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【第5章開始!】断罪も追放も全てを済ませた悪役令嬢のその後の人生  作者: 月雅
第4章

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第4話「異議の文面」

私は異議申立て書の写しを、机の上に広げた。


ハインツが朝一番に届けてくれたものだった。宰相府の記録係が議会から入手した正式な写し。ゲオルク・ヴェルデン侯爵の署名と、侯爵家の紋章が押されている。


客館の部屋は静かだった。窓の外に帝都の朝の音が聞こえる。馬車の車輪、石畳を歩く靴音、遠くの鐘。


文面を読んだ。


異議の要旨は三点だった。


第一。平民が宰相の配偶者となった前例は帝国にない。宰相の配偶者は外交上の席次と儀礼に関与するため、平民の配偶者では帝国の外交儀礼に混乱を招く。


第二。宰相の公務判断が、配偶者の出自に影響される懸念がある。平民出身の配偶者の利害が、宰相府の政策判断に反映される構造的リスクが生じる。


第三。婚姻相手であるヴィオレッタは、宰相府管轄の帝国公認辺境薬草顧問である。宰相が自らの管轄下にある職の保有者と婚姻することは、利益相反に該当し得る。


私は三度読んだ。


感情的にはならなかった。


諮問会議での陰口とは違う。法案審議での審議官の疑義とも違う。これは正式な制度の中で、正式な手続きを経て提出された異議だった。


第一の指摘には、答えがない。前例がないことは事実だ。


第二の指摘は、漠然とした懸念だった。けれど、制度的に否定する根拠も私には示せない。


第三の指摘が、胸に刺さった。


利益相反。


私が帝国公認辺境薬草顧問であることが、レナードとの婚姻の障壁になっている。


私の仕事が、この人の足を引っ張っている。


その考えが浮かんだ瞬間、頭の奥で別の声がした。


違う。これは、以前の恐れとは違う。


三年前に全てを失った時の恐怖とは、質が違う。あの時は、居場所そのものが消えることへの恐れだった。今は、この人の隣にいるために自分が何をすべきかという問いだ。


失うことへの恐れではない。守るための問いだ。


顧問職を辞すれば、第三の異議は解消される。


その考えが、一瞬だけ頭をよぎった。


午後、レナードが客館を訪れた。


二人きりの部屋。扉を閉めた後、レナードは椅子に座らず、窓際に立った。


「異議の写しは読みましたか」


「読みました」


私は机の上の写しに目を落とした。


「侯爵の懸念は、制度として理解できる部分があります」


レナードが振り返った。


「第三の指摘について。私の顧問職を辞すれば、利益相反の問題は解消されるのではないですか」


声は落ち着いていた。問いかけの形をとったが、本気で辞すつもりはなかった。ただ、この問いを自分の口から出しておきたかった。


「辞す必要はない」


レナードの答えは即座だった。


「利益相反の主張は、法的に成立しません」


レナードが窓際から離れ、机の前に立った。


「顧問職は宰相府の管轄下にありますが、顧問の職務内容は薬草茶の品質管理と調合の助言です。宰相の政策判断に直接関与する職務ではない。利益相反が成立するためには、配偶者の職務が宰相の判断に構造的に影響を与えることが必要です。顧問職にはその構造がない」


制度の言葉だった。レナードの言葉は、いつも制度の枠組みの中にある。


「ただし」


レナードが一呼吸置いた。


「懸念を完全に払拭するために、顧問職の管轄を宰相府から独立させる制度改正を行います。既に法務官と協議を始めています」


「管轄の独立」


「顧問職を宰相府の直轄から外し、独立した諮問機関として位置づける。そうすれば、宰相の管轄下にある職の保有者との婚姻という形式上の問題は消えます。職務内容は変わりません。あなたの仕事は何も変わらない」


制度で道を作る。


障壁があれば、制度を変えて解消する。感情ではなく、手続きで。


「あなたのやり方ですね」


私は言った。


レナードの目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。


「そう言われると、不器用に聞こえますか」


「いいえ。あなたらしいと思います」


私は頷いた。


レナードが椅子に腰を下ろした。


「第一の異議については、前例がないことは事実です。ただし、帝国法において宰相の婚姻相手に身分要件は定められていない。前例がないことと、禁じられていることは違います」


「第二の異議については」


「宰相の公務判断が配偶者の出自に影響されるという主張は、具体的な根拠を示す必要があります。ゲオルク侯爵の異議書には、懸念は述べられていますが、具体的な事例や構造的な根拠の提示がない。弁明の場で、それを指摘します」


弁明。


「議会で弁明を行うのですか」


「はい。異議申立てが正式に受理された以上、申請者である私が貴族院で弁明を行います。それが手続きです」


レナードの声は淡々としていた。けれど、その淡々とした声の奥に、覚悟があるのが見えた。


政治家としての能力を、婚姻のために使う。帝国の制度を動かす力を、一人の人間との関係を守るために使う。


それがこの人の選択だった。


「レナード」


「はい」


「ありがとうございます」


それ以上の言葉は出なかった。けれど、それで十分だった。


異議は正式な制度の中で行われている。だから、対応も制度の中で行われる。感情ではなく、手続きで。


けれど、その手続きの奥に感情があることを、私たちは二人とも知っていた。


レナードが帰った後、私は客館の部屋で一人、窓の外を見ていた。


日が傾き始めている。


机の上に異議申立て書の写しが広げられたままだった。その隣に、調合日誌が置いてある。


二つの書類。


片方は私の仕事を記録したもの。もう片方は、私の存在を問題視するもの。


どちらも、制度の中にある。


ハインツからの夕方の定時連絡が届いた。


封を切った。


『皇帝陛下が異議申立てを受理されました。弁明聴取の日程が設定されます。宰相閣下が議会で弁明を行う日が、近日中に通達される見通しです。』


私は書簡を畳んだ。


弁明の日が来る。


レナードが議場に立つ。私のために。いや、私たちのために。


私にできることは何か。


議場には入れない。弁舌を振るうこともできない。


けれど、手を動かすことはできる。


机の上の法案草稿を開いた。薬事法の条文。まだ確認が終わっていない箇所がある。


レナードが制度の中で戦うなら、私は仕事の中で戦う。


それが私のやり方だ。


灯りをつけた。


法案草稿の頁をめくり、調合日誌と照らし合わせる作業を始めた。


窓の外で、帝都の夕暮れが深まっていく。


手は止めなかった。

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