6の3 伊達王国建国
文禄四年(1595)十一月一日。
日本を出発してから三年が経過した丁度その日に建国式を行なった。
式には、各地の家老や黒田光良を始め、王論人の統一首長となった観月松男も祝いに駆け付けた。日本人の嫁さんをもらった事や、新しく内陸部に砂金が見つかった事など、見事な日本語で話していった。
成実は、メキシコ湾岸の新首都ベラクルスで新大陸伊達王国の初代国王となり、二十八歳になっていた。
成実は、海の見える小高い丘に小城を構えて、日本式の屋敷に住居している。
石垣は要所のみ。南国ゆえに緑は濃い。樹木は砲撃戦において敵からの目隠しになるので、間引きして程よく残してある。
一方で、妻子が毒蚊に刺されるのが怖いので下草はキレイに刈らせ、下水も溜めないようにしている。全体に白砂を丹念に敷いていて、見た目にも涼しい。
国王・成実の朝は行水に始まる。ベラクルスは、朝でも日差しが強い。
気を引き締めて、朝食後には乗馬をする。
本格的に走り込み、帰りに市中を巡察するのが日課だ。悪人はその場で成敗し、スイカや魚の干物などを土産に帰る。
昼餉もおかずは様々だが、必ず米飯を食す。
一粒百業。日本人がいかにコメを大切にし、いつくしんできたのかは、美しい田圃を見れば解かる。日本人の伝統とはすなわち米を食うことである。
午後は、政務の時間だ。表御殿に移って各地からの諸問題に決裁する。
家老の羽田右馬之助実景よりも、遊佐がいい相棒だった。吏僚的細かさと、武将的強引さの吊り合いが絶妙である。
大きな反乱には、国王の成実が直々に兵を率いて遠征することもあった。
領土は驚くほどに広い。新開発地のテキサス(現地語で「仲間」の意)方面にも稲作を伝えており、年貢の円滑調達まであと少しの頑張りである。
全国統一憲法も近々公布予定であった。




