赤いワカメ
「全然、秋来なくね?太陽先輩、マジで元気じゃね?」
赤いワカメこと栄幸平が、いつも通り岩戸佳佑の横でうだっている。いつも通りの死んだ魚の目。
「いや太陽先輩もそろそろ家に帰るだろ。もう五時だし」
「お前は分かってねーよ。先輩は最強なんだよ。これから地球の反対側でまたメンチ切りに行くんだよ。アメリカとか行くんだよ。で、明日また日本に来んだから。不眠不休のすげー先輩なんだよ。ああくそ、あちぃな。先輩、お盆休みで実家帰んねえかな」
太陽がお盆休みでは、あっという間に地球は滅亡だ。
「今日は頭冷やさないのかよ」
「なんか、噴水の水って汚いらしいよ。そーいやカラスとか水浴びしてるもんな。キレイな訳、ないよな。生え際後退したら困る」
真っ赤に染め上げた髪の毛が、佳佑に無言の抗議をしているようだ。
大学は長い夏休みに突入している。院生や工学部の研究熱心な学生、秋の文化祭の準備に余念がない学生などを除いては、ほぼ人影はない。
それだけで見慣れた構内も違った世界に見えてくるから不思議だ。
考えてみれば小学生の頃なんか、夕暮れの校舎にいつもとは違う奇妙な感傷を覚えたものだった。
人が少なくなった教室や校庭を少数の仲間達と独占しているような優越感、夜が忍び寄ってくる恐怖、先生にどやされる若干のスリルと、日の入りとともに始まる「何か」に対する期待、わくわくする胸の高鳴り。
まるでドングリを運ぶ小さな神様でも出てきそうなあの風景を、ノスタルジーと言うのだろうか。
二十歳を迎え世間的には大人になった今だって、そんな気持ちを失った訳ではない。絶対に人には言わないが、魔法でも使って空を飛べたらと夢見る事はあるし、木のトンネルをくぐったら神様たちの世界だったりして欲しいし、せめてサンタぐらいはいても良かった。そんくらいの夢ならいくつになっても持っていたいじゃないか。
……背伸びしたような現代風のこの空間に、さすがにドングリ運ぶ神様はないか。
「佳佑君、幸平君!お待たせ」
もう一日も終わるのに、それを感じさせない明るい声。律儀に幸平の名前までまで呼ぶこの人なら、顔を見なくても誰だかすぐ分かる。
「あぁ、女神はいたっけ」
「はぁ?何それ?」
相変わらず困ったような表情で苦笑いしている未希。
愛嬌のある笑顔と、背中までのばした黒髪が彼女の特徴。古くから続く神社の次女である未希は普段は大和撫子なのだが、人に仇成す超自然現象に対しては、大きな対抗力を有する巫女さんだ。
夏休みの講義棟にわざわざ出てきた彼女は、ゼミの課題だかなんだかで集まって勉強会を開いていたらしい。なんとなくやることが無くて、サークル棟に行ったのに誰もいなくて、誰かが置いて行った薄汚れたスーパーファミコンでマリオカートにハマっていた二人とは大違いだ。
「のろけやがって……俺も混ぜろ」
「やなこった。太陽先輩に紹介してもらえ」
「だから、太陽先輩は硬派なんだよ。ナイフみたいに尖ってんだってばよ。女なんか紹介してくれる訳ないでしょ」
「あれ?太陽先輩、もしかして高校生?」
未希だけが、頭の上にクエスチョンマークをいくつも浮かべて苦笑いしている。
「いーよいーよ。後はお二人さんでどこでも行ってなんでも楽しめよ」
立ち上がって背を向ける幸平。
「あら?飯食いに行かねぇの?」
「俺だって約束の一つやふた……一つあるんだよ」
「しょ、正直すぎるッ!!」
「うるせ。未希ちゃん、コイツに騙されて変なとこ着いて行っちゃダメだよ。ケータイは110に発信残して、履歴からいつでもかけられるようにしておくこと。すぐに警察につながるからね。いざと言う時安心でしょ?」
「う、うん、そうする」
未希が緊張した面持ちで頷いた。
「そんじゃ」
夕焼けに去って行く幸平を二人で見送る。
「なんだよ、変な気使いやがって。らしくねえなぁ。……ちょ、ホントに110番履歴残さなくていいから。何?俺、何者?」
ご精読ありがとうございました。