第5話「管理所の指針」
薬草の品質を、誰がどう測るのか。
その問いが、提言書の冒頭に書いた一文だった。
宰相府本館の小会議室。長い机の片側に四つの椅子が並び、反対側に一脚だけ置かれている。参考人の席。二度目のこの席だった。薬事法の法案作成会議と同じ部屋、同じ配置。けれど、議題が違う。
今日の議題は、帝国各地に設置される薬草管理所の運営指針。
扉が開き、出席者が入ってきた。法務官。宰相府の政策補佐官。管理所設置準備の実務官。貴族院から派遣された監査役が一名。四名。法案審議の時よりも少ない人数だった。
「本日は、薬草管理所運営指針に関する参考意見聴取を行います」
法務官が開会を告げた。
「提言書は事前に配布済みです。提出者であるヴィオレッタ殿から概要の説明をお願いします」
立ち上がった。
「帝国公認辺境薬草顧問、ヴィオレッタ・ルーゼンです」
声は震えなかった。三度目の帝都で、二度目のこの席だった。
「提言の骨子は二点です」
机の上に資料を広げた。翠風堂で三年間記録してきた調合日誌の抜粋。乾燥温度と保存期間の対照表。配合比率と効能変化の実験記録。
「第一に、薬草の品質管理基準について。現在、各地の薬草取扱いには統一された基準がありません。乾燥の度合い、保存期間、配合比率のいずれも、個々の調合師の経験に依存しています。翠風堂での三年間の記録を基に、最低限の品質基準案を作成しました」
法務官が手元の提言書に目を落とした。
「第二に、薬草士の訓練基準について。管理所が各地に設置されるのであれば、一定の技術水準を担保する仕組みが必要です」
ここで法務官が顔を上げた。
「訓練基準について、一つ確認したい」
法務官の声は落ち着いていた。法案審議の時と同じ、正確さを求める口調だった。
「帝都の学院で統一的な訓練課程を設けるべきではないか、という意見が事前に出ています。学院であれば教育の質を均一に保てる。現場での実地訓練は、工房ごとの差が大きく、基準の統一が難しいという懸念です」
予想していた論点だった。
馬車の中で草稿に書き加えた修正の覚え書き。リーゼルに教えた半年間の記録。あの経験が、今ここで必要になる。
「学院での座学は基礎として有効です。薬草の分類、乾燥の原理、保存の理論。それらは教室で学べます」
一度、間を置いた。
「けれど、薬草の品質を見極める判断力は、現場でしか育ちません」
机の上の資料から一枚を取り出した。
「翠風堂での記録です。同じトウキの根でも、採取した時期が一週間違えば有効成分の含有量が変わります。乾燥の温度が五度違えば、煎じた時の効能に差が出ます。この差を判断するには、実際に薬草に触れ、匂いを嗅ぎ、煎じた色を見る経験が必要です。教本の記述だけでは、その差は伝わりません」
監査役が口を開いた。
「しかし、現場訓練に依存すれば、工房の質に左右される。全ての工房が翠風堂と同じ水準であるとは限らない」
「おっしゃる通りです」
否定はしなかった。
「だからこそ、認定制度が必要です。管理所が定める品質基準を満たし、訓練の受け入れ体制がある工房のみを認定工房として指定する。訓練生は認定工房でのみ実地訓練を受ける。工房の質は、認定基準によって担保します」
政策補佐官が手元の書類に何かを書き込んだ。
沈黙が数秒あった。
法務官が政策補佐官と視線を交わし、小さく頷いた。
「折衷案として整理します。学院での基礎課程を三ヶ月、認定工房での実地訓練を三ヶ月。合計六ヶ月の二段階制。基礎課程の修了者には管理所での補助業務を、実地訓練の修了者には独立した調合業務を認める。この枠組みでよろしいですか」
出席者の間で視線が交わされた。
実務官が頷いた。監査役も異論を示さなかった。
「では、本提言を管理所運営指針の原案に組み込む方向で進めます」
法務官が記録を確認し、続けた。
「認定工房の第一号については、提言書の基盤となった翠風堂を指定する見通しです。品質基準と訓練記録の蓄積が最も充実している」
翠風堂が認定工房になる。
リーゼルが訓練生を教える日が来るかもしれない。あの子が、次の誰かに薬草の見分け方を教える日が。
「最後に一点」
法務官が書類を閉じた。
「本会議の結果は陛下に上奏いたします。薬草管理所の運営指針策定において、薬草顧問の提言が施行体制の基盤となったことを含めて」
皇帝への報告。法務官から皇帝への正規の上奏経路。薬事法の審議の時と同じ——記録が、然るべき場所に届く。
「ヴィオレッタ殿、ありがとうございました」
一礼した。
会議室を出ると、回廊に午後の光が差し込んでいた。
足が少しだけ重かった。緊張が遅れてやってくるのは、もう慣れていた。
回廊の窓から帝都の屋根が見えた。石造りの尖塔。広場。午後の陽に照らされた街並み。
翠風堂の三年間の記録が、帝国の制度になろうとしている。
毎朝の調合記録。乾燥温度の管理表。リーゼルに教えた時の手順書。失敗した配合の覚え書き。六十度を超えて有効成分を壊した、最初の煎じの記録まで。
全部が、今日の提言書の中にあった。
リーゼルの茶葉の包みを思い出した。鞄の中にまだある。「帝都の人にも飲んでもらってください」とリーゼルは言った。
帰ったら伝えよう。
あなたの記録も、翠風堂の外に届いた。あなたが毎日書いている帳面の一行一行が、帝国の基準の土台になったのだと。
回廊を歩きながら、宰相府本館の部屋に戻る道を辿った。
署名は明後日。
今夜、レナードが訪ねてくると聞いていた。
窓の外の光が少しだけ傾き始めていた。午後から夕方へ。帝都の空気が、わずかに色を変える時間だった。




