6. 辺境伯の思い(辺境伯サイド)
第5話をお読みいただきありがとうございます。
今回は、実の父である辺境伯・エドワードの視点です。
娘の幸せを願う、彼の深い愛情と、隠された葛藤を描きます。
王都の喧騒から少し外れた下町の商店街。
そこに、明らかに周囲から浮いている、体格の良い紳士と、気品あふれる婦人が立っていた。
「……あなた。あのお店ですわ」
婦人の視線の先には、使い込まれた木の看板が揺れるパン屋がある。
紳士――辺境伯エドワードは、深く被った帽子の下で、緊張に喉を鳴らした。
長年続いた隣国との戦争がようやく終結した。
王への謁見という大義名分のもと、彼は真っ先にこの場所へ駆けつけたのだ。
十八年前、燃え盛る城の中で、信頼する騎士ロルフに託した愛娘。
年に一度、ロルフから届く「お嬢様は元気に育っています」という手紙だけが、戦場を生き抜くエドワードの支えだった。
(やっと、あの子に会いに行ける・・・)
エドワードが店の扉を開けようとした、その時だった。
「お待たせしました! 焼き立てのアップルパイですよ!」
鈴を転がすような、明るい声が響いた。
扉から飛び出してきたのは、エプロンを粉で白くした少女だった。
彼女は店先に並んでいたお年寄りに、弾けるような笑顔で駆け寄る。
「はい、おばあちゃん。今日は少し多めにサービスしといたからね。風邪ひかないように、しっかり食べるのよ!」
「ありがとうねぇ、リリアちゃん。あんたのパンを食べると、なんだか元気が出るわ」
少女――リリアは、腰に手を当てて「えっへん」と鼻を高くする。
その仕草は、エドワードの記憶にある若き日の妻によく似ていた。
店の奥からは、片目に眼帯をした大男――ロルフが現れ、リリアの肩を抱いて豪快に笑う。
「リリア、接客もいいが、次の仕込みがあるぞ!」
「わかってるわよ、お父様! もう、すぐ急かすんだから」
二人のやり取りは、どこからどう見ても、血の繋がった本物の親子のそれだった。
リリアに向けるロルフの眼差しには、慈しみが溢れている。
そしてリリアの瞳にも、育ての親への深い愛と、この平穏な暮らしへの満足感が満ちていた。
「……ああ」
エドワードは、店に入ろうとした足を止めた。
彼がリリアに与えられるのは、豪華なドレス、広い石造りの屋敷、そして「辺境伯令嬢」という窮屈な肩書きだけだ。
また、戦争は終わったものの、国境にある辺境伯領は、いつまた敵襲に遭うかわからない危険な場所。
彼女が今持っている、この焼き立てのパンのような温かな幸せを、自分は壊してしまうのではないか。
「あなた……」
夫人がエドワードの袖を、悲しげに、けれど優しく引いた。
「わかっている。……だが、せめて、今日はあの子のパンを食べていこう」
エドワードは震える手で店の扉を開けた。
カランカラン、と乾いた音が響く。
「いらっしゃいませ! 焼き立てをお探しですか?」
リリアが振り返り、見知らぬ「紳士」に最高の笑顔を向ける。
その真っ直ぐな瞳に見つめられ、エドワードは胸が締め付けられるような想いで、並んだパンの中から一つを指差した。
「……それを、二つ。頂こうか」
リリアが丁寧に紙袋に包んでくれたパンは、まだ驚くほど熱かった。
店を出て、角を曲がったところでエドワードはそのパンを一口齧る。
素朴で、力強くて、どこまでも優しい味。
「……美味しいな」
エドワードの瞳から、一筋の涙が溢れた。
「こんなに立派に……幸せに育ててくれた。彼らには、感謝しかない」
迎えに行きたい。抱きしめて「私が父だ」と言いたい。
けれど、彼女の笑顔を奪う権利が自分にあるのだろうか。
辺境伯はパンの袋を握りしめ、幸せの匂いが漂う店を振り返り、深く、深く悩み続けるのだった。
娘を想う辺境伯の「幸せ」と、共に暮らせない「葛藤」。
彼の願いが届く日は来るのでしょうか……。
次回、ついに物語が大きく動き出します。
続きが気になる方は、ぜひブックマークや下の「☆☆☆☆☆」から評価をいただけると嬉しいです!




