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【第3章追加!】断罪も追放も全てを済ませた悪役令嬢のその後の人生  作者: 月雅
第1章

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第3話「薬草と来客」




帝都の人間だ、と直感した。


工房の戸口に立った男を見た瞬間、身体の奥が冷えた。


村長のトーマスが隣にいる。杖を突きながら、男の半歩後ろ。その位置関係だけで、客人の格がわかる。村長が自ら案内役を務める相手だ。


「ヴィオレッタさん、紹介するよ。帝都から辺境の税収調査にいらした視察官殿じゃ」


トーマス村長が私に目配せをした。落ち着け、という意味だと受け取った。


「視察官のレナードと申します。辺境税収の実態調査で各村を巡っております。本日は翠風堂の視察をお願いできればと」


男が一礼した。


動作に無駄がない。背筋が自然に伸びている。外套は仕立てのよい濃紺で、旅塵はついているが生地の質が違う。

声は落ち着いていて、丁寧だが簡潔。辺境の村人に対しても崩さない言葉遣い。


視察官。


その肩書きを、私はそのまま受け取らなかった。


視察官であれば法務院か財務局の所属になる。だが、この男の所作は文官のそれとも少し違う。重心の置き方、周囲への意識の配り方。体を動かすことに慣れた人間の動きだ。


「ようこそいらっしゃいました。工房主のヴィオレッタと申します。狭い場所ですが、どうぞお入りください」


私は戸口を開けて一歩引いた。


客を招き入れる所作は、身体が覚えている。背を正し、目線を合わせ、手を添えて道を示す。平民として暮らしていても、こういう時に出るのは公爵家で叩き込まれた礼儀だ。


使いたくない。

でも、帝都の人間を前にして粗末な対応をすれば、かえって疑念を招く。


「お構いなく。視察ですので、日常の通りで結構です」


レナードが敷居をまたいだ。

護衛と思しき騎士が二名、工房の外に控えた。中には入ってこない。


工房の中を見回すレナードの視線が、壁の乾燥棚、棚に並ぶ瓶、竈の脇に積まれた薬草の束を順に追った。


そして、瓶のラベルで止まった。


一瞬だった。

ほんの一瞬だけ、視線が動きを止めて、それからゆっくりと私に戻った。


リーゼルに指摘されたのと同じだ。文字。私の書く文字に、何かを見ている。


「薬草茶の工房とのことですが、調合はすべてお一人で」


「はい。助手が一人おりますが、採取と乾燥の補助が主です。配合と煎じの工程は私が行っています」


「品目はどの程度ありますか」


「常時扱っているのは八種類です。関節痛向け、冷え性向け、不眠向け、胃腸の不調向けが中心で、季節によって配合を変えています」


私は棚の瓶を順に示しながら説明した。


レナードは頷きながら聞いていたが、質問の角度が変わった。


「配合の基準は何に基づいていますか。この地域に伝わる民間療法ですか」


「いいえ。独自の調合です」


「独自、というのは」


「薬草の有効成分は、採取時期、乾燥法、煎じる温度と時間で大きく変わります。それを一つ一つ試して、最も効能が安定する条件を見つけたものを採用しています」


レナードの目が細くなった。


「成分の安定条件を独力で特定した、と」


「ええ」


沈黙が落ちた。


私は自分の説明が、薬草の知識だけでなく体系的な研究手法を前提にしていることに気づいていた。

平民の薬草売りが口にする言葉ではない。


けれど嘘をつくほうが危険だった。知識の出所を聞かれて辻褄が合わなくなるより、事実をそのまま出したほうがいい。


「大変興味深い。一杯、いただいてもよろしいですか」


「もちろんです。少々お待ちください」


竈に火を入れ、湯を沸かした。


今の季節であれば、トウキの温茶が適切だ。旅の疲れがある相手には身体を温めるものがよい。


乾燥させたトウキの根を量り、温めた急須に入れ、八十度ほどに冷ました湯を注いだ。三分蒸らす。


「どうぞ」


陶器の杯を差し出した。


レナードが両手で杯を受け取り、一口含んだ。


そして、動きが止まった。


杯を持つ手が微かに震えたのを、私は見逃さなかった。


「……これは」


「トウキの温茶です。血の巡りを助けて、身体を芯から温めます。旅のお疲れに少しでも」


「いえ、そうではなく」


レナードが杯から顔を上げた。


「この味を、私は知っています。幼い頃、母が飲んでいた薬湯に似ている。あれは宮廷の治癒師が処方したもので、効果は薄かったが、母はその味を好んでいました」


声の温度が変わっていた。

公務の口調ではない。もっと深い場所から出てきた声だった。


「お母様は」


「もう、おりません」


短い返答だった。

それ以上は聞けなかった。聞くべきでもなかった。


レナードはもう一口茶を含み、静かに杯を置いた。


「失礼しました。視察中に私事を」


「いいえ」


「改めて伺います。この茶を帝都で広められないかと考えているのですが、いかがでしょう」


提案は唐突だった。

だが、唐突なふりをしているだけだと感じた。この男は最初から、この話をするつもりで来ている。


「ありがたいお話ですが、辺境で十分です。帝都に出すだけの量も作れませんし、そこまでの品ではありません」


断った。


声は落ち着いていたが、胸の内は穏やかではなかった。


帝都と繋がる。それは過去と繋がることだ。

名前が広まれば、素性を掘られる。素性が知られれば、この村にいられなくなる。


「そうですか。無理にとは申しません」


レナードは頷いた。


だが、続けた。


「村長殿にはすでにお伝えしましたが、調査の都合で滞在を数日延長させていただきます。この村の産業実態をもう少し詳しく確認したいと考えておりますので」


滞在延長。


私の返答を聞いた上で、帰らない。


「……承知いたしました。ご協力できることがあればお申し付けください」


それ以上は言えなかった。

工房の主人として、公務の視察官に非協力的な態度を取る理由がない。


レナードが立ち上がり、一礼して工房を出た。


戸口を閉める間際、彼は一度だけ振り返った。


「よい茶でした。ありがとうございます」


その目は穏やかだった。

穏やかだったが、何かを探していた。


私はその目を見て、確信した。


この男はただの視察官ではない。


そして——私の正体に、見当がついている。



夕暮れ。工房の裏手で薬草の仕分けをしていると、リーゼルが駆けてきた。


「師匠、あの視察官の人、宿でトーマスさんと話してました。もう少し翠風堂を見たいって言ってたみたいです」


「そう」


「師匠、大丈夫ですか」


「大丈夫よ」


「嘘。顔が朝の帝都の話を聞いた時と同じです」


リーゼルは遠慮なくそう言った。


私は薬草の束を握ったまま、空を見上げた。


辺境の夕空は広い。帝都の尖塔に切り取られた狭い空とは違う。


この空の下で、私はようやく息ができるようになった。

三年かけて、自分の足で立つ場所を作った。


それを壊されたくない。


けれど、帝都から来た男の瞳に浮かんでいたのは、悪意ではなかった。


何だったのだろう。


あの一瞬、杯を持つ手が震えた時。

あれは視察官の顔ではなかった。


わからない。

わからないが——壁の向こうに、何かがいる。


「リーゼル」


「はい」


「明日も通常通り開けるわ。仕込みの準備を手伝って」


「はいっ」


リーゼルの声が弾んだ。


私は薬草の束を乾燥棚に掛けながら、工房の外に立つ護衛騎士の影をちらりと見た。


レナードは二人の騎士に、静かに何か指示を出していた。


声は聞こえなかった。

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