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新大陸伊達王国  作者: いばらき良好
第5章
26/33

5の1 侵攻作戦開始

 文禄二年(1593)十一月一日。

 気仙沼を出航して丁度一年目のこの日、成実らはヌエバ・エスパーニャに向けて王論サンフランシスコを旅立った。

 王論には、家老の志賀左近之助隆義、弥平隆正父子と三〇〇名が金剛とともに残った。王論人の観月松男も協力的なので、一揆などの心配はないであろう。

 船団は、一路南へと進む。進むにつれて樹木は見られなくなり、灰色の岩と砂土だけの死の世界となった。

 草木も生えないというだけで、この世の果てを旅している気分である。

 十日程で砂漠の(カリフォルニア)半島を過ぎると、今度は東へ向かう。

 イルカの親子が船団に並走してきた。陸上と違い、海の生物は豊かなようだ。

 現に、船から釣り糸を垂らすと、ひっきりなしに異国の魚が上がった。

 太平洋横断ふた月半の経験からすれば、陸地が見えるだけで有り難い。

 再び大陸沿いを南下する。半島と違い、葉がなく棒のような植物サボテンや背の低い潅木が赤土色の大地に見られるようになった。

 もうそこはヌエバ・エスパーニャの領土の一部になる。

 進むにつれ、大地の緑は濃くなっていく。

 乾燥地帯から熱帯に入ると、むっとする熱風と、青々と茂った草木で野性味あふれる森に覆いつくされる。


 ここは、ヌエバ・エスパーニャの太平洋岸最大の港アカプルコである。成実たちは石作りの街並みを見て、アカプルコに到着したことを確認した。

 湾内は比較的波が穏やかである。

 使者として、イスパニア語(スペイン語)に堪能なリベルタ号の船員が、代官の元へと向かった。

 多少の進物で懐柔して町に上陸するつもりであったが、代官は「大船が一〇隻ではもっと進物を出せるであろう」と欲の皮を伸ばした回答をした。

 成実は使者の報告を受けて、悪代官のふざけた顔が思い浮かび、成敗すると決断した。

「欲張り役人など、いらぬわ。手向かう者は叩き斬れ。ただし民百姓は殺すなよ。いざ、かかれや!」

 成実は毘沙門から号令した。


「遊佐、船を任せる」

 初の上陸戦闘だ。成実も急きょ陸へと上がった。

 要塞は町のすぐ南の丘上にあったが、海上からの敵襲を警戒したものではなく、反乱防止用の貧弱な砦であった。

 当地の町衆が突然の戦いに驚いて飛び出して来たが、陣笠の下の日本人の顔を見て「同胞」だと思ったのか、一緒に要塞攻撃に駆け出し始めた。

 一群は大波となって、役人どもの邸宅を蹴散らし、要塞へとせまる。

 味方の船から多数の砲弾が飛んで来た。

 遊佐の差配は正確で、砲弾は要塞を粉々に打ち壊す。

 そして逃げ出したイスパニア人らを、成実ら日本兵と現地民が渾然一体となって斬り、叩き殺した。

「よし、勝ったぞ。勝ち鬨を上げよ」

 成実ら日本兵は「エイ、エイ、オー!」と勝ち鬨を上げると、現地民も一緒に拳を突き挙げて連呼した。


 現地民は、イスパニア人の横暴に耐えていたらしい。

 無報酬での労働、農産物の没収、妻子への暴行と怒りに怒っていたのだ。ただ、今まではイスパニアの武力に屈し、怯えて、ただ耐えてきたらしい。

「俺たちはイスパニアと戦う為に海を越えてやって来た日本人だ」

 成実の言葉は、イスパニア語に訳して現地民に伝えられた。

 広場に喝采が起こる。

 大将、伊達成実の涼しい顔を見て、女子供も安心したのだろう。成実は、可憐な少女から南国の美しい花束を貰った。

 こうして日本人はアカプルコの町に受け入れられた。


 成実はアカプルコの東半里(2キロ)のカマロン川沿いに日本町を建設した。

 代官には、家老の常盤新九郎勝定と七郎左衛門の父子を兵三〇〇と共に据えた。

 現地民は協力的であったが、成実は使役には使わなかった。これは現地民が、折角掴んだ自由なのだから、迷惑は掛けたくないという思いと、ここでの友好関係は、その後の遠征に直接に影響するからであった。

 この地の気候も聞き出した。一年中暑いが、雨季と乾季がある。グレゴリオ暦の五月までは雨が降らないらしい。グレゴリオ暦の五月一日は、日本でいう文禄三年四月一日である。(日付変更線の問題は解決していない)


 米を確保したいのだが、それは百姓と女子供に任せて、成実たちはヌエバ・エスパーニャの都であるメキシコ(メキシコ・シティ)に向けて進軍を開始する。

 その数は、伊達家七〇〇名、原田家一五〇〇名、桑折家三〇〇名の計二五〇〇名。

 アカプルコでは収穫もあった。

 敵の鎧と広幅剣、突き剣、鉄砲、大砲の類である。鉄砲は従来のままの火縄銃であった。伊達家のように新式鉄砲ではない。

 武器を視れば敵の強さが解かる。問題は人数だ。

「ここまで来て考えるでもない。決戦の地へ、いざ出陣!」

 成実らは、メキシコに向かって北へ七五里(約300キロ)もの長い山道を進んだ。

 地平線まで赤土が広がる赤い大地だ。

 馬は一〇〇頭しか運んでこなかったが、アカプルコでも二〇〇頭ばかりを確保できた。

 騎馬隊を先行させ、街道沿いの敵勢力を排除させた。

 兵糧米は組み立てた箱馬車で、大砲は荷車を使って運んだ。

 道中、色取り取りの民族衣装を着た現地民と出会う。

 各村々の人々は皆笑顔で日本人を持て成してくれた。素朴で本当にいい人々である。

 これには疲れも吹き飛ぶというもの。

 ただし、辛い料理には驚いた。肉や野菜の煮物に、赤いトウガラシがふんだんに使われていて、目が飛び出るばかりだ。

 暑い国で食欲が減ってはいたが、痺れた舌で喰う飯は上手かった。

 麦わらで編んだ幅広の帽子を被り、強い日差しに耐えての行軍であった。

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