1の3 奥州の荒獅子
それから三ヶ月後の十一月。
成実は、ゆるゆると帰国する秀吉を追いながら京都に入った。
成実の供廻りは、近習の遊佐佐藤右衛門。他に小姓の常盤実定、青木藤太郎、志賀弥七郎、羽田小吉、杉山九左衛門、岡半兵衛らの若い六名。加えて歴戦の鉄砲大将、萱場源兵衛と牛坂右近で、成実も含めて一〇名の忍び旅である。
東山道を粟田口から西へ真っ直ぐ行くと三条大橋にぶつかる。
さすがは京都、連なる町屋は非常に多く、せわしない人の気配が伝わってくる。
ちょうど、人足たちが鴨川べりに土塁(京都を囲む御土居)を積み上げている最中であった。その人数は多くて、おそらく全体では一万人を超すであろう。
成実は、初めて京に上ったが、呉服屋や古着屋、酒に団子、甘酒屋などが立ち並び、奥州とは比べられないほどの賑やかさである。まずもって人が多い。
天下人となった秀吉の桁外れの財力が、京に集まって来ているのであろう。
日が傾く前に、成実は使いを出して「松屋」に宿泊の依頼をした。
成実の亡き父実元は外交に秀で、京の様子を奥州に伝える協力者を作っていた。出迎えた松屋もその一人で、世間に顔も広く、奥州産の昆布や京野菜の漬物、お惣菜などを商っている。
「お疲れさまでやす。どうぞ湯にでも浸かって温まって下はれ」
亭主は人懐っこい好々爺であった。この物腰の柔らかさは、京風なのかも知れない。
「かたじけない。しばらく厄介になる」
そう言って心づけの金子を渡すと、微笑みの眼が満面の笑みに変わった。
「これはおおきに。ではすぐに料理を運ばせましょう」
草鞋を脱ぎ、手ぬぐいで足をぬぐって、一行は奥の座敷に落ち着いた。
京の町屋は間口が狭く、奥行きがぐんと広い。座敷も中庭に面していて、松や南天などの庭木が綺麗に手入れされていた。
今は冬である。これが春であれば他の若葉も鮮やかで、花も見事に咲き揃うことだろう。
旅支度を解き、落ち着いて夕餉を取った。
酒の肴は、よく炊いたブリ大根。さすがに店の漬物も美味い。
ほろ酔いになると、誰ともなく故郷の歌を唄い始め、手拍子に誘われて松屋の童子たちが顔を出して仲間に入った。
子供たちから京都の童唄や数の数え唄を習い、見事なお手玉も見せてもらった。
夜も更け、熱い湯に浸かった成実は、湯殿の小窓を開けて身体を冷やした。
「もう出るぞ。さあ遊佐も湯に入れ。さっぱりするぞ」
「いいえ、大事の前でござる。一瞬であっても油断は禁物」
相変わらず遊佐の実直ぶりである。成実の太刀を持って、片時も側を離れない。
「遊佐よ、死ぬときは死ぬし、死なぬときは死なぬものだ」
成実は親しみ深く、遊佐に笑いかけた。
「その通り。人取橋の戦いでは、我ら二〇倍もの敵兵と戦いましたな」
鉄砲大将の萱場と牛坂が、並んで湯殿に入って来た。ちなみに松屋の湯殿は、自慢するだけあってとても広い。
「殿、湯を頂戴いたします」
牛坂が詫びる。萱場を剛に例えるならば、牛坂は柔らかな漢だ。
「おう、瀬戸川館か。あれは凄かった」
成実の脳裏に、敵の兵が一面大地を埋めつくす、五年前の光景が甦った。
天正十三年(1585)十一月、佐竹義重を盟主とする芦名氏、岩城氏、白川氏、石川氏、二階堂氏、相馬氏等の軍勢およそ三万が、伊達家に決戦を挑んだ。
伊達軍は劣勢で僅か七〇〇〇。援軍はない。伊達家存亡の危機であった。
戦いは、瀬戸川に架かる人取橋と瀬戸川館の二ヶ所に集中した。
十八歳の成実は絶対に退かぬぞと、将棋の「香車」の陣羽織と後進しない「毛虫」の兜前立てで決戦に臨んだ。
成実の陣取る瀬戸川館の一〇〇〇名は、敵の主力二万もの力攻めを押し返した。鉄砲玉が無数に飛び交う中、成実自ら旗を持って仁王立ちしていた記憶がある。
「殿、これを見て下され」
牛坂が諸肌を脱ぐと、胸に大きな鉄砲傷があった。
「あの戦さでか?」
「はい。運良く浅手にて、今では某の勲章でござる」
そう言えば当時、牛坂は平気な顔をして評定に出ていたはずだ。この傷では、肋骨なども折れてかなり痛かったに違いない。
「ワシなどかすり傷一つ負わなかったわい。がはははっ」
萱場が豪快に笑った。二人とも歴戦の勇者であり、成実への忠義も厚い。
成実は思った。
これまでの手柄は決して己自身のみの手柄ではなく、牛坂のような多くの家臣たちの血と汗に支えられていたのだということを。
そして翌朝、成実は考えあって皆に金子を与えた。
「この銭で遊んでまいれ。茶や菓子を食べるもよし。芝居や京女を口説くもよし。都中を歩き回って、土地勘を掴んで来い」
「おおっ」
これには若い連中は喜んだ。十七、八では遊びたい盛りなのだ。たまに開放してやるのもいいだろう。
「遊佐、すまぬが金庫番を頼む」
「はい、留守番でござるな」
二十八歳の遊佐は、わざと仰々しく見せて皆を笑わせた。
「お前に外出するなと言っている訳ではない。各自の行動を把握しつつ、大事の時の要になってくれ」
「恐縮、かしこまって候」
大任を任された遊佐は、引き締まった良い顔つきになった。何にでも、すぐに首を突っ込む成実は管理者向きではない。
その点では、真面目な遊佐こそが適役だ。
「まあ、まずは酒だな。伏見あたりの一級品をぐいっと」
萱場の杯は大きいらしい。両手で杯をあおる仕草をした。
「萱場よ、今日は半日、俺に付き合ってくれ」
成実はまず、秀吉の京での動きを確認しておきたかった。
「おお、殿の頼みでは断われぬな。酒は後にするか」
「では参ろう。お前ら、喧嘩などして死ぬなよ。遊佐、後を頼む」
「はっ、お気を付けて」
成実は萱場をつれて松屋を出た。
まだ朝も早く風も冷たかったが、町人たちは掃除や商売の準備で忙しく働いていた。
かつての大内裏跡に、秀吉の聚楽第は存在する。
御所のある上京から僅かに離れているが、東の御所と西の聚楽第との間は、諸大名の屋敷が、碁盤の目状に整然と並んでいる。
いつもは豪快な萱場も、黙って周囲をにらんでいた。館とは名ばかりで完全に城である。
聚楽第は本丸を中心に、南の丸、西の丸、北の丸があり、三重の櫓や広い堀でよく守られていた。おそらく御殿は本丸にあるであろう。
「萱場、これでは(鉄砲で)届かぬな」
「はい。掘と城壁で、見通しが利きませぬ。そこいらの屋根に登っても多分同じでしょう。やはり狙うなら市中か街道でござろう」
「そうだな。しばらく京に滞在するつもりだ。その間に(襲撃の)めぼしい場所など見つけておいてくれ」
「承知仕った」
「仕事はこれで終わりだ。冷えたな。どこかで一杯やるか?」
「これだから殿は、話が解かる。大好きじゃー」
「よせやい」
成実と萱場主従は、肩を組んで酒屋を探した。