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【第5章完結!】断罪も追放も全てを済ませた悪役令嬢のその後の人生  作者: 月雅
第4章

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第6話「七日の茶」

三年前の冬も、こうして誰かを待っていた。


あの時は、待つ相手すらいなかった。辺境の工房で、一人で竈に火を入れ、一人で茶を淹れ、一人で帳簿をつけていた。誰かが来るのを待っていたのではない。ただ、毎日を繰り返していた。


今は違う。待つ相手がいる。待つ理由がある。そして、待っている間にやるべき仕事がある。


裁定待ちの七日間。


一日目の朝、私は客館の机に法案草稿を広げた。


薬事法の最終稿。弁明の翌日から、法務官との確認作業が再開されていた。条文の一つ一つに、調合日誌の記録を対応させる。数字を照合し、根拠を補強し、法的な文言と実務上の実態を一致させていく。


地味な作業だった。けれど、これが法案の骨格を支える仕事だった。


法務官が宰相府の会議室で、条文の修正提案を検討してくれていた。


「ヴィオレッタ殿。第四条の流通経路の規定について、あなたの修正提案を確認しました」


法務官の声は事務的だった。けれど、その事務的な声の中に、確かな敬意があった。


「出荷記録を附則として整理する案は、条文の実効性を大きく高めます。採用します」


「ありがとうございます」


「それから、第七条。保存条件の規定ですが、あなたの日誌にある温度と湿度の記録を、法令の基準値として引用したい。数値の正確性は保証できますか」


「三年間、同一の計測方法で記録しています。季節変動も含めた平均値と、許容範囲の幅を附則に記載できます」


法務官が頷いた。


「この法案の実務的精度は、あなたの貢献なしには達成できなかった」


その言葉は、弁明の結果を待つ七日間の中で、静かに支えになった。


三日目の夕方、ハインツが定時連絡を届けに来た。


「ヴィオレッタ殿。宮廷内の動向をお伝えします」


ハインツの表情はいつも通り穏やかだったが、声がわずかに慎重になっていた。


「社交界の一部で、異議が認められるのではないかという噂が広がっています」


「噂ですか」


「はい。弾劾の時と同じ構造です。根拠のない予測が、繰り返されることで既成事実のように広まる。今回は『宰相府の判断が私情に基づいている』という批判に形を変えつつあります」


沈静化していたはずの中傷が、姿を変えて戻ってきている。


弾劾の時もそうだった。あの時は、レナードが公務と私的訪問の記録を分離して提示し、正当性を立証した。噂は事実の前に消えた。


「ハインツさん」


「はい」


「噂は噂です。裁定は陛下がなさることです」


自分の口からその言葉が出た時、少し驚いた。


動じていない。


三年前なら、この種の噂だけで胸が冷えていた。帝都の目が届くことへの恐怖。身元が知られることへの不安。あの頃の私なら、工房の扉を閉めて一人で震えていただろう。


今は違う。


噂の中身を知っている。噂が何に基づいていないかを知っている。そして、裁定が何に基づいて下されるかも知っている。


知ることが、恐れを遠ざける。


「承知しました。引き続き、動向があればお伝えします」


ハインツが一礼して去った。


五日目の夜、レナードが客館を訪れた。


七日間の中で、レナードが来たのはこれが二度目だった。弁明の日の夕方に一度。そして今日。


裁定待ちの間も、レナードは宰相としての通常公務を続けている。薬事法の法案上程の準備、議会対応、日常の行政判断。婚姻の承認申請は、レナードの仕事の一つに過ぎない。


けれど、今夜の顔は少しだけ疲れていた。


「法案の最終稿が完成しました」


私は机の上に積まれた書類を示した。


「条文の全項目について、調合日誌との照合が終わっています。修正提案は三箇所。全て法務官に承認されました」


レナードが書類に目を通した。頁をめくる手が丁寧だった。一枚一枚、条文と附則を確認している。


「見事な仕事です」


静かな声だった。


「法務官も同じことを言っていました」


「法務官の評価は正当です。この法案の根幹は、あなたの記録にある」


レナードが書類を机に戻した。


私は鍋に湯を沸かした。客館の小さな火口。翠風堂の竈とは違う。けれど、手の動きは同じだった。温度を見る。鍋肌の泡。六十度。


菩提樹の花と鳴子百合の根。弁明の日の夜に淹れたのと同じ配合。


杯に注ぎ、レナードに差し出した。


レナードが両手で受け取り、一口含んだ。


「……うまい」


同じ言葉。同じ声。けれど、五日目の夜のその声には、弁明の日よりも少しだけ力が戻っていた。


「裁定がどうなろうと、この法案は残ります」


私は自分の杯を手に取りながら言った。


「私の仕事は残ります」


レナードが杯を膝の上に置き、私を見た。


「そうです。それは変わらない」


窓の外は暗かった。帝都の夜。星は見えない。辺境の空とは違う。


けれど、この部屋の中に、茶の湯気が立ちのぼっている。


二つの杯から、同じ香りが漂っている。


帝都でも辺境でも、変わらないものがある。


七日目の朝が来た。


窓の外が明るくなり始めていた。


私は寝台の上で目を開けた。


眠れなかったわけではない。眠ったけれど、早く目が覚めた。鐘が鳴る前に。


机の上に調合日誌が置いてある。七日間の作業で、法案草稿には私の修正メモが何枚も挟まっている。


全部やった。


七日間でできることは、全部やった。


法案は完成した。条文の根拠は整った。修正提案は全て承認された。


あとは、裁定を待つだけだ。


椅子に座り、日誌を手に取った。


三年分の記録。最初の頁を開いた。


翠風堂を開いた日の記録。銀貨四枚で買った鍋と、トウキの根三束。最初に煎じた茶の温度は高すぎた。六十度を超えていた。有効成分が壊れる温度だった。


あの日から、一日も欠かさなかった。


日誌を閉じた。


窓の外で、帝都の鐘が鳴った。


朝の鐘だった。


裁定の日が、始まった。

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