4. 歪んだ初恋のプロローグ(王子サイド)
第4話をお読みいただきありがとうございます。
今回は王子・ギルバートの視点です。
彼がなぜあそこまでリリアーナに執着するのか。あの日から止まっていた、彼の歪んだ初恋の裏側をご覧ください。
「……自由だ。本当に、空気が軽いな」
王都の一等地に構えられた子爵家のタウンハウス。その裏門から、僕は灰色のマントを深く被って外へと足を踏み出した。
僕は現国王の第一王子。しかし、その血筋は王妃から忌み嫌われる側妃の子だ。
王宮の中では、食事には常に毒が混じり、寝所のカーテンの裏には暗殺者が潜んでいることも多々ある。そんな日常が当たり前だった。
今回は、母上の兄である子爵の協力を得て、ようやく手に入れた「休暇」だった。
「ギル、あまり浮かれすぎないで。僕が父上に叱られてしまう。」
隣で呆れたように溜息をつくのは、子爵の息子であり、僕の将来の側近となる従兄弟のエリオットだ。
1つ年上の彼は、僕の数少ない理解者だった。
「わかっている。だが、見てみろエリオット。これが『街』というものか」
初めて歩く王都の商店街は、宝石箱をひっくり返したような輝きに満ちていた。
石畳の道、軒を連ねる色とりどりの看板。広場では噴水が跳ね、どこからか陽気な楽器の音が聞こえてくる。王宮の静謐な冷たさとは対照的な喧騒。
その時だった。
香ばしい、甘い匂いに誘われるように視線を向けた先に、その子はいた。
「――っ」
思わず、足が止まる。
レンガ造りの可愛らしいパン屋。窓辺には赤いゼラニウムの花鉢が並び、黄金色に焼き上がったパンが誇らしげに陳列されている。
その店の裏口から、自分と同じくらいの年齢の女の子が、大きなトレイを抱えて出てきたところだった。
陽の光を浴びて輝く、艶やかな髪。
一生懸命に働くその頬は少し赤らんでいて、小麦粉が鼻の先にちょんと付いている。
何より、その瞳だ。
王宮の人間が持つ、淀んだ野心や恐怖とは無縁の、一点の曇りもない真っ直ぐな瞳。
(……なんて、可愛いんだ)
胸の奥が、熱い鉄を押し当てられたようにジリリと焼けた。
生まれて初めての感情だった。守りたくなるような、けれど自分だけのものにしたいような、激しい独占欲。
なんとかして、彼女に話しかけたい。彼女のその瞳に、僕だけを映してほしい。
けれど、差し出されたことのない「好意」を、僕はどう表現すればいいのか知らなかった。
教えられたのは、敵を突き放すための冷言と、相手を支配するための傲岸な振る舞いだけ。
「……ふん。粉まみれでおばあさんみたいだね」
口をついて出たのは、可愛げのない言葉だった。
本当は「君の髪は綺麗だね」と言いたかったのに。
「労働者は大変だな。僕の家なら、そんな野蛮な真似、使用人にさえさせないよ」
本当は「頑張っているんだね、すごいよ」と、その小さな手を握りしめたかったのに。
彼女は顔を真っ赤にして僕を睨みつけた。
その怒った顔さえ、僕にとっては眩しくて、胸が苦しいほどに愛おしい。
彼女に罵倒され、拒絶されるたびに、なぜか僕の心は歓喜で満たされていく。
(ああ、いいな。君は僕を拒絶するんだ。僕を王子としてではなく、一人の男として、激しく意識してくれている……)
去り際、僕はわざとらしく口元を隠して笑ってみせた。
そうでもしないと、彼女を今すぐ連れ去りたくて堪らなくなる、自分の顔の緩みを隠せなかったから。
(待っていて。君にふさわしい男になって、必ず迎えに来る・・・)
これが、僕の——一生消えない、呪いのような初恋の始まりだった。
王子視点のエピソード、いかがでしたでしょうか。
次回、ついに平穏が終わりを告げます。
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