聖者は怒っている(なお理由は通じない)
扉が、
控えめに叩かれた。
返事を待たず、
静かに開く。
入ってきたのは、
先ほど広間で
言葉を発していた
神官だった。
他の者とは、
明らかに違う。
年齢。
佇まい。
そして――
怯え方が。
大神官は、
部屋に入るなり
膝を折った。
音も立てず、
床に額が触れるほど、
深く。
「……御子さま」
声が、
震えている。
「この度は、
我らが至らぬ振る舞いにより、
御不快の念を
お与えしてしまい……
まことに、
まことに、
申し訳ございません」
男は、
何も言わない。
大神官は、
頭を上げないまま
続ける。
「御子さまのお言葉は、
胸に、
深く突き刺さりました。
我らが、
どれほど浅慮であったか……
どれほど、
思い上がっていたか……」
言葉を区切り、
息を整える。
「召喚の在り方も、
御子さまを
お迎えする姿勢も、
すべて、
再考いたします。
どうか……
どうか、
これ以上、
御心を
痛めないでください」
その必死さが、
男の神経を
逆撫でした。
「……全然
分かってない」
低い声。
大神官が、
はっとする。
「御子さま……?」
「俺が
何に怒ってるか、
全然
分かっていない!」
一歩、
前に出る。
大神官が、
混乱したように
息を詰める。
「御子さまを
怒らせるなど、
我らにとって――」
「そこだよ」
男の声が、
鋭くなる。
「“怒らせる”とか、
そういう話じゃない!」
もう一歩。
「お前らは、
人を
勝手に連れてきた」
言葉を、
噛み砕くように。
「説明もなく。
同意もなく。
拒否も聞かず」
大神官は、
慌てて
首を振る。
「い、いえ……!
そのような
つもりでは――
御子さまに
害をなすなど、
決して……!」
「害をなす
つもりがなければ、
何をしても
いいと思ってる?」
空気が、凍る。
「それが、
傲慢だって
言ってる」
「言葉を変えただけだろ。
“攫った”を“迎えた”に、
“強制”を“お願い”に、
“言いなりにする”を“守る”に」
男は、
吐き捨てるように
言った。
「詭弁も
大概にしろ」
男は、
一歩踏み出した。
大神官の身体が、
びくりと震える。
「御子さま……
我らは、
御子さまを
お守りするために
あります――」
怒声が、
客間に響いた。
「お前らは
俺を
“守る”って言う。
でも、
実際に
やったことは
何だ?」
「守るってのは、
黙らせる
ことじゃない!
縛ることでも、
使うことでも
ない!」
男は、
拳を
握りしめる。
「殺されても、
言うことなんて
聞かない。
言うこと
聞かない聖者は、
どうする?」
その瞬間――
部屋の隅に
控えていた騎士は、
無意識に
一歩、
前に出ていた。
兜は
外している。
長い髪が
肩に落ち、
整った
顔立ちが
露わだ。
だが、
その目は、
完全に
色を失っていた。
――死ぬ?
聖者が、
そう言った。
守るべき存在が。
至上で、
触れてはならない
存在が。
あり得ない。
そんな発想、
持ったことすら
なかった。
騎士の視線が、
聖者に
吸い寄せられる。
先ほど、
抱き上げたときの
感触。
腕に残る
重さ。
確かな
体温。
――消える?
喉が、
ひくりと鳴った。
守るとは、
失わないことだと、
騎士は、
疑ったことすら
なかった。
大神官は、
蒼白になって
首を振り、
悲鳴のような
声をあげる。
「御子さま!
御子さまを
傷つける……
まして
弑するなど……!」
大神官は、
震えながら
声を絞り出す。
「……そのような
恐ろしいこと、
決して……
決して!
あっては
ならぬことです……」
「なら、
聞けよ」
男は、
冷たく言った。
「嫌だって
言ってることを」
沈黙。
不毛な時間が
流れる。
大神官は、
言葉を
失っている。
しばらくの
沈黙のあと、
どうにか
言葉を
絞り出す。
「……ひとまず、
お食事を
お持ちいたしました」
合図とともに、
侍従が入る。
長い卓に、
次々と
料理が
並べられていく。
肉。
果実。
焼き立てのパン。
湯気の立つ
スープ。
明らかに、
多すぎる。
「どうか……
御子さまの
お身体を
お労りください」
「いらない」
即答だった。
「どうか
お願いです、
御子さま……」
「話が
通じない相手とは、
話さない」
ぴしゃり。
騎士が、
一歩前に出る。
そして、
静かに
膝をついた。
「……せめて」
声が、
わずかに
震える。
「お水だけでも……」
男は、
視線すら
向けなかった。
完全な拒絶。
「……」
大神官は、
これ以上
踏み込めず、
深く
頭を下げる。
「本日は……
これにて
失礼いたします」
扉へ
向かいかけ、
一瞬だけ、
ためらう。
「ただ……」
かすれた声。
「わたくしたちは……
御子さまを、
お守りするために
在るのです」
扉が閉まる。
足音が
遠ざかる。
一拍。
男は、
扉に向かって
吐き捨てた。
「だから、
軟禁だっつってんだろ……」
返事はない。
だが騎士は、
その扉の外で、
一瞬たりとも
気を抜かずに
立っていた。




