1の2 奥州の荒獅子
その日、黒川城に入城した秀吉は、早速、諸将を集めて奥羽仕置を発表した。
まず、小田原攻めに参陣しなかった大名は改易処分。
遅参した伊達政宗は、懲罰的な意味で会津四郡、仙道五郡、磐城四郡、大崎五郡、越後津川地方(東蒲原郡阿賀町)、下野北部を没収された。これで伊達家は一五〇万石を超える大大名から、半分以下の六九万石にまで削られた。
夕刻、下城した政宗から結果を聞いて、成実は思わず吼えた。
「だから言ったのだ。敵は烏合の衆。地の利を活かして戦えば、伊達家将兵四万五〇〇〇、こんな屈辱など受けなかったのだ」
「これ、壁に耳あり。滅多なことを言うでない」
ここは城下の侍屋敷の一室である。政宗は城の御殿を秀吉に明け渡している。
「秀吉と戦ったら如何なるか。おそらく一、二度は勝てるだろうが、最後は二〇万の兵で飲み込まれてしまう。それくらいは判るであろう」
領地を半分にされても政宗は平静だ。だが、成実は収まらずに声を荒げる。
「小十郎の受け売りじゃないか。政宗公は、これまでの将兵の死を無駄にするのか?」
「黙れ。家を守るのも継承者の務め」
政宗の隻眼は怒りとともに悲しげでもある。戦さでは無敵の強さを誇り、次々と敵を滅ぼして領土を広げて来た奥州王だ。
あと十年、せめて三年の時があれば、奥羽全土から関東までも支配下に置いて、秀吉と東西対決をしていただろう。
「失礼致しまする」
静かに障子を開けて、軍師の片倉小十郎景綱が灯りを持って入って来た。
「成実殿、此度の責めは、この小十郎にござりまする」
一目置く知将の小十郎が現われたので、成実は言葉を選ぶ。
「いや、小十郎殿。俺は強い奴と天下に響く戦さをしたかっただけだ」
「小十郎、この先はどう考える?」
政宗も成実同様、小十郎の知略を当てにしているのが分かる。
小十郎は淀みなく答えた。
「はっ。関白殿下はもう御歳五十五歳で、黄泉の国は近い。よって捨て置き、当面の敵は、北に配された木村吉清と南の蒲生氏郷でござる。蒲生氏郷は、あの織田信長公がその才覚を見込んで末娘の冬姫を娶らせた程の漢。しかし、奥州は不案内にて、雪中での戦さの作法などは知らぬでござろう」
言葉に含みがある。
「ほう、どこぞの合戦に、奴を担ぎ出せばよいのか」
政宗は不敵に笑った。
「御意にござる」
「面白い馳走じゃ。敵と寒さに震えて死ねばよい」
小十郎は政宗と相性がいい。歳は政宗より十歳年上で、政宗がまだ梵天丸と呼ばれた頃からの守役である。見識も広く、同時に政宗の意を酌む子飼いの臣でもあった。
二十三歳の成実は政宗よりも一つ歳下で、つい張り合ってしまう所がある。
ちなみに、成実の父は政宗の祖父十五代晴宗の弟、成実の母は政宗の父十六代輝宗の妹で、成実は政宗にとって大叔父兼従兄弟という近親であった。
政宗が十七代の家督を継ぎ「独眼竜」と呼ばれる頃には、成実は右腕として軍事を司り、比類なき強さから「奥州の荒獅子」と呼ばれるようになっていた。
「そんな小細工など無用じゃ。威風堂々と戦って、叩き潰せばよいではないか」
成実は、また言ってしまった。政宗に向かって直言を出来るのは成実だけである。だから怒りを買うこともある。
「成実殿、なりませぬ。関白殿下の惣無事令は、この度の天下統一によって天下の法になりました。たとえ小戦さであろうと、法を犯せば、叩くも潰すも関白殿下の思いのままにござる」
小十郎の言うことは正しい。しかし、成実はご機嫌取りなど出来ない。
「では、秀吉が死ねば、その法も無くなる」
「だから、それを待とうという相談でござるよ」
小十郎も諭すように応じた。
「生ぬるい。武者なら槍一本にて命運を切り開くべきだ」
「成実が秀吉を斬るか?」
政宗は、僅かに微笑んだ。
(政宗公は、やれと言っている)
「成実殿、お止め下され。もし失敗すれば伊達家は御取潰し必定にて、無謀にござる」
いつも小十郎の意見は正論だ。
「ならば浪人しよう。ただの素浪人の振る舞いなら文句あるまい」
成実は成り行きとはいえ、すでに決心してしまった。秀吉の首を狙うことを。
「成実、何か餞別はいるか?」
政宗も、言い出したら聞かない成実の性分を知っていて、無理に引き止めなかった。
「無用なり」
憮然と答え、成実は一人で部屋を出た。