第7話「茶会の朝」
宮廷の大広間の窓から、朝の光が床の石に白く落ちていた。
私は客館の部屋で身支度を整えながら、その光のことを考えていた。三年前にも、同じ広間の窓から同じ光が差していたはずだ。あの日は断罪の場として立たされた広間。今日は茶会の場として足を運ぶ広間。同じ場所に、違う理由で立つ。
机の上に、薬草の包みが並んでいた。リーゼルが辺境から送ってくれた薬草。菩提樹の花、鳴子百合の根、蜜柑花。それに加えて、カモミールの花芽とラベンダー。書簡で依頼してから六日で届いた。リーゼルの手紙が一枚、包みの中に挟まっていた。
「師匠、薬草は最良のものを選びました。乾燥具合も確認済みです。宮廷のことはわかりませんが、翠風堂の茶なら大丈夫です」
あの子の字は、三年前に比べて随分しっかりした。
配合は前日の夜に完成させていた。陛下に淹れた時の菩提樹の花を主体にした鎮静の配合を基本に、茶会向けに香りの広がりを調整した。カモミールの花芽を少量加え、口当たりをやわらかくした。効能は保ったまま、初めて飲む人にも馴染みやすい味にした。
ハインツが客館に迎えに来た。
「準備はよろしいですか、ヴィオレッタ殿」
「はい」
薬草の包みと、煎じるための道具一式を鞄に入れた。道具は翠風堂から持参したもの。帝都の厨房にも道具はあるが、使い慣れた鍋と匙でなければ、温度と時間の感覚が狂う。
宮廷の廊下を歩いた。ハインツが前を行き、私がその後ろを歩く。廊下の窓から中庭が見えた。植え込みの花が朝日を受けて色づいている。帝都の花は村のものより整えられていて、けれど香りは薄い。
大広間の入口に着いた。
扉の前に、既に数名の人影があった。侍従が準備に動き回り、卓の上に杯と皿が並べられていく。大きな楕円の卓。椅子の配置。壁に掛けられた帝国の紋章旗。
三年前、この広間で皇太子に指を差された。婚約を破棄され、貴族たちの前に晒された。壁の紋章旗は、あの日と同じ場所に掛かっている。
足が止まりそうになった。
止まらなかった。
私は茶を作る人間だ。今日ここに立つのは、茶を淹れるためだ。それ以外の理由はない。
鞄の中の薬草の包みに手を触れた。乾燥した菩提樹の花の感触が、指先から伝わってきた。翠風堂の匂い。リーゼルが選んでくれた薬草。
大丈夫。
ハインツが広間の奥を示した。茶の準備をする場所は、広間の隅に設えられた小さな調理台だった。湯を沸かすための火と、水差しと、杯が用意されている。
私は鞄から道具を取り出し、並べた。鍋、匙、茶漉し。そして薬草の包みを開いた。
出席者が順に入ってきた。
公爵級以上の貴族とその配偶者。華やかな衣装。宝石。整えられた髪。広間が色彩と香水の匂いで満たされていく。
視線が来た。
調理台の前に立つ私を見て、何人かが囁き合った。扇で口元を隠す仕草。諮問会議の傍聴席にいた夫人たちと、同じ種類の視線だった。
「平民が宮廷茶会に」
聞こえた。聞こえないつもりの声が、広間の石壁に反響して届いた。
私は薬草を量る手を止めなかった。
レナードが入室した。宰相の正装。濃紺の外套に宰相府の紋章。広間の正面寄りの席に着いた。私の方を見なかった。公の場では、そうするのが正しい。
フリードリヒが広間の入口に立っていた。侍従長として茶会の進行を管理する立場。私の方を一度だけ見た。表情は硬かった。陛下の書斎での面会の時と同じ、口元を引き結んだ顔。けれど今日は、あの時よりも顔色が悪いように見えた。
皇帝陛下が入室された。
全員が立ち上がり、一礼した。私も調理台の前で深く頭を下げた。
陛下が席に着かれ、茶会の開始が告げられた。
私は湯を火にかけた。鍋肌に泡がつき始める。六十度。菩提樹の花を入れ、カモミールの花芽を加え、鳴子百合の根をひとかけ。蓋をして、待つ。
広間は静かだった。出席者たちが、私の手元を見ていた。平民の女が宮廷茶会で茶を淹れる。前例のない光景を、誰もが注視していた。
蓋を開けた。
甘く、柔らかい香りが広間に広がった。菩提樹の花とカモミールが混ざり合った、穏やかな香り。石の壁に反響して囁きが届くように、薬草の香りもまた、広間の隅々まで届いた。
杯に注いだ。最初の一杯を、侍従を通じて陛下にお渡しした。
陛下が杯を持ち上げ、一口含まれた。
しばらくの間があった。
「これは良い」
陛下の声が、広間に響いた。
静かな声だった。大きな声ではなかった。けれど、宮廷の広間において皇帝の言葉は絶対的な重みを持つ。
「よい香りだ。体が温まる」
陛下がもう一口飲まれた。
空気が変わった。
出席者たちの間を、さざ波のように変化が広がっていった。扇を閉じる音。囁きの調子が変わる。先ほどまでの冷ややかな視線が、別の種類の視線に変わっていく。
私は黙って次の杯を注いだ。一杯ずつ、丁寧に。温度を確かめ、香りを確かめ、量を量って注ぐ。翠風堂で毎日やっていることと、何も変わらない。
茶会が進んだ。出席者たちが茶を飲み、少しずつ会話が戻っていった。何人かの貴族が侍従を通じて茶の配合について質問してきた。私は簡潔に答えた。菩提樹の花の鎮静作用。カモミールの花芽の消化促進。鳴子百合の根の保温効果。工房での三年間の記録に基づいた配合であること。
法務官の妻だという女性が、「とても飲みやすい」と言った。
薬師代表の隣に座っていた年配の公爵が、「辺境にこのような茶があったとは」と呟いた。
フリードリヒは茶会の間、一言も発しなかった。進行管理の指示を侍従に出す以外は、広間の端に立ったまま動かなかった。
茶会が終わり、出席者が退室していった。
私は調理台の上を片付けた。残った薬草を包みに戻し、道具を拭いて鞄に入れた。
広間がほとんど空になった頃、廊下に出た。
レナードが待っていた。
廊下の窓から午後の日が差していた。茶会は昼前に始まり、二刻ほどで終わった。レナードは宰相の正装のまま、壁に背をもたせていた。
私が近づくと、彼は背を起こした。
「美味い茶だった」
その言葉を聞いて、私は少し笑った。
初めて翠風堂で茶を出した時も、同じことを言った。客館の夜に茶を差し出した時も。そして今日、宮廷茶会の後にも。
同じ言葉が、違う場所で、何度も繰り返される。けれど、その度に意味が少しずつ変わっていく。
「ありがとうございます、宰相閣下」
公の場だった。廊下には侍従が数名残っている。だから「宰相閣下」と呼んだ。
レナードは一瞬だけ、目元を緩めた。それからすぐに宰相の顔に戻り、歩き始めた。私もその後ろを歩いた。
宮廷の廊下を、二人で歩いた。並んではいない。宰相が前を歩き、薬草顧問がその後ろを歩く。身分の差が、歩く位置に表れている。
けれど、その距離は三年前に思っていたよりも、ずっと近かった。
客館に戻り、部屋の机に鞄を置いた。窓の外に帝都の屋根が並んでいる。
あの広間で、今度は自分の力で立った。断罪ではなく、茶を淹れるために。皇帝の言葉は、私の茶を認めた言葉だった。
私ではなく、茶を。
それでいい。
それが、私の立ち方だ。




