段を上る足が重くなる。
「元気だな……」
先をさっさと上る未希を見上げ、大きく息を吐き出す。
「だらしないなぁ。たいした段数じゃないよ?ってか、ウチは神社の中でも低い方なんだから」
「段数はそうかもね。けど、すでに登山してるからね。階段のスタート地点が山の上だからね」
「はいはい、山頂の山小屋ですいませんでしたね。……ったくもう、オーバーだなぁ」
未希はもう投げやりにため息をついて、右手を差し出す。
「……む。おなごの手など借りん。ワシにも意地がある」
日本男児として、さすがに女の子に引っ張ってもらって階段を上る訳にもいくまい。
「じゃ、早く行こ」
軽やかに石段を上って行く未希。さすがに現地人は違う。それを見送ってから、佳佑は振り返る。
立ち並ぶ木々の間から、赤く染まった海が見えた。
町の中心からはやや外れた、海を臨む小高い丘。丘と呼ぶにはやや標高があるその中腹の窪地に、由緒正しき十或神社が存在する。津波でも崖崩れでも逃げられないな、と言ったら怒られた。
ヒグラシに急かされてようやく石段を上り終えると、さして大きくもない鳥居が迎えてくれる。俗世との境界を示すために在るそうだが、その先の暑さと湿気も残念ながら俗世と変わらない。
鳥居をくぐってすぐ、神社に行くと必ずある「手を洗うところ」で柄杓を取る。冷たい水を口に含み、喉を鳴らすと生き返るようだった。
この手洗い場、手水舎という名前だと、未希に教えてもらった。年期の入った石の裂け目から突き出た竹をつたい、飽きる事無く水が湧き出ている。現代では水道水に変える神社も多いらしいが、ここは水が奇麗だからと未だに湧水を引いているのだそうだ。
確かにこの町は、ちょっとした水自慢で有名だ。戦時中の空襲を免れた旧い街並を歩くと、張り巡らされた用水路を澄んだ水が勢いよく流れていたりする。それを利用してスイカを冷やしている様は、大都会ではお目にかかれない日本の古き良き景色だろう。
佳佑は、そんなこの町が好きだった。
「あ〜生き返る……」
和んでいると、夕闇を割って声が飛ぶ。未希はもうだいぶ先にいるようだ。
「佳佑君。そんなところでボーッとしてると、蚊に刺されるよー」
それは嫌だ。名残惜しいが、その場を離れる事にした。
石畳の参道が中央の社殿まで真っ直ぐ伸びている。
未希との出会いは、この神社だった。社殿の脇の建物でお守りを売っている巫女さんなんて、みんなバイトだと思っていた。それが本当に神主さんの娘だとは。
その巫女さんですら、正確には神職ではないという。未希はまだ神職の位に無いが、人手も無いからといろいろと権限外の事まで教えられてやっているらしい。
本来ならば神主の資格が取れる大学に通った方が良いのだそうだが、父親が「そんなもの後でどうにもなるよ」とお気楽に言ってくれたため、地元の大学の歴史学科に通って日本の歴史を勉強しているんだとか。
ここにはいろいろと知らない世界があって、佳佑には新鮮だった。
古い社殿の奥に隠れて、立派な民家が建っている。年代物が並ぶこの敷地の中には不釣り合いな新しい一軒家。未希の実家、御子神家だ。
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