1の5 奥州の荒獅子
町衆に化けた黒脛巾組の男たち三人が合流する。
成実が周囲を見渡すと、遊佐が傷を負ってうずくまっていた。左手で右肩の血を押さえている。
「斬られたのか?」
「はい、不覚にて」
成実は懐から手拭いを取り出し、遊佐の右肩に結んだ。白い手拭いはみるみる赤く染まっていく。遊佐は痛みを堪えて青い顔をしている。
「早く血止めして傷口を縫わねばならん。世瀬殿、どこか安全な所へ案内してくれ」
「はっ」
世瀬が先導した。
近くの寺に入り、人気のない境内で大木の影に遊佐を座らせる。すぐに黒脛巾組の男が竹筒を差し出した。
「傷口を洗う酒にござる」
「かたじけない。遊佐、染みるが我慢しろよ」
成実は遊佐の右袖を引きちぎり、傷口を酒で洗った。深さは判らぬが、幅は四寸(12センチ)程である。もし、筋が切れていれば右腕は動かなくなるし、このまま血が止まらなければ死んでしまう。
成実にとってこの遊佐は、心許せる相棒だ。このまま死なせる訳にはいかない。
世瀬が絹糸を通した曲がり針を酒に浸し、これで傷口を縫い合わせた。多かった出血はだいぶ治まったようだ。
戦の経験の浅い小姓衆はただ動揺して、おろおろしているので成実は注意した。
「遊佐は大丈夫だ。それより必ず追手が来る筈だ。周囲を見張れ」
やっと自分の役目を思い出したように、若い連中は走って行った。歴戦の鉄砲大将、萱場と牛坂は淡々と鉄砲に玉を込め、寺の表口と裏手へ分かれて敵を警戒した。
追手はすぐに現われた。寺の表側で高い銃声が響いた。
「世瀬、遊佐を頼むぞ」
成実は、銃声の方へ駆けた。若い衆も成実に従って集まってくる。
萱場はたった一人で、敵の繰り出す手槍を、鉄砲を振り廻して懸命に防いでいた。
「加勢するぞ」
成実は、太刀を大きく振って乗り込んだ。
「と、殿ぉ。助かった」
萱場から安堵の声が上がった。相手は手槍を持った鎧武者四人。とても萱場一人では防ぎきれない。奥に倒れている一人は、萱場が銃弾で仕留めた者だろう。
「萱場、いったん下がって玉を込めろ」
「はっ」
成実は、指示をしながら敵の槍をうまく防いだ。しかしながら、太刀の間合いには入れない。
それでも、味方が次々と敵の裏側へと回り込むと、形勢は逆転した。
背後を気にし始めた敵は動揺していた。成実らは槍を払いながら、構えの死角へと移動して行く。
そこに萱場の鉄砲が火を吹き、敵の一人を仕留めた。
撃たれた男は泡を吹いて突っ伏し、残る三人は、次には自分が撃たれる番ではないかと恐慌状態になった。
「うおーっ」
奇声を上げる兵。死ぬ気の人間は恐ろしい。窮鼠猫を噛む、の例えもある。
そんな勢いで連続して突き掛かってきた敵の槍を、成実は冷静に太刀で払い、縦に横にと振り回して、二人の敵の首を斬り落とした。
最後の一人が突き出した槍を、ぐいと成実は左手で掴んだ。左脇に抱えて敵の動きを封じ、右の太刀を鉈のように振って敵の脳天をかち割った。
「えーいっ!」
大きな金属音が響いて兜が左右に割れ、同時に太刀も折れた。総毛だった成実も己の力には驚いたが、折れた太刀を躊躇せずに投げ捨てる。
地面に倒れた敵は、奪った槍で突き刺した。
ほとんどが、戦慣れした成実の一人仕事であった。遊佐が動けない以上、ここで敵を倒し続けるしかなかった。
遊佐の所へ戻った成実は、世瀬から冷静な状況分析を聞いた。
「地面の血痕を追ってきたのでしょう。すぐに配下に消させます」
黒脛巾組の男達は、遊佐の血痕を足で踏み潰して証拠を消していった。
寺へ入ってから四半刻(約30分)、遊佐を動かさずに血が止まるのを待った。遊佐は、だいぶ落ち着いてきていて、意識もはっきりとしている。
「殿、もう大丈夫でござる。追手が来るので、殿は逃げて下され」
傷を負った遊佐だが、自分の事よりも成実を心配しているようだ。
「お前を置いて行けるか。戦場ではこんな傷など屁の河童だ。しっかりしろ」
傷は軽いのだと強調する。同時に次に起こす行動について計算する。
「世瀬殿、隠れるなら東山の山林だと思うが、行けそうか?」
「はい。しかし敵の対応次第。京を取り巻く御土居の城門封鎖まで、時間の勝負」
「左様か。遊佐、悪いが歩けるか?」
「はい」
遊佐はゆっくり立ち上がった。
「世瀬殿、全員を集めてくれ」
遊佐の状態を見て、成実は移動を決意した。成実と配下の一〇名と、黒脛巾組の五名が集合する。
「これから街中を抜けて東山に隠れる。堂々と人の波に紛れて歩けば、敵の目もごまかせるはずだ。萱場と牛坂の鉄砲は人目に付くので置いて行く。それから遊佐、これを着ろ」
成実はそう言って、自らの藍染め小袖を脱いだ。
「血に濡れた着物では怪しまれるのでな。もっとも俺のも少し汚れているが勘弁してくれ」
「殿、某などに、なんと勿体ない」
遊佐は涙に枯れた声で礼を述べた。二挺の鉄砲は寺の軒下に隠すようで、萱場と牛坂は大事そうに鉄砲を埋めていた。
「待っていてくれよ。後で取りに来るからな」
牛坂は、自慢の道具への別れを惜しんでいた。
着物を着替えた遊佐は、右腕を袖に通さず懐に入れて安定させた。
「いざ」
その遊佐を中心にして庇いながら、成実たちは出発した。人の流れに紛れて進む。
しかし、十町(約1・1キロ)ばかり歩くと、遊佐の顔は苦しそうになり、四条通りを東に向かっている頃には、貧血でよろめいていた。
いくら気を張ってはいても、身体は正直である。
「おい、遊佐を支えろ。近くで休息を取るぞ」
ここは四条坊門姥柳町。成実らには馴染みのある南蛮製品を扱う店があった。
逃げ込むには、向かいの南蛮寺がいいだろう。
近寄りがたい異相の南蛮人とは申せ、寺と名乗る以上は、慈悲の心ぐらいはあるだろう。いちいち詮索している場合ではなかった。
「南蛮寺に入るぞ」
成実らは、遊佐を庇いながら南蛮寺に入った。
三重櫓の本堂の前で、女が野菜の手入れをしていた。ぞろぞろと入ってきた成実らを見て、目を丸くする。
「僧侶どのは居るか? 少し休ませて貰いたい」
「はい。今、パードレさまを呼んでまいります」
その女は本堂へと入って行った。
すぐに南蛮人が出て来た。全身が黒い衣装で、金縁の刺しゅうを施したマントを羽織っていた。顔は日本人と違って妙な感じで、すこぶる背が高い。六尺(182センチ)は優にあるだろう。
「何か御用ですか?」
その南蛮人は丁寧な日本語を使った。
「怪我人がいるので、少し休ませて貰えぬか?」
「解かりました。この御縁も主(神様)の御導きでしょう。どうぞこちらへ」
南蛮人は先頭に立って案内した。敷地には、本堂の他にいくつもの長屋が建てられている。ちょうど出て来た日本人青年に、その南蛮人は声をかけた。
「伊東マンショ殿。済みませんが、この方たちの手当てをお願いいたします。ケガをしているそうです。私は、薬を用意します」
「かしこまりました、バリニャーノ様。皆さま、どうぞこちらへ」
南蛮人はこの青年を伊東と呼んだ。南蛮人の名はバリ? 何とかだ。
筒袖に筒袴姿の伊東は、長屋の一室に成実たちを招いた。
「ここは私たちの仮の住まいです。私はまだ出家しておりませんが、ヨーロッパへの長旅の間に語学と医術を教えて頂きました。よろしければ私が診察しましょう」
涼やかな立ち振る舞いである。成実は、不思議とこの伊東は信用出来ると感じた。
「それは是非にも、御願い致します」
「では傷を見せて下さい」
遊佐は襟を広げ、上半身を脱いだ。傷を覆っていた手拭いを伊東が外す。
「ほう。傷口は見事に縫い合わさっています。あとは消毒して、清潔な包帯を巻けばよいでしょう。待っていて下さい」
伊東は部屋を出て行った。成実は遊佐の傷を見る。
「どうやら出血は治まったようだ」
「はい」
遊佐が答える。
「お待たせしました」
戻って来た伊東は、小瓶入りの消毒薬で遊佐の傷口を丁寧に拭って、白く長い布を上手に巻いた。
「これで様子を看ましょう。しばらくは動かさないように。よろしければ、皆さまもここにお泊り下さい。信者の方も大勢いますので遠慮なさらずに」
「かたじけない。宜しく御頼み申す」
代表して成実が答えた。
「世瀬殿、俺たちはこの寺に居を移す。偽の噂で敵方を混乱させてくれ。それから常盤、何人かで荷物をここに運んで来い。松屋には、急きょ国に帰ると言っといてくれ」
「はっ」
情報戦の達人・黒脛巾組ならば、敵を反対方向に誘導することも出来るだろう。
「それでは伊東殿、傷が癒えるまでの間、御厄介になりまする」
「分かりました。では宜しければ、あなたさまの名前をお教え下さい」
伊東は短いやり取りから、成実が主だと解かったのだろう。成実は正直に答えた。
「伊達成実と申す。よしなに。助けて頂いたこの者の名は遊佐でござる。ところで伊東殿の御名前は、何か変わった異国の響きでしたな。何と言うのでござるか?」
「はい。伊東マンショ祐益です。マンショとは、南蛮風のキリシタン名にございます」
「左様であるか。不思議なものじゃな。後で色々な話も教えて下され」
「はい。喜んで」
伊東は理知的で、自然に人の輪に解け込んで、煩くない。成実は異国について詳しく知りたいと思った。
「皆、気配を消し、敵襲に備えて油断するな」
「はっ」
世瀬らと小姓衆は銘々、南蛮寺を発って行った。