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【第3章追加!】断罪も追放も全てを済ませた悪役令嬢のその後の人生  作者: 月雅
第1章

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第4話「煎じた記憶」




私は乾燥棚からトウキの根を三本取り、秤に載せた。


レナードがこの村に滞在して四日目の朝だった。


初日に翠風堂を訪れて以来、彼は毎日工房に足を運んでいる。午前中は村の農地や水路を見て回り、午後になると翠風堂の戸口に現れる。護衛騎士の二人は相変わらず外に控えたままで、工房の中に入るのはレナード一人だった。


「本日もよろしいでしょうか」


戸口に立つ声が聞こえた。振り返らなくてもわかる。この四日間で、足音と声の調子を覚えてしまった。


「どうぞ。今日はヤナギソウの煎じ工程がありますので、見ていただけるかと」


「ありがたい」


レナードが定位置についた。工房の入り口近く、作業の邪魔にならない壁際の椅子。初日に私が置いた椅子を、彼はそのまま使い続けている。


彼の観察は丁寧だった。

工程を黙って見守り、要所で的確な質問をする。


「ヤナギソウは高温で煎じると苦味が出ますが、有効な成分も熱に弱いのですか」


「一部はそうです。だから六十度を超えないように火加減を調整します。沸騰させると別の成分が溶出して、味が変わるだけでなく効能も変質します」


「温度管理をどのように行っていますか。温度計はお使いではないようですが」


「湯気の立ち方と、鍋肌の泡の大きさで判断しています。六十度前後では鍋底に小さな泡がつく程度で、湯面はほとんど動きません」


レナードが身を乗り出して鍋を覗いた。


「なるほど。確かに泡が小さい」


「慣れれば手を近づけるだけでわかります。蒸気の温度が違うので」


「それは経験則ですか」


「……半分は経験で、半分は理屈です」


また踏み込みすぎた、と思った。


温度と蒸気圧の関係は、前の人生の知識だ。この世界の薬草売りが口にする言葉ではない。


だがレナードは追及しなかった。

ただ頷いて、手元の帳面に何か書きつけた。


この男の質問には独特の癖がある。

答えを引き出すのがうまいのに、答えそのものにはあまり反応しない。代わりに、答え方を見ている。


何を知っているか、ではなく、どのように知っているか。


それは研究者を観察する目だった。



午後も深くなり、煎じの工程が一段落した頃、レナードが口を開いた。


「少し、個人的な話をしてもよろしいですか」


私は手を止めた。

四日間の滞在で、レナードが「個人的な話」という前置きをしたのは初めてだった。


「どうぞ」


「先日、母の話を少しだけいたしました。母は慢性の呼吸疾患を長く患っておりました」


椅子に座ったまま、レナードは膝の上で手を組んだ。


「宮廷の治癒師に何度もかかりましたが、魔法治癒では一時的に症状を抑えるのが限界でした。根治には至らず、私が十二の時に亡くなりました」


声は平坦だった。

感情を排した報告のような口調。けれど、組んだ手の指先がわずかに白くなっていた。


「母が最後まで飲んでいたのが、薬草の煎じ薬でした。効能は気休め程度のものでしたが、温かい薬湯を飲むと呼吸が少し楽になると言っていた。私はその薬湯を作る手伝いをしていました」


「……そうでしたか」


「だから、薬草の匂いには覚えがあるのです。この工房に入った時、最初に感じたのはそれでした」


レナードが顔を上げた。


「あなたの茶を飲んだ時、母の薬湯とは比較にならない精度で作られていると感じました。もしこの水準の薬草茶が母の存命中にあったなら、と」


言葉が途切れた。


レナードは一度目を閉じ、息を吐いた。


「失礼しました。視察官として不適切な発言です」


「いいえ」


私は竈の火を落とし、棚の前に立った。


手が動いていた。

考えるより先に、身体が材料を選び始めていた。


トウキの根。甘草の細片。杏仁を少量。それからこの季節に採れるカワラヨモギの若芽。


慢性の呼吸疾患。気道の炎症を抑え、粘膜を保護し、呼吸筋の緊張を緩和する配合。


前の人生で、研究室の棚に並んでいた論文の記憶。気道炎症に対する植物由来成分の有効性を示したデータ。それをこの世界の薬草に置き換え、煎じ茶として再構成する。


「何を」


「お母様が飲んでいらした薬湯に近いものを、少しだけ改良して作ります。呼吸を楽にする配合です。お母様にはもうお届けできませんが、長旅でお疲れの喉には効くと思います」


自分で言って、驚いた。


仕事ではない。

注文を受けたわけでもない。


この男の指先が白くなるほど握り締められていたから。

それだけの理由で、手が動いた。


三年間、私は誰のためにも特別な茶を作らなかった。

村人に売る茶は商品だ。効能と品質を安定させ、適正な価格で提供する。それ以上の意味は持たせない。


それが、今、崩れた。


竈に火を入れ直し、慎重に温度を管理しながら煎じた。

工房に甘い薬草の香りが広がった。


レナードは黙って見ていた。

質問もしなかった。


杯に注ぎ、差し出した。


レナードが両手で受け取った。


一口、含んだ。


長い沈黙があった。


「……ありがとうございます」


声が、詰まっていた。


杯を持つ手が震えているのを、私は見た。

前回とは違う震え方だった。前回は驚きだった。今回は、もっと深い場所から来ている。


レナードは杯を両手で包んだまま、しばらく動かなかった。

湯気が彼の顔をかすめ、消えていく。


「この味です。母が好んでいた、あの味に——近い」


それだけ言って、口を閉じた。


私も何も言わなかった。


工房の中に薬草の匂いが漂い、竈の残り火がかすかに爆ぜた。


やってしまった、と思った。


壁を作っていたのは私のほうだ。

帝都の人間には関わらない。過去とは繋がらない。誰にも期待しない。


それなのに、この男の震えた手を見て、茶を作った。


仕事ではない何かを、差し出してしまった。



日が傾き始めた頃、レナードが立ち上がった。


「長居をいたしました。本日はこれで」


「はい。お気をつけて」


いつもと同じ挨拶のはずだった。

だが、レナードが戸口で足を止めた。


「ヴィオレッタ殿」


振り返った顔は、四日間で最も穏やかだった。


「明日が滞在の最終日です。最後にもう一度、お茶をいただけますか」


「……ええ。お待ちしています」


レナードが一礼して、夕暮れの中へ出ていった。


戸口が閉まった後、私はしばらく動けなかった。


竈の灰を掻き出す手が、わずかに震えていた。


「師匠」


いつの間にかリーゼルが工房の奥から顔を出していた。乾燥棚の裏で薬草の選別をしていたはずだ。


「あの人が来ると、師匠、声が柔らかくなるよ」


「……なりません」


「なってるって。あたし、毎日聞いてるからわかる」


リーゼルが笑った。

屈託のない、十五歳の笑い方だった。


私は彼女の顔を見て、何か言い返そうとして、やめた。


言い返す言葉が見つからなかったのではない。


否定できなかったのだ。


竈の灰を片付け、棚の瓶を整え、明日の仕込みの準備を始めた。


手を動かしていれば考えなくて済む。

考えなければ、揺れなくて済む。


けれど棚に並ぶ瓶のラベルを見るたびに、あの男の目が浮かんだ。


答え方を見る目。

杯を包む手。

詰まった声。


明日が最終日。


それでいい。

それで終わる。


終わるはずだ。


工房の窓から、冷たい夜風が入り込んできた。

乾燥棚の薬草が、小さく揺れた。

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