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【第2章追加!】断罪も追放も全てを済ませた悪役令嬢のその後の人生  作者: 月雅
第2章

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第1話「二杯目の約束」

忙しい、と思った。


朝の工房は湯気で満ちていた。


竈の火は夜明け前から入れてある。乾燥棚のトウキを下ろし、カミツレの花を選別し、煎じ用の水を三つの鍋に分けて沸かす。


瓶詰めの在庫が減っている。


近隣の村からの買い付けが先月の倍になった。帝国公認の顧問印が効いているのか、それとも単純にラーゼン村の薬草茶が知られ始めたのか。


どちらでもいい。手が足りないのは同じだ。


「師匠、カミツレあと三束しかないです」


リーゼルが乾燥棚の前で声を上げた。


「南斜面の群生地にまだ残ってる。明日の朝、採りに行こう」


「あたしが行きます。師匠は煎じのほうやってください」


言い切る口調が、少し前とは違う。


この子は変わった。任せた分だけ、自分の判断で動くようになった。採取の時期、乾燥の見極め、束ねる量。いちいち聞かなくなった代わりに、報告だけは正確に上げてくる。


「お願いね」


「はい」


リーゼルが帳簿を取りに奥へ消えた。


私はひとつ息をついて、棚の上段に手を伸ばした。


奥にしまってある小さな紙包み。


甘草の根を細かく刻んだもの。通常の煎じ茶には使わない配合だ。


これは仕事ではない。


レナードさんのための茶を、もう一度作り直そうとしている。


前に出した配合は悪くなかった。でも少しだけ角が残っていた。甘草の量が多すぎたのか、蒸らしの時間が長かったのか。


あの人は何も言わなかった。美味いと言って、全部飲んだ。


でも私は知っている。


あの人は少し冷ましてから口をつける癖がある。それを見ていたから、前より温度を落としたほうがいいとわかった。甘草も一割減らして、角を丸くする。


わかる、というのが問題だった。


仕事として出す茶なら、万人向けの配合でいい。相手の癖に合わせて調整するのは、もう仕事ではない。


わかっている。


わかっていて、新しい配合を試している。


竈の火が安定した。


鍋の湯がゆっくりと対流を始める。


私は小さな土瓶に湯を注ぎ、刻んだトウキと甘草を入れた。蓋をして、三分。


蓋を開ける。


香りが立った。前回より丸い。角が取れている。


一口、含む。


悪くない。


もう少しだけ甘草を減らしてもいいかもしれない。でもそれは次に試す。今日のところはここまでだ。


土瓶を棚に戻した。


午後になって、宰相府の定期便が届いた。


顧問契約に基づく公式の連絡書と、もう一通。


公印のない封書。


私宛の、レナードさんからの手紙だった。


文面はいつも短い。公務の合間に書いているのだろう。筆跡が少しだけ急いでいる。


辺境の薬草の流通について、帝都の薬種商から問い合わせが来ていること。次の四半期の予算配分が確定したこと。翠風堂の売上報告を受領したこと。


事務的な内容に混じって、最後に一行。


『辺境の気候はいかがですか。お身体を大事にしてください。』


公務の報告に、この一行は要らない。


要らないのに書いてある。


私はその一行を二度読んで、手紙を畳んだ。


畳んでから、もう一度開いた。


三度目に読んだとき、自分の顔が少し熱くなっていることに気がついた。


馬鹿みたいだ。たった一行で。


手紙の中に、もうひとつ気になる記述があった。


『帝都において、私の辺境訪問が一部で話題になっているようです。問題はありません。』


「問題はありません」。


レナードさんはいつもそう書く。


問題がないなら書かなければいい。わざわざ書くということは、問題ではないが無視もできない何かがあるということだ。


宰相が辺境に通っている。


その事実が、帝都の誰かにとって都合が悪い。


私は手紙を封筒に戻し、棚の奥にしまった。


考えても仕方がない。レナードさんが問題ないと言っているのだから、今はそれを信じるしかない。


信じるしかない、という言葉が、少しだけ重かった。


この人の足を引っ張っているのではないか。


宰相が私人として辺境の平民のもとに通う。それが帝都の貴族たちの目にどう映るか。


考えないようにしていたことが、あの一行で輪郭を持った。


「師匠」


リーゼルの声で顔を上げた。


「また眉間にしわ寄ってます」


「……寄ってない」


「寄ってます。煎じ始めてから一回もしゃべってないし、鍋見てるふりして手が止まってます」


的確すぎる観察だった。


「ちょっと考え事してただけ」


「考え事しながら鍋見てると焦がしますよ」


リーゼルが横から鍋の様子を覗き込んだ。火加減は問題ない。問題ないことを確認してから、この子はわざと言っているのだ。


「ありがとう。大丈夫」


「はーい」


軽い返事で、リーゼルは自分の作業に戻った。


何も聞かない。でも見ている。


この子がいてくれることの意味を、最近ようやく正確に理解し始めている。


夕方。


グスタフが来た。


帝都と辺境を行き来する行商人で、翠風堂の薬草茶を帝都でも卸している。商売の話のついでに、いつも帝都の噂を持ってくる男だ。


「繁盛してるね、翠風堂。帝都でも評判いいよ。宰相府のお墨つきってのは強い」


「ありがとうございます。品質は落とさないようにしています」


「うん、それは大事。で、ちょっと気になる話があってさ」


グスタフが声を落とした。


「ルーゼン公爵家が動いてるらしいよ」


手が止まった。


「動いてる、というのは」


「詳しくは知らない。ただ、公爵家の使いが何人か帝都の法務院に出入りしてるって話。何の手続きかまではわからないけど」


法務院。


勘当の記録を管理しているのは法務院だ。


「噂の域を出ない話だけどね。一応、知らせておこうと思って」


「……ありがとうございます」


グスタフは商売の話に戻り、いくつかの注文を確認して帰っていった。


私は工房の戸口に立ったまま、しばらく動けなかった。


父が動いている。


三年間、何の連絡もなかった人が。


何のために。


考えても答えは出ない。グスタフの話だけでは何も判断できない。


竈の火がぱちりと爆ぜた。


私は戸口から離れ、鍋の前に戻った。


明日も仕込みがある。カミツレの在庫を確認して、リーゼルの採取計画を聞いて、煎じの温度を見て。


やることはある。


手を動かしていれば、考えずに済む。


考えずに済む、と思うこと自体が、もう以前の私とは違うのだと気づいていた。


以前なら、考える必要すらなかった。父のことなど、とうに終わったことだったから。


終わったはずのことが、まだ終わっていなかったのかもしれない。


棚の奥にしまったレナードさんの手紙と、グスタフが持ち込んだ噂。


ふたつの影が、静かな工房の中で重なった。

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