踏破
雨脚は弱まるどころか、
世界を灰色に塗りつぶすように激しさを増していた。
それでも、アルヴィスは止まらない。
理屈ではない。
祈りでもない。
ただ、“そこにいる”と分かる。
薄く、弱く、だが確実に。
南。
彼はそれだけを信じて森を裂く。
魔力を這わせ続け、
呼吸すら忘れる勢いで進む。
正しいのか分からない。
だが止まれば、途切れる気がした。
やがて前方に白銀の反射が見える。
聖騎士団。
団長が振り返る。
「南だ」
アルヴィスが言う。
団長は頷き、羅針盤を掲げる。
針が、同じ方向を指している。
その瞬間、胸の奥が熱を帯びた。
――合っている。
今まで使ったことのない力の使い方。
自分でも理解していない追跡。
それでも、間違っていない。
聖騎士団の術式追跡と、同じ線上にいる。
ならば届く。
このまま、辿り着ける。
確信が、初めて形を持った。
団長が低く言う。
「距離は詰まっている。急ぐぞ」
全員が動く。
南へ。
さらに奥へ。
そして――
ぷつり、と。
アルヴィスの感覚が、断ち切られた。
何もない。
匂いも、熱も、揺らぎも。
空白。
同時に、団長の羅針盤が激しく震える。
針が狂う。
……途絶
団長の声が低く落ちる。
「――転移だ。空間ごと切られた」
アルヴィスは動かない。
何度も魔力を這わせ、距離をのばしても
気配はみつからない。
団長はすぐさま神具を展開し
気配が絶たれた場所を特定する
「解析班。消失点を拾え」
術式の痕跡を読む。
地面に刻まれた魔力の剪断。
個体ではなく、構造を追う。
アルヴィスには見えないもの。
若い騎士が叫ぶ。
「ここです。高位隠蔽された転移術式があります」
「が、隠蔽が強固なため気配が一切追えません」
「残滓も掴めません!」
アルヴィスの拳が白くなる。
周囲の聖騎士たちも絶望の色を浮かべる。
「あの方は弱っておられるのだぞ!」
「このままでは手遅れになる!」
泥の中に立ち、目を閉じる。
確かに、気配はない。
だが、「無い」という事実は、
「そこに隠された穴がある」という証明でもある。
「……退いていろ」
「な、何をする気だ!」
「私の魔力で、この空間を塗りつぶす」
アルヴィスは、懐のスーツを濡れないよう結界で包むと、
自身のリミッターを外した。
瞬間、爆風のような魔力が噴き出す。
アルヴィスの魔力が、
制御を失った水圧のように、周囲へ溢れ出した。
攻撃ではない。
破壊でもない。
ただ――
“掴もう”とした。
「アルヴィス卿!?」
膨大な魔力が、
移転装置の残滓へと“噛みつく”。
技術でも、術式でもない。
ただ、執着だけで成立した無茶だった。
聖者を連れて、
“こちらの世界から一歩外へ抜けた”痕。
聖者が逃げた跡。
考えるより先に、
胸の奥が焼けつくように熱を帯びた。
空間が、軋む。
聖騎士たちが馬を抑え、後ずさる。
アルヴィスの魔力は、
慈愛も加減もない、
ただの暴力的な奔流となって
周囲の大気を埋め尽くした。
雨粒さえも、彼の魔力に触れて蒸発する。
「見ろ、神殿の目を持つ者たちよ」
アルヴィスが虚空を指差す。
「私の魔力が『入り込めない場所』があるはずだ。
そこが、あの方を連れ去った『穴』だ」
団長は息を呑んだ。空間を魔力で飽和させ、
その「余白」から消失点を逆算する。
あまりに乱暴で、
しかし桁外れの魔力量を持つ彼にしかできない力技。
「……みえました」
若い聖騎士の声が、わずかに震える。
「移転装置の残滓です。
高度な隠蔽が掛かっていますが……
魔力の濃度が、異常だ」
「解析班!座標を読め!
あの『空白』の座標を追うんだ!」
団長の号令に、
聖騎士たちが一斉に術式を展開する。
数秒の静寂。そして。
「……座標特定!北北西、山岳地帯!」
「……っ、今だ!」
団長が即座に判断する。
「追随転移を組む!
アルヴィス卿の魔力を基準に固定!
散らすな、離すな!」
聖騎士団が動く。
陣が組まれ、術式が走る。
世界が、裏返る。
「総員―― 転移!」
次に足が地を踏んだ時、
彼らの目の前には、
ただ鬱蒼とした森が広がっていた。
静かすぎる。
アルヴィスはある事すら認識させない
自分と聖者の隔たりに胸をざわつかせる。
団長が呟く。
「距離は、ほとんどない。
だが……繋がらない」
羅針盤の針が、
定まらず、微かに震えている。
その瞬間。
団長の耳飾り型神具が、淡く脈動した。
一瞬、全員の視線が彼に集まる。
団長は目を閉じ、魔力を受信する。
沈黙。
やがて、低く告げた。
「……神殿より、緊急通達」
誰も言葉を挟まない。
「聖者様保護、聖者様のご意思を最優先」
「指一本触れてはならない」
「妨げる者は、身分を問わず処断せよ」
団長は、最後の一文を読み上げた。
「騎士アルヴィス・フォン・エルンヴァルト。
聖者を守る限り、敵対を禁ず」
沈黙。
視線が、自然とアルヴィスへ向く。
アルヴィスは、何も言わない。
ただ、前を見て魔力を解放する。
叩きつけるのではなく、押し広げる。
怒りではなく、衝動でもなく、
ただ本能に近い何かに従って、
彼の内側から溢れ出た魔力は、
波としてではなく圧として空間を満たしていった。
イリアスの結界は、位相を半段ずらしている。
座標をわずかに隣へ滑らせ、
外界との魔力透過率を精密に揃え、
探知の揺らぎを平均化する構造。
触れても反応は返らない。
測ろうとすればするほど、平均化されて消える。
理論上、そこには何もない。
だが、聖者が通過した空間は違う。
聖者が現時点でこの世界に対して異物であるため
ほんの一瞬でもその存在が通れば、
そこにゆらぎが生じ、
座標はわずかに“正しい位置”へ戻され、調律される。
調律の痕は、理論上は時間と共に消える。
消えるはずだ。
アルヴィスはそれを知らない。
理解していない。
ただ、押している。
均一に、世界を塗りつぶすように。
その圧の流れの中で、
ほんの一点だけ、わずかに沈む感触があった。
紙一枚より薄い差。
計測すれば誤差と処理される揺れ。
だが彼の魔力は、そこから離れない。
意識して掴んだわけではない。
計算して留めたわけでもない。
わからないものなら、
わかるように包んでしまえばいいと
膨大な魔力にあかせて
力を這い延ばしただけだ。
会いたい一心で。
圧が自然に、そこへ集まり始める。
均一だったはずの魔力が、
微細な揺らぎに吸い寄せられ、
重なり、層を成し、誤差を拡張していく。
位相を半段ずらして隠していた空間が、
外圧に耐えきれず、じわりと浮き上がる。
隣へ滑っていた座標が、押し戻される。
結界は破られていない。
ただ、平均化されるはずの誤差が、固定された。
理論を理解した上での操作では、決してない。
聖者を見つけるという執念、
“そこにあるはずだ”という一点の確信が、
魔力の流れを歪めただけだ。
空間が軋む。
見えなかった輪郭が、圧の中に滲む。
アルヴィスの喉が、低く鳴る。
「……いる」
彼は、自分が何をしているのかを知らない。
ただ、届く……とだけ理解した。
それだけで、
胸の奥が、ぐらりと揺れた。




