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【第5章完結!】断罪も追放も全てを済ませた悪役令嬢のその後の人生  作者: 月雅
第2章

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第8話「最後の一杯」

竈の薪が爆ぜて、小さな火の粉が舞った。


父はまだ村にいた。


昨日、帰りの馬車に乗ったはずだった。けれど朝になってトーマスさんが伝えに来た。公爵の馬車は村外れの街道沿いに停まったまま、動いていない。従者が村の宿に一泊の許可を求めてきたという。


「もう一度、話がしたいそうじゃ」


トーマスさんの声は穏やかだったが、判断を私に委ねる目だった。


「……わかりました。工房に来てもらってください」


「いいのかね」


「昨日、断りました。でも、茶は出しました。最後まで出し切っていなかったのかもしれません」


自分でも何を言っているのかわからなかった。ただ、父が去り際に茶を飲んだあの時間が、まだ途中だったような気がしていた。


昼前。


父が工房に来た。


昨日と同じ灰色の外套。けれど、昨日より少しだけ背が低く見えた。一晩、慣れない宿で過ごしたせいだろうか。


「失礼する」


父は昨日より声が小さかった。


椅子に座った。同じ椅子。同じ場所。


私は竈の前に立った。


鍋に水を張り、火にかけた。昨日と同じヤナギソウの煎じ茶。定番品。


杯に注ぎ、父の前に置いた。


父は両手で杯を持った。昨日と同じように。手は昨日より震えていなかった。


一口、含んだ。


「美味い」


同じ言葉。同じ掠れた声。


しばらく、茶を飲む音だけが工房に響いた。


「昨晩、考えた」


父が杯を置いた。


「お前に何を言えばいいのか、考えた。一晩考えて、わからなかった」


私は黙って聞いていた。


「三年前、お前が断罪された時、私は何もしなかった」


父の声が、一段低くなった。


「庇わなかった。庇えなかったのではない。庇わなかった。公爵家の政治的立場を守るために、娘を切り捨てた」


知っていた。


知っていたけれど、父の口から聞くのは初めてだった。


「あの判断が正しかったとは、今は思わない。だが、あの時の私はそう判断した。公爵家を守ることが、家門の全員を守ることだと信じていた」


「結果は逆だった。お前を失い、断罪が冤罪と判明し、公爵家の信用は地に落ちた。社交界で孤立し、後継も定まらない。全て、私の判断の結果だ」


父は杯を見つめていた。


「お前を守れなかった。守る気がなかったのかもしれん」


その言葉が、一番正直な言葉だった。


私は作業台の前に立ったまま、父を見ていた。


この人の言葉が本心かどうかを判別する必要はなかった。本心であっても打算であっても、結果は同じだ。三年前に起きたことは変わらない。


けれど、聞くことはできた。


聞くことが、今の私にできることだった。


「公爵閣下」


「……うむ」


「許すとか、許さないとか、そういう話ではないと思います」


父が顔を上げた。


「三年前のことは、もう終わったことです」


「終わった」


「はい。恨んでいるわけではありません。許したわけでもありません。ただ、終わったことです」


修復ではない。清算だ。


壊れたものを直すのではなく、壊れたことを認めて、そのまま先に進む。


父は長い間、黙っていた。


杯の中の茶が冷めていくのが見えた。


「そうか」


掠れた声だった。


「終わったことか」


父の目が赤かった。涙をこらえている。公爵としての威厳が、ぎりぎりのところでそれを止めていた。


「……達者でな」


父が立ち上がった。


杯を作業台の上に置いた。丁寧に。音を立てずに。


戸口に向かった。


今度は振り返らなかった。


「公爵閣下」


私が呼び止めた。


父の足が止まった。


「茶は、いつでもお出しします。翠風堂の客として来られるなら」


父の背中が、わずかに揺れた。


何も言わず、戸口を出た。


トーマスさんが外で待っていた。


馬車まで案内する背中が、村道の向こうに消えていく。


私は工房の入口に立って見送った。


門の外。


同じ場所。


レナードさんを初めて見送った時は、門の外に立つことが精一杯だった。レナードさんを二度目に見送った時は、去る背中を見ることの辛さを知った。


今日は、父を見送っている。


同じ場所で、意味が変わっていく。


見送ることが、少しだけ楽になったわけではない。見送ることの重さを知った上で、それでも立っている。


馬車が動き出した。漆黒の車体が、土の道を揺れながら進んでいく。


勘当撤回の申請は行われない。私が同意しないことを、父は理解した。


公爵家との関係は「断絶」から「決着」に変わった。


敵ではない。家族でもない。ただ、終わったことを認め合った二人。


それで十分だった。


夕方、宰相府の定期便が届いた。


公式連絡の封書に混じって、公印のない手紙が一通。


レナードさんからだった。


封を切った。


文面は短かった。けれど、前回よりも少しだけ長い。


『弾劾の発議は不成立に終わりました。三名目の連名が得られず、発議の要件を満たしませんでした。詳細は追って正式に通達されます。』


息が止まった。


不成立。


終わった。


『帝国議会において、辺境薬草顧問との連絡は宰相府の管轄業務であると回答し、公務の記録と私的訪問の記録を分離して提示しました。私的訪問の事実は否定しませんでしたが、公務との混同がないことを立証しました。』


この人らしいやり方だった。嘘をつかず、事実を正確に分けて、制度の枠組みの中で正当性を示す。


『なお、皇帝陛下から派閥貴族に対し、「宰相の職務に対する不当な干渉」として警告が発されました。』


因果が巡っている。


宰相を攻撃しようとした者たちが、逆に皇帝から警告を受けた。冤罪で娘を断罪した者たちが社会的信用を失ったように、不当な弾劾を仕掛けた者たちもまた、相応の結果を受ける。


手紙の末尾。


『近いうちに、もう一度伺います。今度こそ、ゆっくりと。』


私は手紙を胸の前で畳んだ。


目を閉じた。


父との決着がついた日に、レナードさんからの報せが届いた。


偶然だろう。


けれど、この日に届いたことに、意味を感じずにはいられなかった。


終わったものがある。


続いているものがある。


棚の奥に、レナードさんのために作った茶の配合がしまってある。甘草を減らして角を取ったもの。ずっと温存していた紙包み。


次にあの人が来た時に出す。


今度こそ、ゆっくりと。


リーゼルが奥の部屋から出てきた。


「師匠、今日の仕込み、終わりました。明日の分の下ごしらえもやっておきました」


「ありがとう」


「師匠、顔色いいですね。朝よりずっと」


「そう?」


「はい。なんか、すっきりした顔してます」


すっきり、という言葉が合っているかはわからない。


けれど、胸の奥にあった重たいものが、少しだけ形を変えた気がした。


消えたのではない。形が変わった。


抱えられる形に。


窓の外に夕焼けが広がっていた。山の稜線が赤く染まっている。


明日も竈に火を入れる。


けれど、明日からは少しだけ違う朝が来る。


父との過去に決着がついた朝。


レナードさんの訪問を待つ朝。


翠風堂は続く。

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