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【第5章完結!】断罪も追放も全てを済ませた悪役令嬢のその後の人生  作者: 月雅
第2章

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第9話「名前の重さ」

私は、まだ答えを持っていない。


父が去り、弾劾が不成立に終わってから、数日が経った。工房の日常は戻っている。竈に火を入れ、薬草を煎じ、瓶に詰め、帳簿をつける。リーゼルが採取に出て、戻って、乾燥棚にカミツレを吊るす。


同じ朝。同じ手順。


けれど、頭の中は静かではなかった。


午前中、グスタフが来た。


定期の仕入れ便だった。荷馬車にヤナギソウの乾燥束と、帝都からの注文品の空き瓶を積んでいる。


「はい、これ。帝都の薬種商からの追加注文書。翠風堂の咳止め、評判いいよ。来月から倍にしてくれって」


「倍は厳しいです。リーゼルと二人では手が回りません」


「そうだろうね。まあ、できる範囲で。で、もう一つ」


グスタフが声を落とした。


「弾劾の件、帝都では決着がついたって認識になってる。宰相が議会で公務と私的訪問の記録を分けて出したって話、結構広まってるよ」


「そうですか」


「三名目の連名が得られなかったのは、皇帝の意向が効いたらしい。弾劾を画策した侯爵連中には、陛下から直々に警告が出たって話だ。宰相の職務に対する不当な干渉、ってね」


グスタフは注文書を作業台の上に置いた。


「つまり、宰相を攻撃しようとした連中が、逆に皇帝から睨まれた。世の中うまくできてるよ」


因果が巡っている。


冤罪で断罪に関わった者たちが処分を受けたように、不当な弾劾を仕掛けた者たちも相応の結果を受けた。


「ヴィオレッタさん、一つ聞いてもいいかい」


「はい」


「これからどうするの」


「どうする、とは」


「宰相との関係。公爵家との決着はついたんだろう。弾劾も片づいた。じゃあ次は、あんたがどうするかだ」


グスタフは商人だ。本質を突くのが仕事の人間だ。


「まだ、わかりません」


「そうかい。まあ、急ぐことじゃないね」


グスタフは荷馬車に戻り、残りの荷物を降ろして帰っていった。


工房に一人になった。


リーゼルは午後の採取に出ている。


私は帳簿を閉じて、窓の外を見た。


これからどうするか。


グスタフの問いが、胸に刺さったまま残っていた。


父との関係は決着がついた。弾劾は不成立で終わった。レナードさんは「近いうちに来る」と書いた。


脅威は消えた。


けれど、問題は消えていない。


私は平民だ。帝国公認の辺境薬草顧問という肩書きはあるが、爵位はない。社交界への参加資格もない。


レナードさんは宰相だ。侯爵家の嫡男。帝国の中枢に立つ人間。


その人の隣に、私が立つということ。


弾劾は今回不成立に終わった。でも、この先も同じことが起きる。宰相が平民の女に私的な関心を寄せているという事実は消えない。レナードさんとの関係が進めば、攻撃の材料は増え続ける。


かといって、身分を復帰させれば。


公爵令嬢に戻れば、社交界への参加資格を得る。宰相の隣に立つことの制度的な障壁は減る。


けれど、そうすれば翠風堂を失う。


公爵令嬢が辺境で薬草茶の工房を営むことは、制度上も社会通念上も成り立たない。身分を戻した瞬間に、三年間で築いたものが崩れる。


リーゼルの居場所。トーマスさんとの信頼。村の産業。グスタフとの流通。


全部、私が平民として積み上げたものだ。


どちらを選んでも、何かを犠牲にする。


身分を戻して宰相の隣に立つか。平民のままここに留まるか。


答えが出ない。


午後。


リーゼルが採取から戻ってきた。


カミツレの束を三つと、ヤナギソウの若芽を一握り。


「師匠、ヤナギソウ、今年は育ちがいいです。来月にはもう一回採れると思います」


「ありがとう。注文が増えてるから助かる」


リーゼルが乾燥棚の前で作業を始めた。花の向きを揃えて吊るしていく。丁寧な手つき。


「師匠」


「ん」


「難しい顔してます」


「……してる?」


「してます。グスタフさんが来た後からずっと」


見られている。この子にはいつも見られている。


「少し、考え事をしてた」


「どんな?」


「これからのこと」


リーゼルが手を止めた。振り返って、私の顔を見た。


「師匠、それ、急いで決めなきゃいけないことですか」


「急いで……いや、すぐに決めなければならないわけではない」


「じゃあ、急がなくていいと思います」


リーゼルが棚に向き直った。


「大きなことほど、時間がかかるものじゃないですか。あたしが工房のこと覚えるのだって、一年以上かかりました。師匠がここまで来るのだって、三年かかったんでしょう」


「うん」


「だったら、次の答えだって、すぐには出なくていいと思います」


十五歳の子が言う言葉とは思えなかった。


けれど、この子は三年間、私の隣で見てきた。時間をかけて積み上げることの意味を、身体で知っている。


「……ありがとう、リーゼル」


「はーい」


軽い返事。いつもの声。


けれどその言葉は、今の私に一番必要なものだった。


答えを保留する。


それは逃げではない。


まだ考えている。まだ探している。答えが出ないことと、答えから逃げていることは違う。


焦らず進む。


それが、今の私の選択だった。


夕方。


宰相府の定期便が届いた。


公式連絡の中に、公印のない封書が一通。


レナードさんからだった。


封を切った。


文面はいつもより長かった。


弾劾の処理が完了したこと。宰相府の通常業務が再開されたこと。辺境薬草顧問の次期予算が承認されたこと。


公務の報告だった。


けれど、末尾に一文。


『お伝えしたいことがあります。今度は、茶を飲みながら。』


茶を飲みながら。


公務の話なら「お伝えしたいことがあります」で十分だ。「茶を飲みながら」と付け加えるのは、この人なりの不器用な言い方だ。


来たい。会いたい。ゆっくり話したい。


それを、この人は「茶を飲みながら」と書く。


私は手紙を畳んで、棚にしまった。


それから、棚の奥に手を伸ばした。


レナードさんのために作った茶の配合。甘草を減らして角を取ったもの。小さな紙包み。ずっと温存していた。


紙包みを取り出して、作業台の上に置いた。


このまま出してもいい。でも、もう少しだけ改良できるかもしれない。前に試作した時より、もう少しだけ余韻を長くできないか。


私は棚からトウキの根を取り出した。


甘草の量を微調整する。蒸らしの時間を変える。温度を確かめる。


試作を始めた。


仕事ではない。


あの人のために淹れる茶だ。


リーゼルが奥から顔を出した。


「師匠、それ、定番品じゃないですよね」


「……練習」


「練習って、誰のための練習ですか」


私は答えなかった。


リーゼルは笑った。声を出さず、口元だけで。


「はーい。あたし、帳簿やってますね」


奥に引っ込んでいった。


窓の外に夕風が吹いていた。


乾燥棚のカワラヨモギが揺れた。


答えはまだ出ない。


でも、答えを出す準備を、少しずつしている。


それで今は、十分だった。

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