聞こえますか
純夏の家までは電車で二駅の距離だ。電車に乗っている時間よりも、むしろ神社から最寄り駅までの方が時間がかかってしまう。
夜、小さな街頭しか無い河原の道を一人歩いていると、さすがにちょっと心細い。そう言えば佳佑の家も近くだったと思う。
今度遊びに行ってご飯でも作ってあげようかな。貧しい食生活っぽいし。……穂波実は怒るだろうけど。
このあたりは川に隣接しているので、元々あまり開発が進んでいなかった地域だ。最近は近くに新しい大学が出来たことを受け、学生の需要を見込んで土地を馴らしたらしい。まだ空き地も目立つ。
物の怪。姉の話では、そんな人ならざるモノが純夏に憑いている可能性が高い、という。未希にしてみれば、そのくらいの話では驚かないし、さして珍しくもない。体が重いとか、最近悪い事ばかり起きるとかいう人がよく神社にお祓いにやってくるが、半分くらいは実際に憑いているからだ。それは霊的なモノであったり、狐や狸のいたずらだったりもする。
が、親友に憑いていて、しかも大学を休むほど体調を崩しているというなら話は別だ。一度調べてみて、可能ならその場で祓ってしまう事にする。
「一応連れて来たけど……ここまでは必要なかったかな」
パーカーのポケットに忍ばせた式神の札を握りしめて、一人苦笑い。
未希はこの時点で、そんなつもりはなくても、無意識に相手をみくびっていた。自分だけで大丈夫だろうと、鷹をくくっていたとも言えなくもない。
河原の道をそれて、すぐ。純夏が暮らすアパートが見える。全部で六部屋しかない二階建てのこぢんまりしたアパート。その一階の左端の部屋が、純夏の部屋だ。
アパートの窓を見る限り、純夏の部屋を含め全て部屋の電気が消えている。誰もいないのか、空き部屋なのか。とりあえずチャイムを押すと、やや間の抜けた音が中で鳴っているのが聞こえた。
一回では反応がない。二回、三回と押してみる。
「出かけてるのかな……」
もし外に出られないほど体調が悪いのなら、と思って差し入れも持って来たのだが。置き手紙でも残して、置いて行こうか。
諦めて踵を返した時、中から気配がした。
「っ……!」
瞬間、未希の背中を悪寒が駆け抜ける。
いや、悪寒なんて生易しいものではない。思わず身を強ばらせてしまうほどの強烈な気。
父や姉を手伝い、それなりに除霊経験を積んできたつもりだが、これほどの『凶気』にお目にかかったことはまだ無い。鳥肌が立つ。
いる!
かなり強い負の概念を纏う『何か』が、このドアの向こうに居る。
蒸し暑い夏の夜のはずなのに、冷たい汗が背中をつたって行く。さっきまでなんでもない景色だったはずが、今はまるで質が違う。
急に純夏のことが心配になった。この中に彼女がいたら……おそらくただでは済まない。
大きく深呼吸してから、ドアノブを回す。鍵はかかっていなかった。
あれだけチャイムを鳴らしておいて今更だが、それでも息を殺さずにはいられない。
確か純夏の部屋の造りはシンプルで、ドア、廊下、八畳間と縦長だったはずだ。
真っ暗な部屋。中の様子をうかがいながら、そっと忍び込む。
がつがつがつ。
妙な音。
距離にして3、4メートル先だろうか。暗闇の奥から聞こえてくる。
この部屋で物音を立てるのは、主である純夏だけだ。なのに、未希は声をかけてあげられない。
ご精読ありがとうございました。