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1の1 奥州の荒獅子

 天正十八年(1590)八月九日。

 黄金色に稲穂が輝く奥州会津の地に、浅野長政、三好秀次、徳川家康、前田利家、上杉景勝、佐竹義宣ら名だたる諸将が、五色の旗指物を林立させて進軍して来た。

 甲冑も響くおよそ二〇万の大軍勢の中には、時の関白で総大将・豊臣秀吉の金色瓢箪ひょうたんの馬印もある。

 これを伊達藤五郎成実しげざねは、家臣の遊佐佐藤右衛門ゆさ・さとうえもん一人を従え、黒川城への街道筋で見送っていた。

 既に伊達家の軍勢は、羽州米沢城に退去させてある。主君の伊達政宗が小田原で秀吉に服従し、会津召し上げを内示されていた為だ。

 秀吉の天下統一は、奥羽平定で完了する。奥羽最大の実力者である政宗の牙を抜き、豊臣政権の飼い犬として働かせる腹積もりなのであろう。

 武辺者の成実は、調略のような裏工作は好きではない。武士なれば矢玉を飛ばし、刀槍を交わして勝敗を決めた方が、潔くていいと思う。

 今も天下に名の知れた武将たちを眼前にして、武者魂が噴気となって胸へと上ってきていた。

(我は一軍を率いて戦いたい。まだ負けた訳ではないのだ)

 憤りをこらえたまま重い心でいると、少女の鈴のような美声が耳に入った。

「冷たい水、飲んみやーれー」

 街道沿いの村々の女子衆が、将兵たちに井戸水を振る舞っていた。

 民は領主を選べない。新領主になるかもしれない相手に媚を売っておくのも処世術なのだろう。したたかでもあり可哀想でもある。

 喉が渇いた。

「俺にも一杯くれぬか?」

「んだ。お父っさまも、さあさ、飲んみやれ」

 まだ幼い少女が駆け寄り、笑顔で柄杓を渡された。鎧を着ていない成実は、兵士ではなく父親に近いと見えたのだろう。着物の一枚も買ってやりたい程の可愛さだ。

 邪推していたことを心中で恥じ、二杯三杯と桶の水を汲んで喉を潤した。

「うまい。遊佐もどうだ、一杯」

「ははっ」

 付き人の遊佐は、いちいち仰々しい。

「娘よ、うまい水の礼だ。これをもらってくれぬか」

 成実は、紫桔梗の描かれた夏扇をパッと広げて、小さい手に渡した。

「わぁ、ありがとうごぜいやす」

 少女は小躍りし、はしゃいで家の方に跳んで行った。

「殿、まことに甘露でござる」

「ああ、会津の人はいい。その真っ直ぐな心根が、俺は大好きだ」

 その時、急に老婆の悲鳴が上がった。

「わあっ、許してくなはんしょ」

 振り向くと、足軽どもが悪ふざけに、婆さんを突き倒したのが見えた。

「婆さま、大丈夫け?」

 扇子の少女が老婆に駆け寄ったが、足軽どもは構わず奪った桶で二人に水を被せた。

「ババアの水は苦いわい。ひゃーっ、ははは」

 その下品な嬌声を聞いた成実は、衝動的に怒りが五体を突き抜けた。

「この下郎が!」

「殿、今はなりませぬ。ご時世が……」

 伊達家存続が微妙な時期である。頭の隅では解かっていたが、二十三歳の青年武将・成実は一匹狼である。

 遊佐を引きずるように猛突進して行って、太刀を抜きあしざま、その足軽を肩口から腰まで真二つに斬り割いた。

 周囲でからかっていた兵たちが、一瞬の事件に凍りついた。地面に広がる鮮血を見つめる。

「てっ、敵じゃあ」

「おらっ!」

 成実は、真っ先に悲鳴を上げた足軽に一閃し、首を宙に跳ね飛ばした。そのまま勢いに任せて続けざまに数人を斬り伏せる。

「我、鬼神となりて民を守護せん。命の要らぬ奴は前へ出よ!」

 ずぶ濡れで丸くなっている婆さんと少女に累が及ばぬように離れて戦う。

 勝ち戦さに油断していた豊臣方は、突然の反抗に恐怖したのだろう。それでも、条件反射で一斉に槍先を成実の方に向けてきた。

 成実主従は僅か二人。多勢に無勢である。

 退路を確保するべく、近くの馬の尻を突いて暴れさせ、囲みを解いた。

「よし、引き揚げだ」

 成実は、遊佐の襟を掴んで林に飛び込み、疾走した。周りに弓矢が数本突き立った。

「殿。某が残って、しんがりを」

「ならぬ。走れ!」

 成実は、太刀筋とともに強い怒気をぶつけてきた。追っ手も命は惜しい。特に、勝ち戦さで褒美を眼の前にしての無駄死には、誰もが忌み嫌う。

 土地勘のある成実らは、追っ手を撒いて汗を拭った。

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