聖者は怯える
扉が開く音で、空気が変わった。
袋をいくつも抱えて、
騎士と村人が戻ってきた。
聖者が顔を上げた瞬間、
騎士の視線が止まる。
唇。
一瞬だった。
次の瞬間、騎士の怒気が跳ね上がる。
「――誰が」
声が低く、鋭くなる。
「誰が、聖者様に傷を」
空気が張りつめる。
その場の全員が、びくりと肩を震わせた。
騎士の足が一歩、前に出る。
怒りが、はっきりと形を持っている。
「待て」
短く言って、聖者が手を伸ばした。
騎士の胸元に、触れる。
それだけで。
騎士が、固まった。
時間が、止まったみたいに。
「違う」
聖者は、騎士を見て言う。
「自分で噛んだ。転びそうになって」
騎士は、すぐに言葉を返せない。
「……ほ、本当……ですか……?」
絞り出すような声。
「本当だ」
聖者は、目を逸らさずに言った。
騎士の喉が、小さく鳴る。
ようやく、一歩引いた。
元気になった子供たちには
温かい食事が配られ、
別の家へと運ばれ、寝かしつけられた。
部屋に残ったのは、
テーブルと、大人たち。
村の者が食卓の用意をして
最後の皿を置き終えたとき。
全員が、同時に床へ伏した。
額を、床に擦りつける。
「……聖者様。
無礼を……
大変な無礼を申し訳ありません」
「お力をありがとうございました……」
「……騎士様。
食事と薬、お金まで……
ありがとうございました……」
震える声。
感謝と恐怖が、混ざっている。
聖者の顔色が、さっと青くなる。
「……いいか」
低い声。
「ここであったことは、誰にも言うな」
村人が顔を上げる。
「誘拐がばれたら」
言葉を選ぶ暇はない。
「村ごと、どうにかされるかもしれない」
空気が、凍る。
「子供たちにも言い聞かせろ。
聖者と関わったことは、
なかったことにしろ」
「……絶対に言うな。」
「……二度と”聖者”と口にするな。」
全員、震えながら頷く。
「……必ず……必ず……」
何度も、床に頭を打ちつける。
「とんでもないことを……
してしまった……」
謝罪が、重なる。
聖者は、それを見ていられず、
視線を落とした。
顔色が悪い。
さっきまでの緊張が、抜けていない。
騎士は、その様子に引っかかる。
「……なぜ……」
問いかけかけて、止める。
聖者が、先に口を開いた。
「……もういい」
短く。
「わかったから」
そして、少しだけ間を置いて。
「……ご飯、食べよう」
その一言で、場の空気が少しだけ和らぐ。
村人が慌てて席を整える。
聖者さまは、皿に手を伸ばし、
ここにきてはじめて食事を口にした。
騎士は、それを見て――
はっきりと、安堵した。
食べている。
生きる方を、選んでいる。
それだけで、今は十分だった。
聖者は、黙って噛む。
味は、よくわからない。
頭の奥で、
何かを確かめるように、
同じ考えが、何度も巡っていた。
騎士は、聖者を見ながら思う。
どうやってお力を使ったのか。
なぜ、感謝の声を聞きながら
怯えた顔をしているのか。
聞けない――。
聞いてはならないと、
本能が告げていた。
剣では斬れない何かへの、
言いようのない不安が
騎士の胸に張りついた。




